その二 家康を討ち洩らした重経の無念

 「そちはどう思う」
 古沢隼人の問いに古沢佐渡は
 「何がじゃ」
 と、いつもながら回りくどい隼人の言葉に焦れた。もともと佐渡は、考えるより行動す る方が先に立った。戦場で槍をかき抱いて馬を馳せる時が一番生きている実感がある。

 「下妻の殿のことじゃ」
 隼人は、この時ほど極楽蜻蛉の佐渡が、うらやましいと思ったことはなかった。  下妻の殿は旧主・多賀谷重経のことを指す。
 「そうよな・・・」
 佐渡は一応、腕を組んで考える様子を見せるが、脳細胞は停止したままだ。
 為るようにしか為らないではないか、と佐渡は割り切っていた。「まつりごと」は重臣 が考えることで、士大将クラスの隼人や佐渡は「いくさ」だけ考えていれば良いというの が佐渡の人生観だ。面倒なことは性に合わない。

 隼人は違う。五百石という上士の俸禄を頂いている以上、殿様や家老様と同じようにお 家の心配をするのが義務と心得ている。佐渡も三百石の上士ではないか、と「まつりごと」 を避ける佐渡の気持ちを測りかねた。
 下妻城の朋輩から主君の重経が、小山の宿営にある徳川家康を襲撃するつもりでいると いう噂を隼人は耳にした。この噂の主は
 「これで佐竹と多賀谷の世になりまする」
 と胸を張った。

 「まだ軍触れが出ていないではないか」
 佐渡は噂を疑っている。謀略は武門の常套手段だ。
 おまけに最近の重経は、酒乱となり、あらぬことを口走るようになった。
 しかし、これが本当になれば、隼人も佐渡も死活問題になる。二人とも重経と対立して いる多賀谷三経の家臣になっている。三経は家康の次子・結城秀康の重臣である。

 「同じようなことがあったな」
 と佐渡は話題を変えた。
 「そうよな」
 隼人も思い出した
。  あれは天正十八年のことだった。秀吉公に召し出された主君の多賀谷重経は
 「結城に忠節を尽くせ」
 と命じられた。晴天の霹靂だった。十三年前のことになるが、古沢一族の古沢経光が結 城支隊の軍勢と戦って討ち死している。度重なる結城との合戦で多賀谷は勝ってきた。
 その結城に多賀谷が臣従することなど考えられないと隼人も佐渡も激高した。

 ところが思わぬ展開になった。
 秀吉の命に正面から逆らうわけにはいかないと悟った重経は、奇想天外の手を打った。
 「病ゆえ、嫡男の左近大夫三経を結城秀康様に仕えさせまする」
 と秀吉に申し出た。
 秀康は、徳川家康の次子で秀吉の養子となっていたのだが、結城晴朝の懇請を受け入れ て結城家の当主となっていた。関東の乱れを懸念していた秀吉は、重経の申し出に大いに 喜んだ。

 ところが、これには裏があった。
 重経は次の一手を打った。結城家臣となった嫡男の三経を廃嫡してしまったのである。
 政略家の重経は、三経の後に佐竹義重の四男・宣家を七歳で養嗣として迎え、自分の娘 を配して下妻城を相続させた。

 さらに義重の子・佐竹義宣が佐竹家の家督を継ぐと義宣の正室に重経の娘を嫁がせ、下 妻・多賀谷氏と佐竹氏の関係は二重の政略結婚によって強化された。
 表向き秀吉に従った形だが、佐竹・多賀谷連合軍と結城の対立はそのままだった。重経 はもちろん結城に臣従しなかった。

 重経の奇想天外の手は、多賀谷家臣団を混乱させた。
 三経の家臣となった隼人と佐渡は、徳川方となり、重経は石田三成に近づく。
 この時に佐渡の頭は混乱した。昨日まで戦ってきた結城の重臣に若殿がなったのである。 これまでの主君だった重経は敵方になる。混乱しない方が可笑しい。
 「どうなる」
 と問いかけたのは、佐渡の方だった。さすがに極楽蜻蛉の佐渡も身の振り方が心配にな っていた。

 「良いではないか」
 佐竹に傾斜する重経を危うい目で見るようになっていた隼人は、むしろ冷たい眼で事態 の推移を眺めていた。天下の形勢は家康に靡いている。これに逆らった重経はいずれ破局 を迎えると見てとった。
 「結城との争いは今までのことよ。若殿の目に誤りはない」
 と佐渡をたしなめた。

 今度は話が違う。家康が討たれるとなると天下争乱の時代に逆戻りするからだ。隼人は 三経にご注進に及ぶか迷った。噂は確かめようがない。仮に本当としても、重経と三経は 実の親子である。
 「重経殿に逆心あり」
 と告げることは、自分たちの命取りになるかもしれない。
 二人は腕組みして、まさに思案投首で考え込むばかりだった。

 

 
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