宗教記者が聞いた「体と心のはなし」

−東大教授・島薗進氏にインタビュウする−

森 忠幸
―伝統宗教、新宗教、新新宗教には共通項があると思われますか。

 東アジアは、大乗仏教が入ってきて、最初は国家仏教ですが、次第に、民衆にも広まるようなことになります。東アジアの、中国・韓国・日本とみると、日本は一番、大乗仏教が民衆生活に深く浸透したといっていいと思います。それも、純粋な宗教というより、神仏習合のような形でね。逆に民衆に浸透したからこそ土着的な文化と馴染むところも多かった。それから鎌倉仏教が興り、その中に浄土教を中心として、民衆を支持者とする、つまり政治的、経済的な力を持った人だけではなくて、ごく普通の、農民、庶民が支え手となるような仏教が広まりました。津々浦々にお寺があるというようなことが興ったわけです。これは15世紀から17世紀ですね。個々人が宗教の支え手となる、そういうことがわりと早く興りましたね。

 ところがそういうことが危険だという面も、統治する側からいうとありました。これはキリシタンの影響もありますが、17世紀というのは宗教統制の時代で、宗教集団に一定の役割をあたえながらも、危険な政治性を持たせない、というように非常に気を使うようになりましたね。
 そこでいわゆる檀家制度ができ上がってきます。檀家制度は一人一人が、あるいは一軒一軒が、お寺と非常に密接な結びつきを持ちますが、しかし、信仰の中身は、やや薄まると、いうようなことを含んでいました。それを補うように、江戸時代にも、檀那寺とは違う宗教家、宗教施設というものが、活発に活動しました。そのなかで特に目立つのは山岳宗教です。例えば、四国遍路が江戸時代に凄い勢いで広まったりしました。そういう遠隔参詣的なもの、金毘羅さんとか、成田さんとか、こういうのは檀那仏教、檀家仏教とはだいぶ違うわけですね。

 それから少し色合いが違うのでは石門心学です。石田梅巌が始めたのですが、これは儒教が民衆化して、神道と儒教と仏教が混じったようなものです。道教の話もしている。しかし、儒教というと偉い政治的な治め手の側、治者の教養という面があり、一人一人の町人や農民が道徳的な主体にならなければいかんということを唱えておりますね。
 仏教のなかでも日蓮宗ですと、お寺の仏教の中に講ができてきた。これは在家の中にそういう熱心なリーダーが出てくるのですが、こんなことが起こってきて、檀家仏教をバックは大変優遇して統制したわけです。そのために、様々な宗教運動が広まってきた、というようなことがあります。

 明治時代になりまして、今度は新たに国家神道を作っていきました。信教の自由ということが広まったわけです。そこで、檀家仏教とは異なる、従来もある程度発展してきた民衆宗教的なものが、新たに宗教集団を作っていきました。そのリーダーは、必ずしも高い学問的教養のあった人ではありません。学歴からいうと、中ぐらい以下というような人たちが宗教的リーダーになって集団をつくっていく、そういうことがあちこちで興ってきました。江戸時代にすでに講の集団があったり、石門心学があったり、山岳信仰があったりしましたが、そういうのがもうすこしまとまった宗教教団のようになってきたわけです。これが新宗教だという理解をしております。

 大乗仏教が民衆に広まっていくに従って、檀家仏教に吸収されることができなくなりました。そういう宗教的エネルギーが新宗教になったと思います。これはすでに鎌倉仏教以来、宗教集団が民衆的なものになり、ある意味では多元化している。たくさんの集団があってコントロールしにくくなっている。政治的にコントロールすると、はみ出る運動が次々出てくる。そういうようなのが日本の宗教文化の特徴じゃないかと思います。
 例えば、ヨーロッパの国に行けばキリスト教の国境界があって、それが宗教界をコントロールしています。そうすると、新しい宗教集団はなかなか出にくいわけです。日本は、宗教界に対する上からのコントロールをしようとして、うまくいかなかった、そういうことがいえるんじゃないかと思います。
 事情は違いますが、アメリカもそうだったんです。世界からいろんな人が宗教的に自由を求めてそれを作った国ということもあるし、世界中からいろんな宗教文化をもった人が来たということもあって、宗教集団の多元性は非常に大きいですね。
 そんな宗教集団が、なぜたくさんあるのか。それは、ある意味では拡散している、上から統制できないということでしょうね。逆に言うと、いろんなリーダーが出てくることができるということもあります。それが日本の、宗教文化の一つの特徴じゃないかと思います。

