私の本棚(1)田宮虎彦

古澤 襄

田宮虎彦の作品は久しく読もうとしなかった。友人で環境庁長官だった志賀節 氏が、「田宮虎彦の銀心中を読みましたか・・・」と私に聞いたことがある。 「いや、親父と田宮虎彦は犬猿の仲だったから・・・」と私の返事は素っ気な かった。銀心中の作品には、志賀節氏は協力している。そのエピソードを語っ てくれるつもりだった節ちゃんは、私の返事を聞いて、それきり口をつぐんだ。

父・古澤元と田宮虎彦は、人民文庫の廃刊をめぐって、抜き差しならない喧嘩 別れをしている。昭和十三年一月二日のことだが、麹町の武田麟太郎の家を訪 れた田宮虎彦は、玄関で「お前は何しにきたんだ、何のかんばせがあって来れ るんだ」と仁王立ちになった父に面罵され、追い返された。
その前年の暮、度重なる当局の発禁処分を受けた人民文庫は、あくまで刊行を 続けようと主張するグループと当局の弾圧を回避するため自主的に廃刊しよう とするグループに分裂し、主催者だった武田麟太郎は苦渋の廃刊の道を選んだ。

廃刊を唱えた高見順、新田潤、田宮虎彦らと武田麟太郎とは、この事件を境に して違う道を歩むことになった。とは言えまだ新進作家に過ぎなかった高見順 らは、流行作家の座にあった武田麟太郎と対立することになり、文壇から閉め 出される不安感にさいなまれた。武田麟太郎は敗戦の翌年、急死するが、もし その死がなかったら、戦後の田宮虎彦はなかったとさえ言われている。

「沈没しようとしていた船からいち早く脱出した鼠」と古澤元は田宮虎彦を酷 評した。人民文庫の人気欄だった「若もの一席話」で自由闊達な文学論議を繰 り広げた仲間たちが、ファシズムの嵐に翻弄され、このような仲間争いを演じ たのは不幸な出来事である。

戦後、あの出来事を振り返った田宮虎彦は「古澤元の背後に武田麟太郎の”冷 たい心の底をみた”と述懐している。昭和四十九年、集英社の「日本文学全集」 で武田麟太郎集と島木健作集が合本で出版されたが、田宮虎彦は二人の作家の 解説を書いた。「武田麟太郎は私には作家としてより、生身の人間として心に 残っている」という書き出しで始まった解説は、あの出来事の恨み言など片鱗 もみせず、庶民の哀感を追い求めた武田麟太郎の人生観、個性を作品を紹介し ながら見事に描いた。

そして虚無と絶望の戦いに終始した武田麟太郎が、四十三歳という若さで死ぬ ということがなかったならば、もちろん祈念した境地に到達したかもしれない とその死を惜しんだ。「人民文庫の廃刊後も、武田麟太郎はさらに悪化しつづ ける時局にあくまで反逆しつづけた。戦争に協力する姿勢はついにとらなっか った」と結ぶ解説は、武田麟太郎を惜しむ見事なレクイエムである。

志賀節氏に田宮虎彦の作品は読まないと私は言ったが、やはり惹かれる作家の 一人であったので拾い読みしてきた。腰を入れて系統的に読んでいないだけの ことであった。最近になって、人民文庫の初期の作品から読み出している。昭 和十一年十一月の「恥多し」はじめ戦前のものは、高見順が評したように「う まい」作品だが、”うまさ”以上のものではない。

私は最近、好きな作家の初版本を意図的に集めだした。物理的に言えば、六十 七歳の身では、文庫本は活字が小さくてもはや読むのが難儀となってきた。そ れと人の手垢がしみ通った古書の初版本は、時代の変遷をかいくぐって来た何 かを感じさせる。武田麟太郎の初版本は、「反逆の呂律」に始まり「風速五十 米」を除く二十一冊が本棚に並んでいる。高見順も昭和十六年の「わが饒舌」 に始まり「東橋新誌」「ビルマ戦記」など戦前の作品を含めて、ようやく十六 冊が集まったが、全冊が揃うまでまだ時間がかかる。偶然だが、戦後風俗作家 として一時代を画した井上友一郎の初版本が、戦前の「青丹よし」はじめ五十 七冊が全冊揃った。

