前尾繁三郎の時計の振り子論

古澤 襄

昨年暮れの新聞で前尾繁三郎夫人の訃報を見た。衆院議長を最後に政界を引退し、し ばらくして亡くなった前尾さんだが、酒を愛し、書物に親しむ生き様を貫いた数少な い政治家だった。竹久夢二の作品の愛好家でもあった。忘れられない政治家の一人で ある。

あれは一九六〇年夏の池田内閣誕生の日だったと思う。東京・信濃町の池田邸の門前 で「池田番」という張り番記者だった私は、入り口の門柱に寄りかかって動けないで いた議員バッチをつけた酔っぱらいを見た。三十八年前のことだ。

見るに見かねて手を引き、池田邸の玄関まで連れって行った。出てきた秘書が,「前 尾さん大丈夫ですか」と慣れた様子で座敷のほうに案内して行った。その当時、前尾 繁三郎という政治家は政治部記者の中にもあまり知られていない存在だった。

議員手帳を開いて前尾という議員の住所を見ると「東京・江戸川アパート」になって いた。江戸川アパートは戦前に建てられ,外交官や大企業の役員が居住するモダンな アパートとして有名だった。神宮参道前に建てられた同潤会アパートと並んでエリー トを象徴するアパートだったが、戦後は昔の面影が無くなって老朽化ばかりが目立っ ていた。

数日して江戸川アパートに前尾さんを訪ねたが、ベルを押しても誰も出てこなかっ た。しばらくして隣の奥さんが顔を出し、「前尾さんはここには住んでいませんよ」 と教えてくれた。後で知ったのだが、ここは前尾さんの蔵書を保管した書庫になって いた。

そこで衆議院議員会館の前尾さんの部屋を訪ねたら会うことが出来た。あれほど酔っ 払っていたのに私の顔を覚えていて、「やあ、あの時は・・・」と照れた表情で迎え てくれて、「今日は用事がないから・・・」と私を渋谷・松濤の私邸に連れて行って くれた。これが縁になって,前尾邸に夜討ち,朝駆けをかけることになる。

前尾繁三郎という政治家に触れて、これほどのバランス感覚に優れ、政界一の蔵書家 であるだけでなく、その博識には驚嘆させられた。「暗闇の牛」とあだ名を付けられ た前尾さんだったが、眼鏡の奥に光る優しい目つきと知性が魅力的だった。

前尾さんの魅力と力量を教えてくれた陰の人物として,益谷秀次衆院議長の大物秘書 だった辻トシ子さんの存在も大きかった。岸から池田に政権のバトンタッチが成った 最初の党役員人事で幹事長の最有力候補は元内相の山崎巌氏だった。総理官邸の組閣 テントで各社が「山崎幹事長内定」を次々と流していたため、共同通信社も予定稿の 「山崎幹事長」を全国の新聞社に打つことを迫られていた。その時,組閣デスクが, 「辻さんのところでコンファームしろ」と私に命じた。岸内閣の副総理だった益谷さ んの部屋で辻さんに「共同も山崎幹事長を打とうと思う」と言ったら即座に「それは 誤報になるわヨ」と否定された。デスクに辻さんの言葉を伝えると「よし、共同は益 谷幹事長で行こう」と全国ニュースを流した。結果はまさに辻さんの言った通りに なった。

辻トシ子さんは,保守合同の黒幕と言われた辻嘉六氏の長女で、益谷さんは辻嘉六の 書生をした因縁がある。一介の秘書でありながら、池田・佐藤・田中三代の内閣を通 じて総理官邸にフリーパスで首相に面会できる数少ない人物であった。田中首相を支 えた小沢一郎氏、羽田孜氏らとの交友も長い。

その辻さんから「池田首相がもっとも信頼しているのは前尾繁三郎」と教えられたの は益谷幹事長の後任人事だった。この時も下馬評は山崎幹事長説が有力だった。前回 に幹事長を逸しただけに、今度は山崎幹事長だろうというのが、政界の観測だった が、念のため幹事長人事が決まる前夜、辻さんにお伺いを立てた。その返事は「明日 の朝、前尾さんの邸に行きなさい」ということだった。

半信半擬のまま翌朝七時に前尾邸を訪問すると新聞記者は一人も来ていなかった。 皆、山崎邸に張り込んでいた。忘れもしない、応接間で前尾さんと雑談していると八 時過ぎに電話のベルが鳴った。相手は信濃町の池田首相だった。「幹事長を引き受け たヨ」と言ってソファーに身を沈めた前尾さんの姿が印象的だった。それからが大変 だった。崎邸に屯した新聞記者が前尾邸に大挙押し掛けたからである。池田首相の黒 子に徹していた前尾さんが政界の表舞台に登場した瞬間だった。

ある時、前尾さんは「政治の世界は時計の振り子だ」と言った。「岸時代に右に振れ た振り子が、今は左に振れている。これをニューライトと呼びたい」とも言った。し かし振り子は左に目一杯振れたあと再び右に振れる。東京オリンピックの年に政権を 佐藤栄作氏にバトンタッチすることになるが、池田総裁の三選に反対して池田首相を 追いつめた佐藤栄作氏に政権をすんなり渡すことに当の池田さんはこだわりがあっ た。病床でこだわりを見せる池田首相を説得して,佐藤内閣を誕生させた前尾さんの 働きを知る人も少なくなった。佐藤・田中嫌いだった前尾さんだが、振り子が右に振 れる必要を独特のバランス感覚で見て取ったのだと思う。この意味で佐藤から田中へ のバトンタッチは,振り子が再び左に振れたことになる。右の振り子を「政治主義」 と意味づければ、左の振り子は「経済主義」と言うことが出来る。

池田首相の死後,池田派を引き継いで「前尾派」を率いたが、正直に言って派閥の領 袖としての前尾さんは精彩を欠いた。政治の世界は凄絶な権力闘争の場である。前尾 さんの博識と知性が発揮されるどころか、邪魔になったとさえ言える。前尾さんは盟 友池田さんの四年間の内閣の屋台骨を支えて燃え尽きたのかも知れない。それはそれ で一人の政治家の生き様として完結している。時計の振り子だけが、今も変わらず右 に左に振れている。