インターネット文庫始末記

古澤 襄

新しい時代の幕開け、という感慨を最近とみに強くしている。この予感は20年前の 昭和50年頃に共同通信社の編集主幹だった原寿雄氏が、折からマスコミ界を風靡し た”ニューメディア”研究で「新しい伝達手段」の到来を予言したことがきっかけと なって、見よう見まねで勉強しているうちに確信を持ったのだが、今ではインター ネットの虜になって、止まることを知らない毎日となった。

人は”新しがり屋”と言って笑うかも知れない。20年前のニューメディア旋風が吹 き荒れた時にも、多くのマスコミ経営者は多分に懐疑的だった。紙文化はどんな時代 になっても廃れず、電子メディアは一時的なブームがあっても、ブームが去れば、忘 れ去られる運命にあると信じられていた。 私自身が多分に懐疑的だった。もともと文学青年あがりの私は、文章は原稿用紙に万 年筆で書くことの強烈な信仰のようなものを捨てられずにいた。原稿用紙を破り捨て ながら、苦吟する世界から脱するなんて想像もつかなかった。当時小松左京氏がワー プロで作品を書いたことが、ニュースになる時代だった。


タテ書きとヨコ書きの文化


編集主幹になる前、原寿雄氏は総務局長の職にあったが、共同通信社の社内文書はす べてヨコ書きにすることを提案した。まだお役所の文書がすべてタテ書きの頃であ る。社内の反対論を押さえて、共同通信社はいち早く社内文書のヨコ書きを実施し た。先見の明があったと言えばそれまでだが、その当時としては破天荒な改革で、反 対論者の一人だった私は今になって自分の不明を恥じるしかない。

ヨコ書きかタテ書きか、と言うのは、実は重要な意味がある。インターネットで表示 される画面は、すべてヨコ書きになる。画面はすべてタテにスクロールされるので、 タテ書きでは表示できない。電子メディアが隆盛になれば、タテ書きは衰退し、ヨコ 書きが主流になる。

10年ぐらい前から私の手紙はすべてヨコ書きの”ワープロ文”にした。過渡的に署 名だけは自筆にしたが、今では署名もワープロ打ちになった。考えてみれば欧米の書 簡はすべてタイプ打ちのヨコ書きである。世界でも特殊なタテ書きが主流だった日本 文化にも、ヨコ書きの波がうち寄せていると言える。

もっとも新聞ジャーナリズムも出版ジャーナリズムも、まだタテ書きの世界に沈殿し ている。昨年夏、ある新聞社からエッセーの原稿を依頼された。ヨコ書きの原稿を送 り、フロッピーを送ろうかと学芸部長氏に言ったところ、「タテ書きにして送ってく れませんか」と当惑した声で言われた。フロッピーがあれば、瞬時に、ヨコ書きがタ テ書きに変換される。新聞社の一線記者は東芝ルポのような記者ワープロを携帯し、 電話回線で記事を送る時代だが、年配の部長クラスになると電子メディア・アレル ギーがあって、対応できな いでいるのが現状である。

作家とかエッセーイストの方がパソコンやワープロを使いこなしているが、受け手の 新聞ジャーナリズムや出版ジャーナリズムの方が遅れているのも残念ながら現状と言 える。しかしこの問題は時間の経過とともに解消される事柄だ。


コンピュートピアの世界


原寿雄氏に触発されたためか、十七年前に福岡支社長に転出した時に思い切って PC8801-mkUパソコンを購入した。NECの名機PC9800シリーズの前世代機種である。プ リンターを含めて八十万円という高い買い物だったが、支社管内の人事記録、支社発 信の記事・写真記録などをファイルし、検索機能を活用して公平な人事、地方紙の要 望を組み入れた編集活動の強化に役立てた。 しかし、十分使いこなしたとは言えな い。まだ手探りのパソコン利用だった。

本社に戻って経理局長になった時に、初めてパソコンが威力を発揮してくれた。同時 に計算機能を持った簡便なワープロが続々と開発され、パソコンとワープロを併用し て、経営資料となる数値情報を片っ端からファイルし、データ管理することが出来 た。もともとが文学青年あがりの政治記者で、お世辞にも数字が強いとは言えない。 それが曲がりなりにも経理局長を三年勤め上げて、ボロを出さずに済んだのはパソコ ンとワープロのお陰であった。

その当時は、編集職場どころか、事務系職場にもコンピューター・アレルギーがあっ て、「人間が機械に使われる」と言う素朴な反対論が渦巻いていた時代のことであ る。経理職場も電卓が主流だったので、パソコンやワープロを駆使して、いろいろな 角度から数値情報を検討する私のやり方は、いつの間にか数字に強い経理局長という ことになってしまった。

裏話をすれば、まさに冷や汗ものである。

この当時、「コンピュートピアの世界」と言う本がベスト・セラーになった。ユート ピアをもじったこの言葉は、まだ未来予測の予言に止まっていた。だからベスト・セ ラーになったのであろう。たしかにコンピューターは数値情報の世界では威力を発揮 するが、もっとダイナミックな大波となって、私たちの生活に入り込むには時間が必 要だった。それが証拠には、経理局長のあと人事・労務担当の役員になったら経験と カンがものを言う世界に舞い戻ることになった。


デジタル世界の落とし穴


デジタルとアナログの世界と言う言葉は、まだ馴染みが薄いように思われる。しか し、私たちの生活は確実にアナグロ世代からデジタル世代に移行している。デジタル 世界を文学的に表現すれば、イエスかノウかの”二者択一”で仕切る仕組みと言え る。処理のスピードが求められるコンピューターの時代は、二者択一によって瞬時に 結論に到達することが欠かせない。このような仕切り方は、コンピューターのもっと も得意な分野である。

