びしゃもんだて夜話

古澤 襄

古澤元・真喜の遺稿集は、昭和初期のプロレタリア文学運動の記録でもある。

「びしゃもんだて夜話」は古澤元が二十四歳の時の処女作。自叙伝的作品である「少 年」「続少年」と合わせて読むと、満州事変直前の暗い社会状況のなかで、純粋で若 い魂が非合法左翼運動にまっしぐらに飛び込んでいった心理過程がわかる。

古澤真喜の「幻の碧き湖は彼方」は、信州・上田の旧家に生まれた作者が日課のよう に繰り返される祖父母と養父の陰湿な争いに耐えられず、上京して実践女子専門学校 の英文科に進み、やがて非合法左翼運動の協力者になっていく過程が描かれている。 作者はこの心理過程を「家のトラブルから脱出するために左翼運動に飛び込んだ自分 の階級意識なんて、つまるところは単なる現実逃避で、それ自体一種の罪悪ではない だろうか」と自分を突き放して描いた。「幻の碧き湖は彼方」は未完で終わったが、 戦後の泥沼時代を生き抜いた女の一生を完結して作品かしていたら・・・と惜しまれ る。

古澤元の遺稿集を出版する計画は、十五年前にあった。郷里の政治家・椎名悦三郎氏 が私に勧めてくれた。このことを父の親友だった直木賞作家・大池唯雄氏に相談した ら、「遺稿集を出すことより、君がお父さんの志を継いで、小説道に精進することの 方が大切です」と厳しく叱られた。その大池氏も今は亡く、私は小説道からますます 遠くなっている。

もう一つ。私が遺稿集の出版に踏み切れなかった深い理由がある。プロレタリア作家 から国家主義者橋本欣五郎氏の秘書に転向していった古澤元の戦時下の行動が、私な りに納得されねばならなかった。父の思想の軌跡であるだけに、「極右と極左は根が 一つ」というありふれた評論だけで、割り切るわけにはいかない。私の心のなかで、 この問題を整理し、一定の結論を得るには、かなりの時間が必要だった。そして、十 五年の歳月が過ぎ去った。

「星霜」同人の青山憲三氏は「横浜事件 改造編集者の手記」を書かれた。五人の獄 死者を出した横浜事件は、小林多喜二、野呂榮太郎の虐殺と並んで、戦時下の国家権 力による暴力的言論弾圧として忘れ去ることは出来ぬ。権力の暴力に対するあくなき 抵抗精神を持ち続けることが、われわれが生きている”あかし”であり、社会に対す る筆を持つ者の義務である。

あの苛酷な戦時下で、国家権力に対して積極的に抵抗を示すことは、死を意味し、同 じ境遇に私が置かれたとしたら、正直に言って、とても自信がない。しかし、消極的 であろうとも、そのような権力に協力することは、決してしないであろう。ヴェル コールが書いた「海の沈黙」が筆をとる者の良心だと思う。

古澤元がシベリアの大地に果てて、すでに三十六年。満州の広野に侵入したソ連軍を ハイラル郊外で迎え撃ち、やがて敗戦。捕虜としてシベリアに連行され、酷寒のなか で森林伐採の苦役を強いられた。十分な食料がなく、高齢兵士だったので、栄養失調 で何度も倒れた。一種の獄死である。

実弟で戦時中に漫画家として活躍した岸丈夫、戦後のある日、家族の前から突然、姿 を消しした。今もって行方が知れない。戦争協力の政治漫画を書いていた者が、敗戦 を機にいとも簡単に変節して、政府追及のアジ漫画を書き飛ばす手合いが輩出、横行 した時期のことである。破滅的生活で多くの人に迷惑を掛けたと思うが、岸丈夫の生 き方は、オポチュニストに較べてはるかに良心的である。

三十六年の歳月は、進歩的文化人と称するオポチュニストが浮き沈みし、東京裁判と いう勝者の一方的断罪を再吟味して、新しい民主国家を作る気運がようやく芽生えよ うとしている。与えられた民主主義でなくて、日本人が自らが過去の苦悩を正視し て、そこから国造りすることが正道であろう。

迷いから脱却して、遺稿集の出版に踏み切ったのは、戦前の知識人の苦悩を伝えるこ とが、現代に生きるわれわれの義務と悟ったからである。