ホスピスにて頑張って下さい、などとは、決して口にすまい。私は、病室をノックする時、 改めて反芻した。脇田さんは、ベッドの背を立てて、ペンを走らせていた。私 の方を向いた顔は、柔和な笑みをたたえていたが、折り曲げた体は、一回り小 さくなっていた。
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「一週間前から、いよいよモルヒネ系統になっちゃってね」 ◆ 部屋の広さは、十畳ほどある。柔らかい午後の陽射しが、ベージュ色のカーテ ン越しに、脇田さんの横顔を彩る。小さな冷蔵庫、二十九インチのテレビ、卓 上に数冊の書籍、執筆台に書きかけの原稿用紙、窓際にゴルフのパターが二本。 それらの調和は、とても病室とは思えない。上質なホテルの一室といっていい。 ◆ 神奈川県足柄郡中井町にある「ピースハウス病院」。三年前に出来た日本初の 独立型ホスピスである。平塚と秦野にはさまれた高台。ゴルフ場に隣接し、天 気のいい日には、富士山が目の前に大きい。病床二十二、うち個室十二、二ベ ッド室が一、四ベッド室が二となっており、脇田さんは個室に入っている。差 額ベッド料、一日一万五千円。ナース十七人にホスピスボランティアが毎日八 人、患者の話相手になっている。
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「ここにはいれたおかげで、最後の原稿を仕上げることが出来そうなんだ。あ
と二、三枚で、大団円だよ」
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「入院するのは、難しかったんでしょう」 ◆ 脇田保。七十二才。サンケイ新聞社在職中に、「われらプロサラリーマン」(ダ イヤモンド社刊)を発表。それを機にフリーとなり、以来、中高年問題や生涯学 習を中心に著述や講演に打ち込むようになった。主な著書に「いきいき塾年人生」 「ひらき直り人生のすすめ」。持論は平凡だが、体験に裏打ちされた人生論は、 中高年の男性読者に支持されていた。常々著者は、「美しく老いるためには、自 分も妻も、健康が第一」と力説していたが、実生活では、十一年前に奥さんが脳 出血で倒れ、今年の三月他界するまで妻の介護に没頭した。子供にめぐまれず、 いきおい、家事一切からリハビリまで、一人何役もこなしながら、執筆活動を続 けてきた。奥さんの葬式を終え、ほっとしたのも束の間、五月末、自身が胸に痛 みをおぼえた。検査の結果、末期の肺ガンと宣告され、即入院となったのである。
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二十年来の飲み仲間である私は、介護の合間をぬっては強引に誘い出した。 ◆ 八月初旬、脇田さんから、長い手紙が届いた。ターミナル・ケアを受けるため、 すでにホスピスに転院。九月いっぱいのいのち、と医師からいわれている。入院 後、治療としては、左右の肺から、六千C、Cの水を抜き、その確認のために二 回レントゲンを撮ったのみ。あとは程度に応じて、痛みどめの薬が投与されるだ けだという。水の容積分だけ、六キロ体重が減った、と明るく書き添えてあった。
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九月十五日、私は、おそるおそる電話を掛けた。本人の病室直通の番号が、手紙
に書いてあったのだ。かすれてはいたが、元気な声が返ってきた時には、心底、
安堵した。ホスピスときいただけで、見舞う勇気の出なかった私は、元気な声に
甘えて、この日の訪問を約したのである。 ◆ 「きのう、昔のゴルフ仲間が十五人、隣のゴルフ場にやってきてね。帰りがけに 寄ってくれたんだよ。全員で大宴会さ。もちろん私も飲んだ、飲んだ。とうとう 酔っ払いが一人、泊まりこんじゃった」
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訪問者の泊まりは、一泊二千円。一升瓶の中身を確かめた脇田さんは、「残ってる、
やらないか。ビールもある」
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脇田さんの視線の先には、民芸風の机の上に位牌が一つ。一輪挿しに、りんどうが
二本。
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「すまない。飛んだ愁嘆場、みせちゃったな。近頃、回路が故障しちゃってるんだ」
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私たちの会話は、すでに二時間をこえていた。「またきます」とだけいって、脇田さ
んと握手。握力は十分にあった。 ◆ もともと私は、ガンの告知を望んでいる。しかし、脇田さんのように、闊達に会話を 試み、心おだやかに原稿を仕上げることなど出来ようか。 たしかに、病人のいうよ うに、設備はよく出来ている。しかし、直面する死を、優しく包みこむ環境は、かえ って、当人に死を意識させはしないのか。今見学してきたばかりの、心憎い気配りが、 一日単位の死を待つ身には、苛酷な演出に思えてきた。
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人間らしい死に方は、私たちの望みだが、しつらえられた死は、あまりにも、冷徹す
ぎる。激痛からは、何としても逃げたいが、静かに、死をみつめるだけの日々に、私
は、耐えられる筈がない。ホスピスでの死を羨ましく思う一方で、私は、自身の意気
沮喪からくる不安に、苛立った。 ◆ 九月三十日午後九時四分、脇田さんは力尽きた。通夜の席で、最後の著書は十一月一日、 ダイヤモンド社から出版予定、ときかされる。葬儀、告別式は、十月三日、相模原市の シティホール相模斎場でとりおこなわれた。(一九九六年十一月)
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