「黙れ兵隊」と一喝◆ そんな後ろめたさがあったのかも知れない、池田内閣になって岸さんが不遇をかこっ た時代、弟の佐藤栄作氏が首相になって「弟の内閣で外務大臣を引き受けてもいい」 と喜んだのも束の間で、岸嫌いの田中角栄氏が佐藤内閣の実権を握り、「弟は自分の 言うことを聞かなくなった」と愚痴をこぼす岸さんのところに通う数少ない政治記者 になっていた。 佐藤内閣の末期には、岸さんは御殿場の別邸に引きこもることが多 くなったが、日曜日には朝から御殿場に訪れ、あまり人が訪れることがなくなった応 接間で夕刻まで岸さんと二人切りでとりとめのない話をする機会が多かった。そのお 陰で世間では知られていない岸さんの隠れた一面を知ることが出来た。 ◆ 岸首相に対するジャーナリズムの評価は今日でも厳しい。日米安保条約の改定と国会 批准でみせた非情な権力者の横顔が今でも印象に強く残っているためであろう。しか し御殿場の岸さんは権力者とはほど遠い一人の老人でしかなかった。私ごとになる が、妻は2・26事件に連座して銃殺刑を受けた北一輝の血縁に当たることを何かの 拍子に喋ったら岸さんは思わず身体を乗り出してきて、「私は北一輝の国家改造法案 要綱を全文筆写したことがある」と言った。そのついでに「巣鴨に収容されていたと きに弟の栄作が政界に出馬したいと相談にきたので、それなら戦前の政友会や民政党 の流れをくむ保守党には期待が持てないので社会党から代議士に出たほうがいい」と 勧めた昔語りをしてくれた。右であれ,左であれ現状打破の革新志向が岸さんの本質 だということを初めて知った。 岸内閣というと「日米安保条約の改定」と「警職法」(警察官職務執行法改正案) がすぐ思い浮かぶが、「最低賃金制」や「国民年金制度」がこの内閣で創設されたこ とを知る人は少なくなった。 ◆ 戦前の岸さんの逸話として残っているのは、サイパン玉砕の破局を迎えても徹底抗戦 を唱える東条首相と単身対決し、倒閣に持ち込んだことがあげられる。土壇場の最終 閣議で同調してくれる筈だった重光外相と内田農相は約束を破って発言せず、最年少 の岸商工相だけが東条首相に退陣を迫るはめになってしまった。閣議が終わって私邸 に戻った岸さんを訪れたのは、東条首相の腹心だった四方東京憲兵隊長だった。軍刀 をがちゃつかせて恫喝する四方に対して、「黙れ,兵隊」と一喝したが、その時は斬 られることを覚悟したと言う。「でも四方は私の頭は跨がなかったよ」と言って私を 指さしながら,楽しそうに笑った岸さんが印象的だった。 ◆ 岸さんは吉田松陰と交友があって島根県令になった佐藤信寛氏を曾祖父に持ってい る。信介の「信」は信寛氏から貰ったという。父は官吏をつとめて後に酒造業を営ん だ佐藤 秀助氏で,十人兄弟(男三人、女七人)を生むという子沢山だった。その五番目が岸 さんで、佐藤家から岸家に養子に出された。長兄の佐藤市郎氏は海軍兵学校に進み、 海軍中将になったが、兵学校時代の成績は平均点が九七・五点で日本海軍はじまって 以来の秀才と言われた。兄貴に比べると岸さんは旧制第一高等学校の入学試験に失敗 し、予備校に通ってようやく翌年入学している。高等学校時代の成績もあまり芳しく なかった。ところが東京大学に入った頃から頭角を現し、我妻栄氏(東大教授)や三 輪寿壮氏(社会党代議士)とトップ争いをしている。 ◆ 「頭の良さから言うと兄の市郎、私、弟の栄作の順だが、政治力から言うと栄作、 私、市郎と逆になる」と言うのが岸さんの口癖だった。岸さんの出っ歯は,よく政治 漫画に描かれたが、弟の栄作氏も最初は出っ歯だった。それを差し歯にしたわけだ が、「栄作さんは出っ歯のほうが愛嬌があった」というのは、総理官邸の床屋の内緒 話である。 御殿場の頃は政権の中枢から外れていたので、特ダネになるような話は出なかった が、一度真顔で「二十一世紀の日本は石油大国になれる。尖閣列島の海底には中近東 全部を合わせたよりも大きい石油の埋蔵量がある」とつぶやいたことがあった。尖閣 列島をめぐる領有権の騒ぎが起こる度に岸さんのつぶやきを思い出すが、事の真偽は わからない。仮に真実だとしても、世界の石油利権を一手におさめている国債石油カ ルテルのユダヤ資本があらゆる手を使って妨害してくるだろう。だから「つぶやき」 だったのかも知れない。
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