―そういうようにしていわゆる新新宗教というものが出てきたのでしょうが、それを受け入れるような土壌が日本にはあったのですか。

 さきほど明治期の宗教的リーダーは余り高い学歴は有してなかったといいましたが、だんだん、世間から一応敬意をもって遇されている宗教集団の、特に仏教の宗派のリーダーたちは立派な大学教育を受けるようになります。そして由緒正しいいろんな文化を受け継ぎ、教義も立派な学問に裏づけられている。そういう宗教集団が増えてきますが、しかし、庶民の生活の、悩みの現場からは遠くなってしまうということがあります。これはどこの宗教でもあることだと思いますが、そういう場合に、一般民衆のニーズというものも交接できるような態勢もあると思うんですね。日本の仏教においては必ずしもうまくいっていないのは、檀家制度は経済的には安定していて庶民の生活と接しているんだけれども、ある種のニーズにしか応えられない、そういうふうになっているからです。
つまり、生活の悩み、苦しみというところから離れていったわけです。それで、宗教の一番泥臭い部分を担って新しい宗教集団が出てくる、そういうことだったと思います。新しい集団は世間からみると非常に危なく見えます。天理教も出てきたときはだいぶ危険な団体だと見られて、お寺から圧迫されたりもしました。もっとも浄土真宗や日蓮宗が出てきたときも、当時の社会から見ると非常に危険だったと思いますね。

 それが次々に繰り返されて現代まで来ている。ところが、戦前はそういう宗教集団に対するコントロールがきつかったといいますか、枠組みがあったので、ある範囲以上に勢力を急速に伸ばしたり、政治体制に対して危険な言動を行なったりした場合は、潰される可能性がありました。ですから、行儀よくならざるを得ないところがあって、天理教の場合も本来の教典を引き下げて、政府に都合がいい教典を作ったりする、ということが起こったわけです。
 戦後もそういう雰囲気はある程度続きましたが、そういう宗教運動が社会規範にそれほどはみ出さないようにという自己規制的なことはある程度あったと思いますね。これはGHQが宗教集団を統制したということはあるし、マスコミの批判というものが、ある段階までは統制機能をもっていた。マスコミが叩くと宗教集団はおとなしくなったんです。

ところが1960年代頃から、信教の自由という理念が本格的に受け入れられてくると、マスコミを通してとか、あるいは無言の圧力とか、そういうタイプの社会統制が宗教集団に必ずしも効かなくなってくるということが起こってきた。それは創価学会が興ったときにそういうことはあり、また、統一教会とかエホバの証人とかは、社会の常識的な規範に正面から対抗しながら勢力を伸ばしていっています。1970年以降、そういうような集団が出てくるような傾向になりましたね。
そういう新宗教の段階を過ぎた70年代以降、それまでとはちょっと事情が変わってきました。それを新新宗教と呼んでるわけです。
その段階の教団は、社会規範に対して正面から対抗しようとする。ある種の側面に対し正面から対抗し、たたかおうとする。逆に言うとそれは社会規範の緩みかも知れませんがね。例えば、性的な自由が広まっていく傾向に、逆に対抗して厳しいモラルを要求する、そういう意味での反体制を強く押し出すようになりました。

戦後発展した新宗教は、社会の体制的な価値観ともちろん違うものを持っているんですが、比較的それと近かったと思います。ところが新新宗教と呼ばれる宗教運動は、その距離ができるようになった。そういうものに魅力を感じる人が増えた。それは年齢でいうとそれまでの新宗教は中年の主婦が中心で、家族生活を営みながら悩みを抱えた人が多かった。そういう現代社会のモデルとなるような家族社会あるいは家庭生活を営んでいる中で、その問題をどうこうするというような、基本的に価値基盤が現代社会の共有している上で宗教家が出てきていました。ところが70年以降は若者が多くなりまして、あるいは家族生活から疎外されているような人が加わり、この社会に安定して生活するという領域の、その外、前、そういうところから宗教に関心持つようになってきた。そういうようなことが起こってきました。
ですから、安定した社会を維持していこうという立場から見ると、危険度が高いというふうに見えるわけですね。

