昭和十八年 夏配属将校のきまり文句であった。Sの平手が何回も私の頬を打った。倒れかか る私の胸倉を掴みあげては打ち、最後には、拳が飛んできた。ルール違反だ、 との意識が一瞬掠めたが、私はそのまま俯せに倒れた。鼻血が出た。血を見た Sは、殴打をやめた。
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「解散」 ◆ 小学六年の時の不勉強がたたった私は、公立校への受験を許されず、私立の高 千穂中学に入った。親しかった仲間のほとんどは、公立校に進学。自然、私は 彼等と疎遠になった。学校は東大久保にあった。巣鴨から市電に乗り、水道橋 乗換えで通った。家の前を、近所にあった市立三中の生徒たちが、「歩調取れ」 の姿勢で颯爽と登校していた。私は、毎朝、その一列縦隊を横目で追いながら、 電車に飛び乗った。
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校舎は木造の二階建て。入学式の日、兵器庫の裏で、煙草を喫っている上級生
たちを目撃した。剣道場の板壁は、何か所もはぎ取られ、裏庭には焚き火の跡
がそこここにあった。私は、焦げた木片を何度も蹴散らかした。 ◆ 入学以来、唯一私を捉えたのは、音楽の時間であった。音楽教師Aは、決して 出欠をとらなかった。胸のハンカチを毎日変えてくることで有名であった。最 初の授業で「オールド・ブラック・ジョー」、以後つぎつぎにフォスターの曲 を教え、毎時間必ず最後に、「星条旗よ永遠なれ」を、英語で合唱させた。A は、題名を教えなかった。まして、その曲がアメリカの国歌などとは、一言も 説明しなかったから、私たちは単なる英語教育の一環、ぐらいにしか考えつか なかった。なにしろ英語の授業は始まったばかり、中学一年に、日本語の訳な ど理解しようがなかった。 五月末、アツツ島守備隊玉砕。以前、よく両親に 連れられていった日本劇場の壁面に「撃ちてし止まむ」の大ポスターが掲げら れ、学年毎に集合、陸軍軍楽隊の伴奏で「愛国行進曲」を斉唱させられた。六 月、連合艦隊司令長官山本五十六の国葬には、日比谷公園近くの沿道に、学校 全体で参列、長い葬列に、黙祷した。帰路。なぜ、戦死の大本営発表がすぐ行 われなかったのか、小声で話す者もいたが、私はただ押し黙っていた。 ◆ 六月下旬、突然、一年生にも軍事教練が課せられることになった。まず六月い っぱいは、試験的に銃剣道の実技を週一回実施。二学期から正規の科目に加え られる旨、校長が予告、合わせて、さりげなく音楽教師の辞職が発表された。 その日、すでに音楽教師の姿はなく、別れの言葉も遂にきけなかった。彼は、 歌を教える以外に、音楽に関する講義はもとより、人生論らしき話も一切しな かった。そのせいか、彼の肉声を、私は何一つ覚えていない。辞職後、身辺に 変化があったかどうか。私たち生徒に、知らされることはなかった。
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夏休み。隣組から、防空壕掘りの督促が厳しくなった。母は、従兄の大学生ま
で狩り出して、夏休み中の完成を望み、私たちを急き立てた。「爆撃受けちゃ
ったら、どうせ助かりっこない」 ◆ 裕福な家の仲間Kが、親に謄写版をねだり、私たちは毎日、その家でガリ版を 切った。Kの家は、五反田の高台にあった。父親は、化学関係の実業家だった。 洋書のぎっしり詰った書棚、私の背丈ほどはある置時計。「実は養子なんだ」、 Kが一言洩らしたことがあった。住む世界に反発しながら、この一言が、私を 彼に近づけた。三時になると、以前、お抱えの運転手だったという白髪の男が、 紅茶を運んできた。
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『葱』。誌名である。最初『葱ぼうず』ときめていたが、子供っぽいという理
由で、『葱』に落ち着いた。葉書大のサイズだったが、二十数頁にはなった。
戦時下の「日記」をそのまま提出した仲間もいたが、私の関心は、戦争の埒外
