アナーキストの肖像

古澤 襄

林倭衛という鬼才画家がいた。長野県・上田市の出身で「出獄の日の0氏」など数々 の名作を残しながら、終戦の直前に不遇のまま、この世を去った。「軍人、役人、大 馬鹿野郎」というのが遺書だった。

銀座の日動画廊に保管されていた約50点の晩年作は、東京大空襲で灰じんに帰し、 この世にない。「出獄の日の0氏」など60数点が、現在、愛好者の間で秘蔵されて いるだけだ。

0氏というのは、関東大震災のときに、甘粕大尉に斬殺されたアナーキスト大杉栄の ことだ。若き日の林倭衛は大杉栄と親交があった。

話は変わる・・・東京・新宿に「風紋」というジャーナリストや文化人、芸能人がた むろする一風変わったバーがある。しっとりと落ち着いたこのバーの魅力は、女優 だったのではないかと思うくらい美人のママだった。

通い詰めているうちに、ママは高名な映画監督との恋いに破れたばかりだ、と知っ た。そんなある日・・・その頃になるとママの名前が聖子ということもわかったが・ ・・「きのう襄ちゃんのお母さんに会ったのヨ」といたずらそうに私に語りかけてき た。

何のことはない。ママは母の親友、藤村千代さんと子供の頃から親類同様の付き合い で、毎週のように東京・中野の千代さんの家で、母たちとマージャンを楽しむ仲間 だったのだ。藤村千代さんは、作家・武田麟太郎の愛人で昭和文壇史に名前が残って いる。

「きょうもお宅の息子は飲んだくれていたわヨ」なんて母に言われていたことを想像 するとPTAの監視下で飲んでいるようなもので、いつの間にか「風紋」から足が遠 のいていったのは、人情というものであろう。

しかし、ほんとうに驚いたのは、それから数ヶ月後の出来事だった。母は林倭衛と同 郷の上田市の旧家の生まれで、弟・・・私の叔父というわけだが・・・が家業を継い でいた。その叔父は、林倭衛の熱烈なフアンで10数点の作品を秘蔵していたが、信 濃美術館で林倭衛回顧展を開くことになった。

突然、上京してきた叔父は、「林倭衛には聖子さんという娘がいて、その人が代表作 を今でも大切に所蔵している。その出品と娘さんに回顧展のテープカットを頼もうと 思っている」と嬉しそうに言った。

翌日、叔父のお供をして行った先が、何と「風紋」だった。私と母と叔父というばら ばらの糸が林倭衛の娘さんという一本の糸に結ばれていたわけだ。驚いて口もきけず にいる私に向かって「襄君、久しぶりネ」とママは茶目っ気たっぷりに人をからかっ た。

その代表作が「出獄の日の0氏」だった。この絵は、戦前の内務省・警保局長だった 唐沢俊樹代議士の秘蔵画だったが、その好意によって林家に戻された美談もついてい る。

テープカットした聖子さんは、ひときわ美しかったという。映画監督との恋いに破 れ、新宿のバーのママとして、生きなくてはならない苦労など、少しもみせない凛々 しさに、叔父は感動して、涙を抑えることが出来なかった、と後日談を聞かされたの は、しばらく経ってからだった。