父の軌跡を執拗に◆ 襄氏は、戦前のプロレタリア作家だった父の出生地・沢内村の歴史を現代に掘り起こ しながら、作家としての父の軌跡を追っている。 ◆ 昭和十七年という戦時下の言論統制が厳しい中で、「何よりも竹槍という言葉に象徴 される封建性に対し、自分たちは警戒を要する。・・・歴史の歩み、築きあげた近代 の物質文化の蓄積を観念的に無視することは、無意味、無力な精神至上主義に陥る第 一歩であり、ドン・キホーテにまさる悲劇を招くに終わる危険がある」と元は書いて いて、日本の敗戦を予測していると襄氏は紹介 ◆ 元は生前、幕末の勤王の志士たちに精神的影響を与えた藤田東湖の人物像に関心を持 ち、小説化を目指し資料を収集したという。しかし元は「東湖には、殆ど全く色気が ない。あるものは大義と酒だけだ」と、東湖の小説化の難しさを嘆いたという。 ◆ 第三章の古澤元評論・エッセイ集では、代表的なものを紹介。プロレタリア作家・小 林多喜二についても率直に書いている。元は小林多喜二評をしながら、日本人や日本 文化について「・・・日本文学に限らず、日本人には感性があっても、系統化する知 性がない、ばかりか知性を軽蔑して、”したり”顔をしたり、悟ったような顔をした り、おかしな国民性がてんめんと続いている。・・・」と書いている。 ◆ 評論「私小説論と井戸端会議」(「正統」第一巻六号)では、小説論を展開。小説に ついて元は「絶えず考えることは、自分の思念の鍛錬である。それも哲学者が思念す る場合と違って、自分たちは小説そのもので考え、鍛錬し、生長していく特殊な方法 を選んでいるのであって、・・・」と私小説に一家言を呈してもいる。
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