ビヤホールの文学論議◆ 今を盛りの小説家であるR・Tは、一言の下にJ・Tの説を葬った。「話だ!小説が 話なら何も苦労はせんだろう」 ◆ J・Nが、やや気色ばんで「J・Tの話というのはローマンテックということだヨ。 紙文芸は滅亡せんさ」 ◆ 私は静かに傾聴した。 ◆ これは古澤元の未発表エッセイの一コマで、J・Tは高見順、R・Tは武田麟太郎, J・Nは新田潤のことである。すでに六〇年以上も過去となった一九三五年夏,銀座 のビヤホールで交わした当時の若き文学者の会話であった。この翌年、青年将校に よって2・26事件が起こり、東京に戒厳令が布告された。ファシズムの嵐が吹き荒 れていた暗い時代のことだ。 ◆ 寸評が面白い。J・Tは文学の形式を後生大事にしている,R・Tは思ったよりも辛 い文学者だ,J・Nは無事太平楽だ、私はこれからだ、とある。 ◆ 武田麟太郎は一九二九年、文芸春秋に「暴力」を発表してプロレタリア新人作家とし て登場し、続いて「反逆の呂律」はじめ左翼作品を書いたが、やがて一九三二年から 「日本三文オペラ」などいわゆる市井事ものと称する庶民文学にスタンスを変え、 ジャーナリズムの売れっ子となっていた。時代の庶民風俗の中に新しいリアリズムを 追求する立場をとったと言える。 ◆ 高見順はこの時期、同人雑誌「日暦」に発表した「故旧忘れ得べき」が第一回芥川賞 候補作品となり、新進作家として注目されていた。「故旧忘れ得べき」の饒舌調とも 言われた独特のスタイルで「高見順時代」を生もうとしていた。まさに文学の形式に 骨身を削っていた。このスタンスは素朴なリアリズムに対する反抗と言える。もとも と高見順には、ダダイズムやアナーキズムの世界に沈殿した遍歴がある。親友の新田 潤が「ローマンテック」と言って高見順の肩を持ち,先輩作家の武田麟太郎に逆らっ たのも面白い。 ◆ 太平楽と切り捨てられた新田潤だったが、このあと「人民文庫」に「片意地な街」を 発表し、日本のゴオゴリが現れたと注目される。もっとも戦後、中間小説の流行した 時代に華々しく再登場して,中間小説を書きまくったが、高見順は「闘病日記」の中 で「怠け者の新田は、相変わらず一夜漬けのような中間小説を書いているが、彼は才 能のある男なのだ。奮起せよ。新田君。君も奮起して小説を書け」と気遣った。 ◆ やがてこの四人の作家は「人民文庫」に立てこもり、現実正視のリアリズム文学の旗 を掲げたが、一九三八年に廃刊を余儀なくされる。ファシズムの嵐は反体制の「人民 文庫」の発行を許さなかった。武田麟太郎は最後まで「人民文庫」に執着し、古澤元 はファシズムの暴力から身を守ろうとする仲間の自主的廃刊論と対立した。高見順と 新田潤は箱根にいた武田麟太郎を訪ねて廃刊の説得をする。 ◆ しかし、この意見の相違は,すでに三年前の銀座のビヤホールで交わされた文学論議 の中に萌芽の芽を見取ることが出来る。武田麟太郎の文学を田宮虎彦は「あくまで権 力に反逆しようとする逞しさ」とともに「市井事ものを書き続けて得たものは虚無と 絶望だった」と分析した。そして「虚無と絶望」を克服した時に、武田麟太郎のほん とうの出発点があったはずだ、と四十二歳で急死したこの作家を惜しんだ。 ◆ 高見順には自分の弱さ、醜さをむしろさらけ出す開き直りとも言えるインテリゲンチ アの隠された逞しさが見られる。その半面、白樺派の理想主義的な個我意識に親しみ を持ち続け、俗物意識に対する強烈な反感を隠そうとしなかった。公式的な左翼文学 に対しては生涯批判の舌鋒を収めていない。武田麟太郎を敬愛し,洗礼を受けた社会 主義の基本である人間愛に共鳴しながら、異なった文学精神を追求した昭和作家であ る。高見順の文学精神をもっともよく表しているのものとして、「敗戦日記」をあげ たい。中村真一郎は昭和文学が生んだ偉大な日記作家として永井荷風と高見順の二人 を挙げている。 ◆ ビヤホール論議で興味があるのは,「小説は話だ」という高見順の発言である。宇野 浩二は「ほんとうらしく嘘をつく」のが小説家の本能だと喝破したが、ありにままに 真実を書く手法に作家も読者もとらわれると小説の世界は「虚構」の自由が奪われ、 案外つまらない作品の羅列に終わりそうである。文学不毛の時代と言われる今日、壮 大なロマンに満ちた「話」の小説を待望するのは私だけではあるまい。 ◆ 最近私は白樺派作家の犬養健の小説を求めている。犬養健は造船疑獄事件の時に指揮 権を発動して法務大臣を辞任した過去の政治家というイメージしか持たれないが、政 界に身を移す前には,今日読んでも色褪せない結晶の美しさで希有な才能をみせた数 少ない小説家でだった。作品も「南国」、「家鴨の出世」、「南京六月祭」、「揚子 江は今も流れている」、「父の映像」など今では貴重本になって入手が困難なものば かりとなった。高見順が「昭和文学盛衰史」で犬養健の作品を激賞していることも付 け加えたい。
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