みちのく旅日記(4)

古沢 襄


西和賀にとって加藤新平さんは郷土の誇りである。京都大学名誉教授として法哲学の世界では第一人者。日本学士院会員として活躍された。五年前に不帰の客となったが、その直前に沢内村は名誉村民第一号の称号を贈っている。

昭和二年三月の毎日新聞に「一高の難関をパスした十六歳の少年 片田舎の郵便局長の倅(せがれ)」の記事が出た。加藤先生は沢内村の新町郵便局長・加藤荘蔵さんの長男で新町小学校の五年生から飛び級で宮城県立白石中学に入学、これまた四年修了で難関の旧制第一高等学校にパスした。秀才中の秀才というべきであろう。

その加藤家の隣が私のオヤジの生家。オヤジは新町小学校を卒業して高等小学校一年修了で盛岡中学に入り、仙台の旧制第二高等学校に進学している。弟の岸丈夫(ペンネーム・漫画家)は、新町小校の五年生から飛び級で盛岡中学に入ったので、古沢兄弟が同時に中学に進学したことになる。

三人の年齢からいうとオヤジが明治四十年生まれ、岸丈夫が四十二年生まれ、加藤先生が四十五年生まれ。古沢兄弟も秀才といわれたが、加藤先生の秀才ぶりはズバ抜けている。奥羽山脈の懐深く抱かれた寒村で、両隣の家の秀才少年が競ったのだから壮観といえば、これ以上の壮観は無かった。それに較べれば私などはボンクラなまま古希を超えて馬齢を重ねている。

五月八日は菩提寺の玉泉寺で「古沢元・真喜文学祭」が行われた。文学碑の前で加藤先生の弟である加藤宏泰さんが、古沢元の”杜父魚”の詩文を朗読、加藤村長夫人が古沢真喜の”碧き湖”の詩文を朗読して頂いた。文学祭の行事が終わった後、玉泉寺の大広間で盛岡から来ていただいた浦田敬三さん(岩手日報啄木賞審査委員)から「古沢元・岸丈夫兄弟の業績について」と題する講演があった。岸丈夫は昭和初期に近藤日出蔵、横山隆一、杉浦幸雄、中村篤九らと「新漫画派集団」を結成、アサヒグラフや文藝春秋、中央公論などの時代風刺の漫画を発表して活躍している。

浦田さんは岸丈夫の発表作品を丹念に集めて詳細な年譜を作成した。身内の私などには到底できない根気のいる作業で、ただ頭を下げるしかない。古沢元・真喜夫婦作家の事績でも一ノ瀬綾、吉見正信さんの研究作業がなかったら埋もれたままであったろう。そんな想いを残して、玉泉寺を後にした。(終わり)