田宮虎彦は、やはり戦後作家と言うべきであろう。私の本棚には、昭和二十三 年六月に沙羅書房から出版された創作集「霧の中」の初版本がある。半世紀の 歳月を思わせる所々にしみが出た古書だが、主人公の中山荘十郎は、私の妄想 と断ったうえで「その妄想を現実のかたちとして具象化することによって、私 は私のいのちをみつめたい」と述べた。

昭和二十二年十一月から「世界文化」で書き始めたという「霧の中」は、戊辰 戦争から太平洋戦争の敗戦まで、荒波に翻弄された幕臣の孤児の生涯を、達意 の文章で描いた。注目されるのは、田宮虎彦はこの作品に取り組むことによっ て「小説と対決していこう」という気持ちが出来たと言っていることだ。この 言葉の意味は「落城」の初版本を手にするまで、正直に言ってよくわからなか った。

昭和二十六年に東京文庫から出版された「落城」の初版本を苦労して入手した 時の感動は一言では言い尽くせない。「この物語は祈りをこめて書いた」とあ とがきに記した田宮虎彦は、戊辰戦争を題材に、実在しない架空の「黒菅落城」 の物語を昭和二十四年に「文学会議」で発表した。初版本は昭和二十三年から 昭和二十五年までの作品、「物語の中に」「落城」「落城聞書」「梟首」「落 人」「末期の水」「暴力」「前夜」「槍沢市左衛門」「菊の寿命」の十編が収 録されている。

これはまさしく田宮虎彦が築いた独自の「フイクション・歴史小説」である。 歴史小説の手法には、あくまで史実に忠実なノン・フィクションものと史実を 離れたフィクションで歴史を描き出す方法があると思う。宇野浩二は「本当ら しく嘘(フィクション)をつく」のが、小説家の本能だと喝破した。ありのま まの真実に小説家がとらわれると「虚構」の自由が奪われ、案外つまらない作 品の羅列に終わってしまう。この意味で高見順が「小説は話だ」と言ったのは 正鵠を射ている。

歴史学者は同時代史料に忠実であろうとする。しかし、歴史資料は覇者のもの が後世に残り、敗者のものが埋没する傾向が無しとしない。古代より朝廷から 化外の民と蔑視され、まつろわぬ辺境の蝦夷とされてきた北の王者の系譜から 絢爛たる藤原四代の平泉文化が生まれている。
明治維新で朝敵となった会津藩、南部藩の悲惨な歴史は、薩・長藩閥政治から 一顧も与えられなかったが、敗戦を契機にして再認識されようとしている。田 宮虎彦の「落城」は、フィクションの世界で決して屈しなかった黒菅藩を構築 し、明治以降の天皇制絶対主義に鋭く迫っている。

田宮虎彦の名作として「足摺岬」を推すことに異論を差し挟む人はいるまい。 昭和二十四年に「人間」に発表されたこの作品は、後に暮らしの手帖社から初 版本が刊行された。映画化もされ、昭和五十五年には高知県・足摺岬に文学碑 が建立されたが、まだ初版本を手にしていない。志賀節氏が言う「銀心中」は 昭和三十一年、新潮社から刊行されている。これもまだ入手していない。田宮 虎彦を人民文庫の系譜から追い求めてきた私は、「風の中」「落城」「文学問 答」「愛するということ」「祈るひと」「赤い椿の花」「笛・はだしの女」 「夜ふけの歌」「木の実のとき」で止まっている。この意味で私はまだ田宮虎 彦の作品を読んだとは言えない。

田宮虎彦の死を語ることはつらい。ロンドン出張から戻った私は、共同通信社 の局長室で夕刊をみて、投身自殺を知った。昭和六十三年四月九日のことであ る。間もなく、古澤元の没後四十二周年を迎えようとしていた。美を追求した 芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫、太宰治らの自裁で受けた同じ衝撃が走っ た。新聞紙面の大きな扱いに比べて、文芸雑誌の扱いが地味だったことにも言 いしれぬ無常観を覚えた。割り切れぬ思いを抱きながら、六月にニューヨーク、 ワシントンの出張旅行の機中の人となったことを覚えている。翌年一月、昭和 天皇が崩御し、激動の昭和が終わりを告げる。