にあった。
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二学期に入り、私は『葱』をこっそり何人かの級友に配った。時節柄多少の引け
目はあったが、内心では誇らしく、満ち足りてもいた。Sが教頭に『葱』を、一
種のつけ口として、届けたという噂はきいたが、私は、さして気にとめないでい
た。
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そんな私に、担任教師は風紀委員を命じた。単に、一学期の成績に照らしての任
命であった。しかし教練に自信をなくした私に、風紀をただす気概など持てる筈
がなかった。上級生の真似をして煙草を喫う者もいたが、私は見て見ぬふりをし
た。Sが私を、公然となじった。
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教練の重要な教科の一つに、銃の手入れがあった。銃身を分解、鰯の油で磨き、
上級生の実弾射撃に備えておく作業である。教練の時間になると、途端におどお
どし、落ち着きを失う私は、こともあろうに、鰯の油の入った缶を蹴飛ばしてし
まった。生臭い臭気が漂い、油は校庭の砂利にしみこんでいった。伝令が走った。
折り返し将校からの命令で、クラス全員、直立の姿勢で整列させられた。
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一人のあやまちは全体の責任、将校は語気を強めた。彼は、私を一番右端に立た
せ、まず往復ビンタ。あとは順次平手打ち。クラス全員六十五人、さすがの将校
も、中途から、打つ手を右から左に変えた。 ◆ 檄を飛ばすや、将校は踵を返した。級友全員が、私をとり囲んだ。胸を突く者も いた。Sが、私の前に立ちはだかり、気色ばんだ級友を制した。私が、Sから呼 び出される前日のことである。制裁は覚悟したが、その日は、私の予想より、は るかに早かった。 ◆ 一人になった私は、兵器庫の横にある水飲み場まで辿りつき、口をゆすいだ。頬 の内側が裂け、血が止まらなかった。倒れた時に噛みこんだらしい砂利が、血へ どにまじって流れ出した。二時間近く、蹲っていたろうか。二度ほど吐き気を催 し、思いきり吐いた。校庭に、人気はなかった。校門を出た私は、初めて警戒警 報下であることに気付いた。市電は止まっている。私は、人っ子ひとりいない軌 道の上を歩いた。レールの反射が、やたら眩しかった。私は「空の神兵」と「新 雪」を交互に歌いながら歩いたが、喉に血啖がからみ、発声は、ままならなかっ た。神楽坂あたりで、警報解除のサイレンが鳴った。動き出した電車に乗り、巣 鴨のわが家についた時は、六時を回っていた。 ◆ 母は、すでに、店に出ていた。開店当初、五人もいた女性は次第に減り、住込み の女性ひとりになっていた。カーテンの隙間から盗み見るたびに、客にもカーキ 色の国民服、戦闘帽が増えていった。「ママさん、この頃軍歌を歌うお客さんの 席についてくれなくて」女性から愚痴をきかされたばかりであった。最近、わが ままのきく客の前では、タンゴの曲ばかり掛け、何度も針を戻す、という。その 夜も、耳なれた「ラ・クンパルシータ」だった。卓袱台の上には、いつものよう に、ふきんのかかったテンヤ物。私は、念入りに口をすすぎ、緩慢に蒲団を敷く。 母に腫れ上った顔を見咎められずに済んだことで、安堵した。夜中、何回か血の 滲んだ唾液を吐いた。
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翌朝、顔中の火照りで目覚めた。前歯が一本ぐらついていた。母には喧嘩をした、
といい繕い、店の冷蔵庫から氷を持ち出し氷嚢に詰めた。母の手前、教科書をカ
バンに入れてはみたものの、鏡の中に青黒い顔の自分をみつけた瞬間、登校する
勇気は消えた。とはいえ非常時下、無為に過ごす姿を、隣組の人に見られたくは
なかった。
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