みちのく旅日記(1)

古沢 襄


一月に続いて今年二度目の東北旅行になったが、正直にいって新幹線に乗るのは気が重かった。テロ実行犯が爆弾テロを狙うとすれば、高速で走る新幹線、サリンのような生物・化学兵器を使うとすれば、地下鉄であろう。都内に出る時は地下鉄を避けて国電を使う様に用心している。

案の定、上野駅の構内警備は厳しかった。講演資料を入れたカバンを右手に土産物を入れた紙袋を左手に下げて、上野駅構内をウロウロしたのだが、要所要所を固めた警察官や鉄道警備員に紙袋をジロジロ見つめられて、不愉快な思いをすることになった。急いで新幹線に乗車したが、いつもならデッキにあるゴミ捨ての場所がビニールで覆われていて使用禁止になっている。汽車弁の折や缶ジュースのカラは、車内を巡回してくる女の子のビニール袋に可燃ゴミと不燃ゴミに分けて捨てるという様変わりだった。自衛隊のイラク派兵が終わるまで、この警戒状態が続くのではないか。これも仕方あるまい。

だが、警戒している時にはテロ実行犯も動くまい。テロは忘れた頃に発生する。そう考えると、いつまでもビクビクしていていても仕方ない。めぐり合わせが悪くて、テロに巻き込まれてしまったら、運が悪かったとあきらめるしかない。観念するといくらか気が楽になる。車中で講演資料を読むつもりでいたが、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めると一関駅を出ていた。また資料を読まずにぶっつけ本番で話をすることになる。資料というのは、一種の気休めの道具なのだろうか。

北上の駅頭に立つと東北とは思えない暖かさだった。桜の花はすでに散りかけていた。出迎えに九十三歳の佐々木吉男老と沢内村議の高橋雅一さんが来ていてくれていた。一月には特養老人ホームに入っていた佐々木老だが、ツヤツヤした顔で腰をシヤンと伸ばし、足どりも確かなので、まず驚いた。今夜も一升酒を飲んで、いささかも乱れないのであろう。この人の年齢まで生きる自信はまったく無いのだが、いつまでも頭がシッカリしている秘訣は何なのであろうか。だいたい助役稼業を二十年もやった人だから、すること為すことが人間離れしている。オヤジが生きていれば、九十五歳。佐々木老とは新町小学校で一緒だったが「玉次郎さん(オヤジの本名)は秀才だっただけでなく、侠気のある男の中の男でした」と酔うと私を説教する。その説教を聞くために、年に数度は東北旅行に出ている様なものである。侠気といえば佐々木老は”正義漢”が洋服を着て歩いている様なところがある。それが若い衆の信望を集めているのかもしれない。

西和賀は、今が一年で一番良い季節ではなかろうか。遠くの山々には残雪が残っているが、平地は緑が一斉に芽吹いて、心休まる風景が広がっている。東京で生まれ、東京で育った私はそう感じるのだが、オヤジは代表作の「びしゃもんだて夜話」で、この地の夏が一番好きだと書いている。

・・・・夏近くになると、萱葺屋根の上に、花菖蒲だの、えぞ菊だの、てっぽう百合、ほけきょう花だのが一面に咲きそろうので、花畑の谷間をゆくような気がする。日が沈むとなほいい。夜鷹や蝙蝠(かうもり)が餌をあさりにでてくる。重たげな黒い布きれのように遊動するのは蝙蝠の影だ。夜鷹は音もなく弾道にように影をひいて飛ぶ。灰色にほの明るい往還(みち)の上へ落ちかかるやうに飛びさがったかと思うと、急にさいかちの老木の葉裏や家並の蔭の中にくぐっていったりする。西堰では、さわさわと音をたてて白い体がうごいている。夕餉の支度に、一足さきに田圃からあがってきた女達がすっ裸になって体を洗っているのだ。東堰では、とぼしい街灯の下に集まった湯もじ一すじの女達が米をといでいる。私はやっぱり部落のこうした夏が一番好きであった・・・・。

この地で生まれ、この地で育ったオヤジは、一年の半ばが雪に閉ざされる人間の暮らしを強いられてきた。残雪の春の喜びもあったのだろうが、躍動する夏に心を惹かれたのかもしれない。それがまた西和賀に生きる人達の偽らない気持ちだともいえる。(続く)