風の詩人

堀江 朋子

ともかく書いてみようと思い立って、十数年が過ぎた。手さぐりで文献を調べ、人に 逢い、父の書いたものを読み、何とか形になった。しかし意は通じているか、構成は どうかといったことから、独断や思い込みを克服して、父のことを客観視できたか、 父の時代を理解できたかどうか、自信はない。

この間、私の物事を見るまなざしは、少しずつ変わっていった。私の年月の積み重ね の中で、人間の多面性や、物事の表裏、見えざる一面にも思いが到るようになった。 しかし、それを文章として表わせたか、これもまた、自信がない。

私の今の微温的生活からすれば、激しい時代を生きた父。しかし父娘として日常の中 でむかいあった時、父が自分の前半生を語ることは全くなかった。私も、父の生きた 時間に思いを馳せることはしなかった。

父がこの世にいなくなって、共に過ごした日々への郷愁とともに、人の生命の時間の かけがいのなさを切実に思うようになった。父の暦を辿ってみたいと思いはじめたの もその頃からであった。それはまた、我が生への想いでもあった。父のことを書くこ とは、私自身の生を照射することであった。

その間、父と同時代を生きた人達も次々と鬼籍に入った。取材に応じてくれた父の中 学時代の同級生関井仁氏、アナ・ボル論争の論敵小野十三郎氏、プロレタリア文学運 動にともに係わった山田清三郎氏、佐々木孝丸氏、なめくじ横町時代からずっと親交 を保った尾崎一雄氏、また中谷孝雄氏、「人民文庫」時代の田宮虎彦氏、古我菊治 氏、石光葆氏、「文芸復興」同人の人達、そして「文芸復興」主宰の落合茂氏。

母の死は不意打ちであった。父のことを書いて欲しいと乞い、上梓を心待ちにしてい た母。
「私に何でも聞いて頂戴。記憶していることは何でも話すわ」
「本の執筆はどのくらい進んでいるの」
「あの出版社にあたってみたら」
折々の母の言葉が心に蘇る。この作品は、母への鎮魂賦でもある。

なお、この作品の中に、父の詩や文を多く引用した。文学全集等に収録されている父 の詩は、プロパガンダ的なプロレタリア詩が殆どで、父の詩の本質を伝えるもの、良 いものが知られていないのではないかよいう娘の思いからである。