しかし、私のようにへそ曲がり者は、イエスでもないノウでもない中間の灰色が人間 の生活に欠かせないように思う。スピードだけが人生じゃないさ、と言って新幹線を 嫌って在来線の鈍行の旅に魅力を感じる。長かった勤め人の生活を卒業して時間に追 われない年金生活を楽しんでいると余計その思いが強くなる。

スピードと効率化が求められる現代社会では、このような考え方は、社会の脱落者 の”たわごと”なのであろう。

でも一寸待って欲しい。「側に居ると電子計算機の音が聞こえる」と大統領のジョン ソンが言った国防長官のロバート・マクナマラは、合理性と統計だけを信じたため に、ベトナム戦争で兵力の逐次投入の罠にはまり、見事な敗北を喫したではないか。 ハルバースタムの「ベスト&ブライテスト」を読むまでもなくコンピューター万能信 者が蹉跌をきたすのは何故であろうか。最近の政府の不況対策も、言うなら対応策 の”逐次投入の罠”にはまったのではないか。

とは言うものの現代社会は、コンピューターなしでは発展が考えられない。人間がコ ンピューターに使われるのではなくて、当たり前のようだが、コンピューターを使い こなすことが必要だ。


第二のインターネット・ブーム


数年前に”インターネット”という言葉が流行した。しかし間もなく下火となり、 ニューメディアの造語が消え去ったように、この言葉も消える運命かと思われた。広 大な米国では、電話回線を利用したインターネットが事業として成り立つが、国土が 狭い日本ではあまり発達しないのではないか、ともっともらしい理屈がまかり通った りした。

しかし、最近になって”第二のインターネット・ブーム”が静かに進行している。ど うやら今度は本物のように思われる。何故なら、最初のブームは先進的な識者が米国 の流行を見て、日本上陸を早々と予想した”作られた流行”の感があったが、今度の 場合は確実に一般家庭で広がりを見せているからである。

インターネットが家庭に広がっている最大の理由は、その”メール機能”が便利なた めである。私ごとになるが、横浜と国分寺に家庭を持っている二人の娘に最近は手紙 を出したことはない。パソコンでメールを書き、これを流せば瞬時にして伝達出来 る。同文のメールを同時に送ることも可能で、電報よりも早い点が魅力である。

電話のように留守番電話の厄介になる必要もないし、電話ファックスのように一枚一 枚送る手数も省ける。おまけに遠隔地でも10円の低料金で済むことが、何よりも有 り難い。メール機能を使って、岩手県の知人との交流が以前にもまして濃厚となっ た。

メールが使えるようになると新しい挑戦が待ち受けている。最近はデジタル・カメラ が流行しているが、このカメラを使うと家庭用のホームページが簡単に作れる。これ までのカラー写真は10年以上も経つとカラーの色が劣化するが、デジタル・カメラ だと永久にカラーが劣化しない。ホームページで日記風の長文の記録を書き、劣化し ないカラー写真を組み合わせれば、永久に残る家庭アルバムが完成する。しかも、こ れを親戚・知人にメールで送ったり、フロピー・ディスクに落として送ることも可能 である。

インターネットが一般家庭に静かなブームを起こしているのは、このような使われ方 をしているからであろう。

  


ホームページ「杜父魚」文庫


メールを使い、家庭用のホームページを意のままに作れるようになると新しい挑戦が 待ち受けていた。そこがインターネットの奥行きの深さである。

毎月のようにエッセーを新聞や雑誌に書いている仲間たちの共通の悩みは、これまで に書いた作品が時間の経過とともに散逸し、さりとて自費出版のエッセー集を出すふ んぎりもつかないことであった。自分の書いたエッセーが、時間を超えて多くの人に 読んで貰いたいと思うのは、”もの書き”の共通の願いでもある。

仲間の一人が「インターネットの同人雑誌を作ろう」と言い出した。市販でない同人 雑誌は読者が限られるが、不特定多数が相手のインターネットなら読者が無限に広が る可能性がある。おまけに雑誌は読み捨てになる可能性が大きいが、インターネット に収録すれば、ほぼ永久保存となる。しかし、これをインターネット同人雑誌とよん で良いものか、疑問が残った。

むしろ、これまでに発表したエッセーで残したいものを持ち寄り、インターネット文 庫を作った方が現実的でないか、と言うことに自然に落ち着いた。とは言うものの ワープロ文がそのままインターネットに乗るわけではない。福岡支社長当時に簡単な ソフトを作ろうとして、コンピューターの「機械語」をかじった経験があるので、機 械語の難しさを披露したら、新しい文庫の主宰・編集長を私がやる羽目になってし まった。

この夏、試行錯誤のなかで準備をして、七月からインターネットの「杜父魚」文庫が 発足した。ロイター通信社の技術者だった娘婿が、インターネットの会社を興してい たのも幸いした。僅か一ヶ月で、珠玉のエッセーが六十篇も収録され、滑り出しは 上々である。未知の読者からメールで感想も寄せられ、執筆者も女流作家二人、元環 境庁長官だった政治家、テレビ朝日の元報道局長、宮沢賢治の研究家などバラエテイ にとんだ顔ぶれとなった。

インターネット文庫の面白さはページ数の制限がないことである。しかも検索機能を 使えば、自分の好みの執筆者や作品が瞬時のうちに画面に出てくる便利さがある。収 録するエッセーも間もなく百篇を超すだろうから、作者別の「索引欄(INDEX)」をを 作り、作品には「文庫N0.」を付けて、索引の便宜をはかることにした。必要なら ハード・コピーも打ち出すことが出来る。

社長・編集長・機械語の整理部長・雑用係り兼務の毎日だが、”老後”をしば し忘れるひとときに何となく満足している。こんな生き方も「また楽しからずや」 である。