私の本棚(1)田宮虎彦
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父・古澤元と田宮虎彦は、人民文庫の廃刊をめぐって、抜き差しならない喧嘩
別れをしている。昭和十三年一月二日のことだが、麹町の武田麟太郎の家を訪
れた田宮虎彦は、玄関で「お前は何しにきたんだ、何のかんばせがあって来れ
るんだ」と仁王立ちになった父に面罵され、追い返された。 ◆ 廃刊を唱えた高見順、新田潤、田宮虎彦らと武田麟太郎とは、この事件を境に して違う道を歩むことになった。とは言えまだ新進作家に過ぎなかった高見順 らは、流行作家の座にあった武田麟太郎と対立することになり、文壇から閉め 出される不安感にさいなまれた。武田麟太郎は敗戦の翌年、急死するが、もし その死がなかったら、戦後の田宮虎彦はなかったとさえ言われている。 ◆ 「沈没しようとしていた船からいち早く脱出した鼠」と古澤元は田宮虎彦を酷 評した。人民文庫の人気欄だった「若もの一席話」で自由闊達な文学論議を繰 り広げた仲間たちが、ファシズムの嵐に翻弄され、このような仲間争いを演じ たのは不幸な出来事である。 ◆ 戦後、あの出来事を振り返った田宮虎彦は「古澤元の背後に武田麟太郎の”冷 たい心の底をみた”と述懐している。昭和四十九年、集英社の「日本文学全集」 で武田麟太郎集と島木健作集が合本で出版されたが、田宮虎彦は二人の作家の 解説を書いた。「武田麟太郎は私には作家としてより、生身の人間として心に 残っている」という書き出しで始まった解説は、あの出来事の恨み言など片鱗 もみせず、庶民の哀感を追い求めた武田麟太郎の人生観、個性を作品を紹介し ながら見事に描いた。 ◆ そして虚無と絶望の戦いに終始した武田麟太郎が、四十三歳という若さで死ぬ ということがなかったならば、もちろん祈念した境地に到達したかもしれない とその死を惜しんだ。「人民文庫の廃刊後も、武田麟太郎はさらに悪化しつづ ける時局にあくまで反逆しつづけた。戦争に協力する姿勢はついにとらなっか った」と結ぶ解説は、武田麟太郎を惜しむ見事なレクイエムである。 ◆ 志賀節氏に田宮虎彦の作品は読まないと私は言ったが、やはり惹かれる作家の 一人であったので拾い読みしてきた。腰を入れて系統的に読んでいないだけの ことであった。最近になって、人民文庫の初期の作品から読み出している。昭 和十一年十一月の「恥多し」はじめ戦前のものは、高見順が評したように「う まい」作品だが、”うまさ”以上のものではない。 ◆ 私は最近、好きな作家の初版本を意図的に集めだした。物理的に言えば、六十 七歳の身では、文庫本は活字が小さくてもはや読むのが難儀となってきた。そ れと人の手垢がしみ通った古書の初版本は、時代の変遷をかいくぐって来た何 かを感じさせる。武田麟太郎の初版本は、「反逆の呂律」に始まり「風速五十 米」を除く二十一冊が本棚に並んでいる。高見順も昭和十六年の「わが饒舌」 に始まり「東橋新誌」「ビルマ戦記」など戦前の作品を含めて、ようやく十六 冊が集まったが、全冊が揃うまでまだ時間がかかる。偶然だが、戦後風俗作家 として一時代を画した井上友一郎の初版本が、戦前の「青丹よし」はじめ五十 七冊が全冊揃った。 ◆ 田宮虎彦は、やはり戦後作家と言うべきであろう。私の本棚には、昭和二十三 年六月に沙羅書房から出版された創作集「霧の中」の初版本がある。半世紀の 歳月を思わせる所々にしみが出た古書だが、主人公の中山荘十郎は、私の妄想 と断ったうえで「その妄想を現実のかたちとして具象化することによって、私 は私のいのちをみつめたい」と述べた。 ◆ 昭和二十二年十一月から「世界文化」で書き始めたという「霧の中」は、戊辰 戦争から太平洋戦争の敗戦まで、荒波に翻弄された幕臣の孤児の生涯を、達意 の文章で描いた。注目されるのは、田宮虎彦はこの作品に取り組むことによっ て「小説と対決していこう」という気持ちが出来たと言っていることだ。この 言葉の意味は「落城」の初版本を手にするまで、正直に言ってよくわからなか った。 ◆ 昭和二十六年に東京文庫から出版された「落城」の初版本を苦労して入手した 時の感動は一言では言い尽くせない。「この物語は祈りをこめて書いた」とあ とがきに記した田宮虎彦は、戊辰戦争を題材に、実在しない架空の「黒菅落城」 の物語を昭和二十四年に「文学会議」で発表した。初版本は昭和二十三年から 昭和二十五年までの作品、「物語の中に」「落城」「落城聞書」「梟首」「落 人」「末期の水」「暴力」「前夜」「槍沢市左衛門」「菊の寿命」の十編が収 録されている。 ◆ これはまさしく田宮虎彦が築いた独自の「フイクション・歴史小説」である。 歴史小説の手法には、あくまで史実に忠実なノン・フィクションものと史実を 離れたフィクションで歴史を描き出す方法があると思う。宇野浩二は「本当ら しく嘘(フィクション)をつく」のが、小説家の本能だと喝破した。ありのま まの真実に小説家がとらわれると「虚構」の自由が奪われ、案外つまらない作 品の羅列に終わってしまう。この意味で高見順が「小説は話だ」と言ったのは 正鵠を射ている。
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歴史学者は同時代史料に忠実であろうとする。しかし、歴史資料は覇者のもの
が後世に残り、敗者のものが埋没する傾向が無しとしない。古代より朝廷から
化外の民と蔑視され、まつろわぬ辺境の蝦夷とされてきた北の王者の系譜から
絢爛たる藤原四代の平泉文化が生まれている。 ◆ 田宮虎彦の名作として「足摺岬」を推すことに異論を差し挟む人はいるまい。 昭和二十四年に「人間」に発表されたこの作品は、後に暮らしの手帖社から初 版本が刊行された。映画化もされ、昭和五十五年には高知県・足摺岬に文学碑 が建立されたが、まだ初版本を手にしていない。志賀節氏が言う「銀心中」は 昭和三十一年、新潮社から刊行されている。これもまだ入手していない。田宮 虎彦を人民文庫の系譜から追い求めてきた私は、「風の中」「落城」「文学問 答」「愛するということ」「祈るひと」「赤い椿の花」「笛・はだしの女」 「夜ふけの歌」「木の実のとき」で止まっている。この意味で私はまだ田宮虎 彦の作品を読んだとは言えない。 ◆ 田宮虎彦の死を語ることはつらい。ロンドン出張から戻った私は、共同通信社 の局長室で夕刊をみて、投身自殺を知った。昭和六十三年四月九日のことであ る。間もなく、古澤元の没後四十二周年を迎えようとしていた。美を追求した 芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫、太宰治らの自裁で受けた同じ衝撃が走っ た。新聞紙面の大きな扱いに比べて、文芸雑誌の扱いが地味だったことにも言 いしれぬ無常観を覚えた。割り切れぬ思いを抱きながら、六月にニューヨーク、 ワシントンの出張旅行の機中の人となったことを覚えている。翌年一月、昭和 天皇が崩御し、激動の昭和が終わりを告げる。
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