アナーキストの肖像◆ 銀座の日動画廊に保管されていた約50点の晩年作は、東京大空襲で灰じんに帰し、 この世にない。「出獄の日の0氏」など60数点が、現在、愛好者の間で秘蔵されて いるだけだ。 ◆ 0氏というのは、関東大震災のときに、甘粕大尉に斬殺されたアナーキスト大杉栄の ことだ。若き日の林倭衛は大杉栄と親交があった。 ◆ 話は変わる・・・東京・新宿に「風紋」というジャーナリストや文化人、芸能人がた むろする一風変わったバーがある。しっとりと落ち着いたこのバーの魅力は、女優 だったのではないかと思うくらい美人のママだった。 ◆ 通い詰めているうちに、ママは高名な映画監督との恋いに破れたばかりだ、と知っ た。そんなある日・・・その頃になるとママの名前が聖子ということもわかったが・ ・・「きのう襄ちゃんのお母さんに会ったのヨ」といたずらそうに私に語りかけてき た。 ◆ 何のことはない。ママは母の親友、藤村千代さんと子供の頃から親類同様の付き合い で、毎週のように東京・中野の千代さんの家で、母たちとマージャンを楽しむ仲間 だったのだ。藤村千代さんは、作家・武田麟太郎の愛人で昭和文壇史に名前が残って いる。 ◆ 「きょうもお宅の息子は飲んだくれていたわヨ」なんて母に言われていたことを想像 するとPTAの監視下で飲んでいるようなもので、いつの間にか「風紋」から足が遠 のいていったのは、人情というものであろう。 ◆ しかし、ほんとうに驚いたのは、それから数ヶ月後の出来事だった。母は林倭衛と同 郷の上田市の旧家の生まれで、弟・・・私の叔父というわけだが・・・が家業を継い でいた。その叔父は、林倭衛の熱烈なフアンで10数点の作品を秘蔵していたが、信 濃美術館で林倭衛回顧展を開くことになった。 ◆ 突然、上京してきた叔父は、「林倭衛には聖子さんという娘がいて、その人が代表作 を今でも大切に所蔵している。その出品と娘さんに回顧展のテープカットを頼もうと 思っている」と嬉しそうに言った。 ◆ 翌日、叔父のお供をして行った先が、何と「風紋」だった。私と母と叔父というばら ばらの糸が林倭衛の娘さんという一本の糸に結ばれていたわけだ。驚いて口もきけず にいる私に向かって「襄君、久しぶりネ」とママは茶目っ気たっぷりに人をからかっ た。 ◆ その代表作が「出獄の日の0氏」だった。この絵は、戦前の内務省・警保局長だった 唐沢俊樹代議士の秘蔵画だったが、その好意によって林家に戻された美談もついてい る。 ◆ テープカットした聖子さんは、ひときわ美しかったという。映画監督との恋いに破 れ、新宿のバーのママとして、生きなくてはならない苦労など、少しもみせない凛々 しさに、叔父は感動して、涙を抑えることが出来なかった、と後日談を聞かされたの は、しばらく経ってからだった。
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