時評「カジカのつぶやき」(4)

古沢 襄


歴史の浅い国家の未熟さ

イラクや北朝鮮に対するアメリカのやり方をみていると逃げ場を失ったネズミをいたぶるネコを想起してしまいます。超大国のやる事はすべてが正義だといわんばかりです。金持ちのお坊ちゃんがガキ大将よろしく棒を持って威張っている様なもので、逆らうと何をされるか、怖ろしいものですから腹の中では「少しおかしいんじゃないの」と思いながらも取り巻きのガキたちがお追従している図ともいえます。

たしかにフセインも金正日も常軌を逸した独裁者です。それを懲らしめるのが国際正義という理屈は分からないでもありませんが、それが即、軍事行動だ!と飛躍してしまうのはどういうものでしょうか。軍事行動によって直接に被害を受けるのは、無辜の国民大衆だからです。広島や長崎に原爆を落としたのは、戦争終結のためにやむを得ない正義だったという理屈と同じで、無辜の国民大衆を殺戮した罪は消えるものではありません。

どうもアメリカのやる事は一人よがりで短絡的です。ベトナム戦争で深刻な教訓を得た筈ですが、喉元過ぎれば何とやらで歴史の教訓をころりと忘れています。やはり歴史の浅い国家の未熟さなのでしょうか。仮にアメリカが強大な軍事力によってフセインを抹殺したとします。トマホークを連日、三百発も四百発も打ち込まれたらどんな国でもお手上げになるでしょう。それでイラクの石油を一人占めにしても何が残るのでしょうか。

世界から尊敬されるどころか、ひたすら敬遠されるだけで孤立感を味わうだけでしょう。テロは静まるどころか、世界各地で燃え広がるだけです。「剣を取るものはみな、やがて剣で滅びん」とは呂宋で客死した高山右近の言葉ですが、世界中に軍事基地を張りめぐらし、その維持コストでアメリカ経済はやがて破局を迎えるのが目にみえています。 強大なローマ帝国が内部崩壊していった道をアメリカは愚かにも辿ろうとしています。日本はそれにお付き合いするわけにはいきません。(古沢 襄)


味盲のアングロサクソン

ロンドン、ニューヨーク、ワシントンに出張して気がついたのですが、アングロサク ソンという民族は「味の盲」ではないかということです。ロンドンではロイター幹部 を市内のシャブシャブ日本料理でご馳走したのですが、最高の松阪牛でもてなしたの に反応が今いち。数日後に大英博物館を案内して貰って、返礼の一席がワラジのよう にでっかい牛のステーキでした。半分も食べればウンザリ、この連中の舌はどうなっ ているのか、と思ったものです。

同じ思いをしたのは、ニューヨークでAPを訪問した時のことです。副社長がご馳走 してくれたのは、マグロのステーキ。両面をオイルで焼いただけで、自分で塩と胡椒 をかけて食べるのですが、およそ味がありません。アングロサクソンにご馳走になる のはコリゴリでしたので、ワシントンではUPの編集局長が相手でしたが、先手を 打って、こちらで市内の小さなフランス料理店をセットして懇談しました。

中老の編集局長氏でしたが、アメリカ旅行で一番、印象に残った対話ができました。 「松岡洋佑がニューヨークの摩天楼をみていたら、日米戦争はなかったろうに」と私 がいったら、しばらくおし黙っていた彼は、「本当のアメリカはニューヨークでもワ シントンでもない。あれはショーウインドウで、中西部の田舎町がアメリカのバック ボーンだ」と新説を吐きました。松岡洋佑が中西部の田舎町にいったのは正解だった というのです。ただ、そこでアメリカの実力を見抜けなかっただけのことで、眼力が ない松岡洋佑がニューヨークの摩天楼をみても、結果は同じだった、と厳しい見方を していました。

アメリカは農民が作った国家だから基本的にはモンロー主義(孤立主義)なのだが、 日米戦争で勝ったために世界の警察官になったと錯覚している。いずれ世界中から嫌 われ者になってモンロー主義に回帰する・・・というのが編集局長氏の意見でした。 「よけいなお世話をやくな、ということか」と念をおすと、「その通り」という返事 がかえってきました。

話題を変えて、アングロサクソンの味盲の印象をいうと、「そりゃーバイキングの末 裔なんだから・・・」とあっさり認めていました。海賊は狭い船に居住していました から、フランスや中国の様に味の文化が育たなかったというわけです。「フランス人 はイギリス人を田舎者だと腹の中では思っている」ともいっておりました。
ブッシュがイラク侵攻の拳を振り上げ、それをブレアが支持している一方でシラクが 立ち塞がる構図をみるにつけ中老の編集局長氏の言葉が妙に思い出されます。(古沢  襄)


