ひとりの祭◆ 入居した年の八月、深川八幡の本祭りにぶつかった。十五日の朝ま だき、戸外がひどくざわめいている。ベランダへ出てみて仰天した。 四階から見下ろす牡丹通りを、神輿の行列がびっしり埋めていた。 ◆ 五十基の神輿が勢揃いする出発地点だったのである。下町をなにも知 らずに越して来て、この幸運にめぐり逢い有頂天になった。私の住ま いから深川八幡宮までは、歩いて十二、三分であり、並びには深川不 動尊があって、月に三日縁日が立つ。 ◆ 仕事に疲れると、私はよくこの辺を散歩する。川があって橋が多く、木 場の名残りをとどめる川筋の風景は、毎日眺めていて少しもあきない。 史跡めぐりのもこと欠かず、辰巳芸者の出入りする料亭が軒を並べる小 路も、寂れはしたがまだ充分風情がある。 ◆ 私が越して来た頃は、この小路で夜ともなれば、新内流しの爪弾き聞か れた。粋な着流し姿で、三味線抱えて流していたのは、初老の男だった。 ◆ 木場が移され、川面に木材が見られなくなると共に、岸辺にニョキニョ キと高層ビルが建ち始めた。マンションやホテルである。見通しがきか なくなり、川面を彩る夜のネオンも、風情を無くして情緒が薄れた。 ◆ それでも、ここには祭がある。三年に一度の本祭のほかにも、毎年町内 ごとの祭は行われている。門前仲町の商店街には赤白の引き幕が張られ、 提灯がゆれて、ピーヒャラ、と祭囃子も流される。 ◆ マンションの管理組合から、町内会に納める寄付金の話が持ち出される 頃になると、私は近づく祭の気分で落ち着かなくなる。 ◆ 猫と二人の暮らしだから、祭に浮かれて飲んだりさわいだりするわけで はない。それでも、自分の町の、地元の祭だという気分になるからおか しなものだ。
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目黒や品川に居た時代は、身近な祭にもさして心を動かされなかった。旅
行者の気持ちで暮らしていたのだろう。 ◆ なつかしく思い出されるのは、部落の真ん中にある観音堂のリンゴ市であ る。八月の下旬だから、農家では稲の三番除草が終わって、ホッとした時 期に当たる。昼は坊さんによる供養の読経があって、村人は持ち寄った酒 を酌み交わす。夕方から夜の更けるまで、部落の沿道にはびっしりと、リ ンゴを山積みした露店が並んだ。アセチレンの匂いが立ちこめる夜道を、 浴衣やワンピースに着替えた村人達が、ぞろぞろと集まって来た。私の小 さな初恋は、そんな素朴なにぎわいの中で芽生えた。 ◆ 今、東京の下町で味わう夏祭は、粋でいなせで、盛大で、めっぽう威勢が いい。いそいそと神輿見物に行く私は、もう恋の味も知りつくした姥桜で ある。 ◆ 独り暮らしの女にとって、祭とか正月とかの、世間様がにぎやかに楽しむ 時というのは、どうも工合が悪い。正月の淋しさを独りで耐えるのが嫌だ から、旅に出るというエッセイを書いた女流作家がいた。
◆
祭も似たようなものだ。浴衣などを着て、神輿見物の人混みにまぎれてみ
ても、一人はやはり独りである。まわりはみんな家族連れか、アベックか
グループで、「見て、見て!」「ワッ、すごい!ね、ね・・・」などとや
っている。こっちもワクワクして、同意を求めようとするが、合槌打って
くれる連れが居ない。 ◆ 神輿見物は炎天がいい。冷夏の時は、見物人もはずまなかった。初めて見 た日は、アスファルトも溶けそうな猛暑で、神輿を担ぐ男達の全身から湯 気が立っていた。
◆
ここの祭は、別名水かけ祭と言うだけあって、沿道から浴びせられる水の
量は大変なものである。地鳴りのようなどよめきが近づくのを、今か今か
と待つのも楽しい。
◆
背中いっぱい、花札の図柄なんかを浮かせた、いなせな若い衆なども居て、
江戸の祭の遠い賑わいが甦ってくる。
◆
五月に上梓した小説の中で、私は主人公の一人を深川生まれに設定した。
◆ そんな人物達が、いつの間にか、私の生活圏内に紛れこんで来た。魚河岸に 勤めるKさん、呉服屋の若旦那、不動産屋を営む肝っ玉母さん・・・。十一 年の歳月がもたらしてくれた結果だろうか。 ◆ 私は最近、木場の歴史に惹かれている。暮らしの中から眺め、肌で触れた感 じのその奥を知りたいと思う。これから先もたぶん、ずっとひとりの祭を味 わうだろうが、ここに住むかぎり悔いはない。
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