北一輝の従妹・ムツ

古沢 襄


人は誰でも経験するのであろうが、自分の身近にかけがえのない人がいるのに、気がつかずにいて、後で後悔することがある。私の妻の実母・ムツは、昔風の辛抱強い、だが底抜けに明るい人であった。今、日本中の注目を浴びている曽我まゆみさんと似たところがある。同じ佐渡生まれというのも共通している。

この人が、二・二六事件で首魁と断ぜられ銃殺刑に処せられた思想家・北一輝の従妹だと知ったのは、ごく最近のことになる。ムツは佐渡に生ま、東京の北一輝の家で家事をとり仕切っている。晩婚だったので従兄・北一輝のことは誰よりも詳しかったという。

北一輝の母・リクは佐渡・新穂村(にいぼむら)の大地主・本間家の出。ムツの母はリクの実妹。北一輝研究では松本健一が有名なのだが、母方の家系については資料不足もあって十分ではない。父方についても佐渡・湊町の酒造業北慶太郎の長男という程度の調べの域を出ていない。慶太郎は初代・両津町長を務めたのだが、一種の顔役で、北一輝は父方の卑俗性を生涯嫌っている。

北一輝にみられる革新性は、むしろ母方の影響を強く受けている。母・リクの実弟は佐渡で随一の理論家といわれた本間一松。新潟県会議員を務めた。また、リクのいとこには、本間一松と並ぶ佐渡政友会の闘将高橋元吉がいて、若き北一輝は、本間一松や高橋元吉の影響を強く受けている。従妹のムツに家事を一切任せた背景には、このような事情が存在している。北一輝の性格形成をみるうえで、母方の影響を見逃せない。

ムツは生前「北の家にはお客が毎日押し寄せて、それは大変だった」と言っていたという。戦後宰相の一人だった岸信介も北の家を訪れていた。ムツは明治生まれだというのに、当時ではハイカラだったマヨネーズを自分で作って、お客に振る舞って好評だったという。戦前の革新官僚といわれた岸信介のことを調べている私は、今になってムツから、当時のことをもっと聞いておくべきだったと後悔するのだが、あとの祭りになった。

ムツの姉は、佐渡の名家・大蔵家に嫁ぎ、俳優・丹波哲郎の妻・貞子を生んだ。貞子は一族の中でも目立つ才女。私の妻とは従姉妹同士なので、貞子が存命中は西荻窪の丹波邸には毎週のように遊びに行った。毎晩のように丹波哲郎が家庭麻雀をやるので、メンバーがいないと、貞子から局長室に電話があって呼び出された。俳優というと贅沢三昧の生活をしていると思うのだろうが、至って地味な夕食だった。干物に漬け物、味噌汁に炊き立てのご飯、我が家の夕食の方がずっとマシだと思っていた。

貞子の実兄は、共産党系の弁護士・大蔵敏彦。島田事件で死刑宣告を受けた冤罪を晴らして無罪判決をかちとった辣腕弁護士といえば、記憶している人もあるかもしれない。無類の麻雀好きで丹波邸の常連であった。

大蔵敏彦は、すでに故人となったが丹波哲郎は「僕の妻の兄、いわゆる義理の兄は弁護士をしていた。名前を大蔵敏彦といって、島田事件で死刑犯を無罪にしたほどの辣腕家である。僕が知っている限りでは、おそらく日本で最高の弁護士だと思っている」と述懐している。

今になって思うのだが、北一輝という歴史に残る思想家と身近なムツや丹波貞子、大蔵敏彦がいながら、気がつかずに過ごしてきたのだから、迂闊の誹りを受けても仕方あるまい。女房はムツの次女なのだが、長女の凱子が産まれた時に北一輝は、ガラス箱に納められた日本人形を誕生祝いに贈っていた。昭和五年のことである。伊豆・下田に住む凱子は、その人形を大切にしている。