―それは、家庭から隔離するという意味でですか。

 それは大きいですね。ですから、統一教会が出てきたとき、反対運動はまず親御さんが子どもを連れ戻そうという形だったんです。

―伝統宗教は聞く一方ですが、新しい宗教は参加型になってきているように思いますが。

 それはね、みんなが参加して、平等に近い人が仲間を作って、そのなかにリーダーがいて、和気藹々としていっていると、というのが1930年頃からですね。20年代から70年代頃までがそういうタイプの宗教集団が非常に発展しました。代表的なのが創価学会ですね。ところがそれ以後、今度は仲間ってものが、なかなかできにくくなった。オウムの道場の様子を映像でご欄になると分かりますが、オウムのメンバー同士はあくまでお互いに話をしないし、みんなで同じビデオを見ていても、横の交わりというものが非常に少なくなってきました。
 これは、参加というのとはまたちょっと変わってきたなという感じです。リーダーということからいうと、そういう小グループのリーダーというものがいない。つまり、組織と個人というか、そういうようにバラバラになってきている傾向があります。でも、一人一人の個人は、非常に厳しい修行をしたり、非常に激しい布教活動をしたり、やることはたくさんある。横の交わりがないということです。

―今の新しい宗教というのは、概ね横のつながりはないということでしようか。

 それはいろいろです。が、非常に大雑把に言うとそういうことが言えると思います。例えば、みんなが本屋さんへ行って、リーダーの本を買う。これを見ていると、どうして宗教集団の交わりの中で配らないのだろうと思いますが、本屋さんで本を置いておけば、そしてそれをみんなが買えば、これは本屋さんがうれしいし、それから本屋さんにたくさんあるだけで宣伝になるし、そこを通して社会との非常に良好な関係ができますね。だから、信徒同士の関係を作るよりもメディアを通して世界と繋がっていったほうが便利だと、いうことになってきていると思うんです。

 エホバの証人を考えてみますと、これはアメリカでは古い宗教ですけど日本ではこの2、30年です。この宗教は、ある意味では非常に仲良しなんです。ですから、あそこには横の交わりはある意味ではあるんですが、それが世間と完全に切れている。できるだけ切れるように、世間との交わりと切り離した仲間の交わりを作るということを徹底してやっています。そういうものが出てきていると思うんです。
 そういう意味で、ある種の閉ざされた世界というものが新新宗教のひとつの特徴になっていると思います。いろんな意味で閉ざされていますね。個人個人で閉ざされたという感じをもたせる場合もあるし、エホバの証人のように仲間のなかで閉じているという場合もあります。

―あまり近所づきあいをさせないというか、友達づきあいをさせないというか、そんなことですか。

 そうそうそんなことですね。それはもう徹底してます。
 真如苑というのがありますが、あれは70年代以降発展したので新新宗教といっていいと思うんですけど、できたのは1930年代で、1970年の段階でかなり大きくなっています。だから、[旧]新宗教、の方に性格は近いと思います。ですから非常に閉鎖的ということはない。これは、ほかの新宗教もそうです。

―新新宗教には、独自の経典はあるのですか。

ありますね。例えば、真如苑は涅槃経が経典になっていますが、一番多くあるのは法華経系統です。法華経の方が新宗教の実践や思想と結びつきが強いと思います。真如苑の場合は、法華経系の運動と対抗しながら、実際はもっと神仏習合の文化から栄養を吸収してできた運動なんですが、やっぱり法華経系の運動に対抗するというところから涅槃経を重視しています。そういう戦略をとりましたね。必ずしもお経に中心がある、涅槃経という経典に信仰生活の中心があるというのではないと思います。
 真如苑は、できた当時、独立した宗教集団として活動していくと非常に危なかった。いつ潰されるか分からない、いつ取締りを受けるかわからないということでね。半ば便宜的に、真言宗に所属した。だいたいどこの団体でも、神道系の団体に所属するか仏教系の団体に所属するということを当時はしたのですね。ですから真如苑は、真言宗の影響を受けているのは確かです。しかしその前にもっといろんな神仏習合的な文化の影響を受けている、そっちの方が主だと思いますね。伊藤真乗さんは、奥さんと二人で始めましたから、両方とも重要なリーダーですけれども、伊藤真乗さんはなかなか知識もあり文章能力もあって、そういう意味でハイカラなんです。弁の立つ人で、山梨県の人だったと思いますけれどもね。

