独り暮らしその一人、A子は43歳。キャリアと能力を買われて半年前、担当部門の責任者に なった。「田舎から出て来て、結婚もせずに頑張った甲斐があったわ。これからバリ バリやるから見ていててよ」眸をきらきらさせて彼女は言った。若い頃から愛情問題 もスマートに処理してきた彼女は、部下の扱いや同僚とのつきあいにそつはない。海 外出張もさっそうとこなした。「独り者の有り難さが身にしみたわ。亭主や子供がい たら、こう思い切って働けないでしょう」晴れやかな笑顔が眩しかった。 ◆ そのA子が会社を辞めた。理由は、二年前から同居していた母親のノイローゼだっ た。女手一つで彼女を育てた母親は、70近くまで郷里の小さな町で雑貨屋を営んで いた。脚腰の弱まりで娘の許へ身を寄せたが、母親にとって東京のアパート暮らしは 耐え難かったのだろう。A子が仕事で出張がちになり、忙しさで母親を忘れる日が続 いた頃から、子供のように娘の後を追い廻すようになった。ドアの外で帰宅を待った り、駅までついて来たり、ガスを消し忘れたりした。 ◆ 「私を駄目にする気って、母を小突いたり罵ったり・・・ずい分悩んだわ。会社では 一年休職にしようと言ってくれたけど、甘えられなかった。私が手を握っていると安 心して眠る母を見ていると、生きるってことの意味を考えさせられたわ。もし私に子 供があれば、母は孫と暮らす楽しみも味わえたのよ。結婚もせずに子供を産まなかっ たのは私の意志だけれど、母は私だけが生き甲斐だった・・・施設へ預けてでも勤め たい、って、考えたができなかった。仕事?そりゃ、無念よ」 ◆ 半月後、A子は母親を伴って郷里の町へ帰って行った。「母を看取って独りになった らまた、好きな仕事を始めるわ・・・」最後に逢った日の彼女の表情はおだやかで優 しかった。私は改めて、肉親を看取る責任のない立場で、身勝手に生きてきた自分の 長い時間を考えた。 ◆ B子は、私の小学校の級友である。郷里の町で保育園の保母をしている。11歳の時 に父親が事故死。彼女の下には妹と弟がいた。気丈な母親は残された田畑を作りなが ら、三人の子供を育てた。利発だったB子は進学を断念、働きながら高校を卒業、保 母の資格も取った。母親の片腕として弟妹の面倒を見る年月の中で、彼女の20代、 30代は消えていった。「恋も結婚も考えなかった、と言ったら嘘になる。迷ったけ ど踏み切れなかった。自力で生きてる方が安心なの。私って、植物人間かな・・・」 屈託なく笑っていたB子。 ◆ その彼女が、去年独力で家を建てた。彼女が働けなくなれば、家は本人の施設入所と 引き替えになる仕組とか。 ◆ 新築祝いの席で、弟が挨拶した。「昔は、女の細腕と言ったが、今は女の太腕の時 代、姉を誉めてやってください・・・」新築の家で、寝たっきりの老いた母親を看な がら、B子が言った。「これまで、心の隅に肉親の犠牲になった、という思いがあっ たけど、本当は家族に支えられてたのかもしれない。この家は、私が生きた歳月の証 ね」書いたことで過去をふっ切れた自分のことを重ねながら、私はそれを聞いた。 ◆ C子は35歳で、中堅会社の社長秘書である。自力で買った一DKのマンションに一 人で住んでいる。別の会社に勤める恋人がいるが、男は三十八でまだ独身。彼の家庭 の事情から二人は結婚も同棲もできないまま、十余年も過ごしてきた。仕事で自立し ようと突っ張っている彼女は、時々気持のコントロールがきかなくなり、私のところ へ電話してくる。「踏み切れない男を殺して私も死にたい・・・」「見切りをつけ ろって?判ってる。だって、好きなんだもの、別れられない。子供だけ産んで育てよ うかな・・・早くしないと間に合わない?判ってるわよ」そして「今、一人でお酒呑 んでるの、淋しくてさみしくて・・・」と電話の向うで絶句する。 ◆ だが仕事で報われた日などは、明るく華やいだ声音で、「ねえ、私って、いい女だと 思わない?だって、彼なんてぜんぜん当てにしていないのよ。自力で生きてんだか ら。男なんて駄目ね・・・仕事が最高よ」そのC子が先日、深夜に電話をかけてき た。「今お巡りさんが帰ったとこ。知らない男がドアを叩いて開けろって怒鳴るの よ。え?酔っぱらいじゃないわ。シラフよ。110番したら逃げちゃった。一人暮ら しを狙ってるから、あなたも気をつけて・・・」 ◆ 三日後、「ゆうべもいたずら電話で眠れないの。あなたが好きだ、って、切っても 切ってもかけてくるの・・・知らない男よ」翌日、「駅からマンションまで、高校生 らしい男に尾行られたわ・・・怖くて。どうしたらいい?」私は不安になって、わざ と彼女の話しを軽く受けた。「あなたが若いから女学生に見えたのよ」 ◆ 「なによ、人をバカにして。私、本気で話してるのに、ひどいわ!」昂ぶりの異常さ に驚いて、私は慌てて詫びた。そして自分の49という歳や彼女と同年だった頃を考 えた。一途な真面目さは自縛につながる。彼女の訴えが妄想でないことを願い、早い 時期に、男との現状を打開して欲しいと思っている。 ◆ D子、E子・・・離婚したり未婚だったりする彼女達は、今の風潮にそそのかされた わけではない。誰もが自分の内部に必然性を抱えて生きてきた。結果を悔いることは あるまい。私の身近には今、24になる姪がいる。看護婦として自立しているが、し きりに結婚にも迷っている。 ◆ 「早く嫁に行きなさい・・・」私は時折憎まれ口を叩くが、困難な時代に向かって生 きる彼女の、これからを想わずにいられない。
|