農家の姿が見えてくる 「女の階段」誌評◆ 一篇ごとに住所、氏名まで丹念にたどるうちに、私は二十数年前に脱け出した郷里の 村に、自分が暮らしているような感慨を抱いた。 ◆ 昭和三十二、三年ごろ、私は人生の岐路に立っていた。新しい農婦の夢をかけた恋の 相手に裏切られ、心にもない結婚をあうるか、自立のために村を出るか・・・。悩み 苦しんでいる時、農民文学の存在を知った。手探りで自己表現の文章を書くことで、 私は上京して女一人の階段を上り始めたのだった。あの時、ペンにすがる道をたどら なかったなら、今の私はどうなっていただろう。 ◆ 「女の階段」二十周年記念誌に載った前半の手記のすべてには、書くことで自己表現 を果たしていく悦びと、仲間を得て励まし励まされた感謝の思いが記されている。ど の一篇にも、日本農業の歴史と農家のありようと、人間の生きざまが凝縮されてい て、一行の無駄もない。書き手の女性たちは、年代を問わずひたむきで、健気で強 く、したたかである。そしてみな一様に律儀で謙虚だ。 ◆ 反響特集、あの時の「女の階段」、農の女たちへ、とそれぞれの章に共通して流れる のは、ぎりぎりの線まで踏ん張って生きた女性たちの、ほとばしるような本音であ る。 ◆ 嫁姑夫婦、親子、生活習慣、農業、社会と、あらゆる問題に立ち止まり、悩み、書い ては訴え、読んでは考える女性たちの姿勢のひたむきさには、胸が熱くなる。私も村 で結婚していたら、こうだったろう、ああだったかもしれぬ・・・そんな共感で涙ぐ んだり苦笑したり、拍手を送ったりさせられた。 ◆ それにしても、まだまだはた目のうるさい農村で、実名入りの文章を書くことは、さ ぞ勇気のいることだろうと、我が身を顧みて実感する。私にとっても文学や人生の大 先輩である丸岡秀子先生はじめ、かかわりを持たれた諸先生方のお力もあってのこと だと思う。書くことで社会を見ることは、本当に心強い。 ◆ それにつけても考えさせられるのは、農村における男性たちのあり方である。嫁姑問 題や妻の勉強などに見せる態度は、まだ古い。手記にもその指摘があった。農の女は 周りに愛情をふりまきながら、自分の愛に飢えている・・・と。 ◆ 愛とは思いやりと理解である。まず男と女が対等に生きることから始まるのだと、青 春のころから現在も、私は思い続けている。農家といわず、世の男性たちにぜひとも この本を一読してもらいたい。そして中央や地方で政治にかかわる人々にも、一度目 を通してもらいたい。農業の現実と、けんめいに生きる姿がはっきり見えてくるだろ う。
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