ブラジリアのうな丼

昔は、アメリカのニューヨークへ行くにもヨーロッパ各国へ飛ぶにもアラスカのアン カレッジで給油した。客はロビーで足をようやく伸ばして、うどんをすすったり、カ レーライスをかっ込んだりした。特に帰りのアンカレッジでは、なぜか私はカレーを 食べずにはいられなかった。アメリカでカレーを食することは、今でも殆ど不可能だ からである。ニューヨークでカレーを作ったらアパートの理事会の査問にかけられ、 追い出されたという友人の実例があるくらい、アメリカの人たちはカレーの匂いが嫌 いだ。

それがヨーロッパに渡り、ベルギーの首都ブリュッセルで昼になると、街中にカレー の匂いが立ち込める。あ、カレーライスが食べたいな、となるのだが、既にお気づき のようにあれはコーヒーの香りなのである。ブリュッセルのコーヒーだけがなぜカ レーの匂いに似るのかは尋ねる人も機会もないままだ。

イギリスの食事はあまり美味くない、と言ったら、イギリス生活の長かった人も同感 だと言って、あそこじゃ朝食を三度食べたらいいのにと冗談みたいに教えられた。な るほど、空港近くのホテルで食べた午前六時ごろの朝食には魚の塩漬けが付いて来 て、一瞬、コメのメシが欲しいなと思ったものだ。しかし、今はともかく昔のロンド ンでご飯を所望しても、どこにもなかった。

1980年ごろのことである。当時、ロンドン市内では、かの大屋政子さん(故人) の経営になる寿司店が一軒だけあったが、試してみた穴子は硬すぎて、シャリがどう だったかの記憶が無い。多分、まずかったのだろう。余談だが、政子さんは時折、拙 宅を訪問してくれるのはいいのだが、いつも午前2時ごろで、それも予告なしなので、 驚かされた。帝人の経営者の夫人。亡くなった父上は九州・天草出身の政治家だった とか。とにかくケタはずれの怪女だったが、ロンドンの鮨はいただけなかった。

食い物の恨みは怖いというが、実感したことがある。
サウジアラビアでは、外交団は首都ジッダには駐在できず、リヤドに公館を構えてい る。ある年の1月にリヤドを訪れたところ、日本の大使閣下から昼食を賜ったのはい いが、参事官以上は鮨を、それ以下はそばを食べろとの指示。こちらは何もどちらを 食べなきゃ死ぬわけでもないから、どっちも食わなかった。食事で人を差別するとは、 この大使、馬鹿じゃなかろうかと思ったら、後で大臣曰く「ああいうのを、理路整然 たる非常識というんだぜ」。その場に招いたもの全員が少しずつ同じものを食べるよ うにしたらいいものを。

ところが2,3年してブラジルを訪れたら、大使はサウジアラビアから転じてきたあ の閣下だった。「明日は、ぜひブラジル産のうな丼を提供します」という。日本を出 て2週間も過ぎていたので、やや期待した。聞けば、愛知県の建設会社がブラジルで 鰻の養殖を手がけたところ、日本移民の多い国柄もあって、成功した。明日はその鰻 でぜひ、うな丼をというわけだ。

だが、がっかりだった。鰻は泥くさいし、なんともメシが生煮えだから、食えたもん じゃなかったのだ。期待した分だけ、大いに失望したが、大使閣下は知ってか知らず か、美味そうに食っていた。よくよく、この大使閣下とはメシの縁が無いのだな、と 思った。「ブラジリアはきみ、人工の都市で歴史も浅いから売春婦もまだ住み着いて ないよ。まだ半人前の都市だよ」というから散歩に出たが、ホテルを出た途端にお姐 さんから声がかかった。大使は普段、車でばかり移動するから街の実態を知らないの だ。これじゃ、日本人社会のことも知らないのは当然、と納得したのだった。

一概に全世界で日本食が普及したとはいうが、メシの炊き方までは徹底していないよ うに思う。例えば、ニューヨークの元大学教授は大の日本食ファンである。自分で魚 市場で材料を仕入れ、スシ・パーティーを開くという。よせばいいのに在住の友人ま で誘って駆けつけたが、シャリが生煮えだった。それでも教授はご満悦だった。「メ シの炊き方をご存知ない!」。(渡部亮次郎)