総理秘書官の寄贈本

古澤 襄

「十五年後にこの本をもう一度読んでみたら・・」と言われて渡された一冊の本が手 元に残っている。日本経済調査協議会が一九六五年に出した「国際的視野からみた農 業問題」という調査報告書で,副題は「わが国農業の未来像」とある。渡してくれた のは池田元総理の首席秘書官だった伊藤昌哉氏。ジャーナリストから池田内閣のブ レーンとなったこの人は「池田勇人その生と死」「自民党戦国史」の著作でも知られ る。

この調査報告書が発表されてから、すでに三十三年の歳月が過ぎ去った。東京オリ ンッピックの翌年だが、当時の日本農業は大きな変革期に直面していた。昭和三十年 代は日米安保条約の改定という国論を二分した疾風怒濤の嵐の時代を経て、日本国内 は所得倍増の旗印のもとに高度経済成長の急階段を駆け足で昇っていた。工業立国、 貿易立国の道をまっしぐらに突き進み、その労働力を農村の若年労働者に求めた結 果、民族大移動とも言える太平洋ベルト地帯に青壮年の労働力が急激な移動をみせて いた。「金の卵」ともてはやされた中卒者の就職列車が地方から大都市に向かったの もこの頃である。当時一千百万人だった農業人口が短期間に三百万人に落ち込んだこ とをみても、この人口移動がいかに急激だったかが知ることが出来る。

この当時はやった言葉は「一チャン農業」「三チャン農業」で、農村労働力の老齢 化、女子化が広まり,「田園正に荒れなん」という情勢になった。新聞紙面にも「過 密・過疎の進行」という文字が毎日のように踊った。日本経済調査協議会は植村甲午 郎,中山伊知郎,永野重雄の三氏を代表委員にして、東畑精一同協議会調査委員長の もとで二年間、四十四回の会合を重ねて,日本農業の将来像の青写真を描いた。それ がこの調査報告書である。そこには十五年後の日本農業の望ましい姿が大胆な計数を 示して描かれている。伊藤氏が十五年後にこの本をもう一度読むことを私に勧めたの は理由があってのことだ。そして私は今、三十三年後にこの本を読み直している。

調査報告書は農業と非農業間の所得格差の解消を第一にあげ、生産性の高い近代的な 農業の確立の必要性を訴え、それが可能であると言い切った。そしてこれは従来のよ うな家族皆労的零細農業から脱却し、大型農機など近代的農業装備を有する企業的農 業経営が一般化されることによって達成されるとした。

第二には農産物の輸入自由化にそなえ、農業部門における国際分業の利益を確保する ことを主張している。工業部門における生産性の向上に比べて農業部門の遅れを指摘 し、適地に適正品を増産して輸出し、不適性品は輸入する国際分業の必要性を説い た。また、消費者の犠牲において、零細農業者の所得を保証する従来の農業保護政策 を速やかに転換すべきだとした。

このほか酪農の比重の大きい農業生産構造の確立、新しい農業の指導者の育成、耕地 の集団化を促進する立法措置、群小の補助金を大整理し60ー80ヘクタールの集団 化された大圃場に優先的支援、先駆的な総合パイロット地区、モデル農場の設置、総 合的な地域開発、農産物の流通部門の近代化など提言は多岐にわたっている。

これらの指摘は,今,読み返しても大筋で正しい。しかし、過疎の農村は三十三年 経った今も少しも変わっていない。まさに戦後半世紀を超えた現在、農村は放置さら れたままの状態と言っても過言でない。(続)