―新しい宗教が毛嫌いされている反面、ある意味で期待されているという面はありませんか。

 オウム真理教ができたのは85年ぐらいで、オウム真理教が潰れたのが95年です。この時期というのは、宗教に対するある種の期待が強かった時代だと思います。これは宗教集団だけじゃなくって、精神世界というふうな、集団は作らないけれども今の社会の限界を超えていくような、近代合理主義を超える新しい精神文化、スピリチュアリティみたいなものが盛り上がってきているというか、そういう雰囲気が強かったんで、気功なんかものすごくはやっていたと思うんです。そしてそれはまた、エコロジーと結びついて、近代の、物質中心の環境を破壊してきたものとは異なる文化を、宗教集団とは違う形で作るというような文化が非常にはやった時代です。ですからオウム真理教に入った人たちが初めからそういう教団宗教に関心を持つという前に、その精神世界的なものに関心をもっていたと思うんです。
 体を通して、もっと自分らしい生き方を通すというか、そういうのが70年代から始まりまして、それが80年代の中ごろ以降ものすごく勢いが強くなったと、いうことがありますね。そういう中で、「幸福の科学」も急に発展した。88年ぐらいでしょうかね。

―新新宗教が発展した裏には政治的、経済的な理由があるのでしょうか。

 経済的にはまだまだよかった時代だと思います。92年ぐらいまではよかったが、そのあたりからだんだん悪くなってきますね。そういうことからいうと、豊かさは達成し、ある意味では非常に楽になり、自分のしたいことができるようになった。そのかわりに精神的な空白感とそれぞれの方がみんな好きなことをやるということでの孤独感、そして益々能力主義になっていく、ということで自分が厳しく評価されている不安みたいなものが非常に強くなってきた。つまり、それまで持っていた安心感が少なくなってきた、そういう時代だと感じております。
 それから科学知識によって社会がよくなっていき、それと経済発展が結びついて戦後の進歩主義の文化が支えられました。例えば、社会主義にしても科学的社会主義とみんないっていましたね。しっかり学問をして、現代の知的なリーダーに従っていくことで社会がもっと幸せになるというか、アメリカのようになれるというように…。ところが、次第に期待が怪しくなってきて、逆にアメリカみたいになりたくないというような、目標を失うというか、発展の目標を失うということが起こりました。
 若者が宗教へ向かうというのは、我々は新しいなと感じました。それは70年代の後半から始まって80年代に強まりましたね。

―若者が宗教に行くというその本質的なものは何だったのでしょうか。

 我々が学生をやっていた頃というのは1970年前後ですが、世界で変革の運動が起こるというと、これはやはり社会主義が中心でした。例えば、中国は毛沢東が出てきて、当時は毛沢東こそ希望だというようなことでした。というのはソ連の社会主義があんまりカッコよくなかったからね。そのかわり今度は東ヨーロッパへ行くと人間の顔をした社会主義だといっていました。1968年頃はチェコなんかに希望が見えたりしました。しかし、1980年前後というと、世界の変革は、もう社会主義による変革というのはあんまりなくなってきました。78、9年にイラン革命が起こったりして、科学による進歩というのとはどうも違う傾向がやってきた。社会主義が魅力を失うと同時に、社会主義の対抗馬であるアメリカの自由主義というものも魅力がなくなるということが起こった。そういう世界的な精神的な目標の変化ということが背景にあると思いますね。と同時に、一人一人の生活でいうと、ますます市場経済が広まって、競争的な環境の中で、孤独になり、不安が強まり、そして意味が見出せない空虚感だけをもっているということ。どんどんどんどん深まってきているという感じだと思いますね。

―宗教史の流れのなかでの宗教観についてはいかがでしょうか。

 民衆の宗教というのは救済宗教という意味だけですが、それは人間が救われなきゃならない状態にあるということで、人間の弱さや苦しみや限界を強調する、人間が達成できる可能性やありのままの人間でいいんじゃないかということよりも、ありのままでいると起こってしまう辛いことや、痛み、そういうものを強調する性格があると思っています。
 これはどこかで、権力の分裂、つまり強いものと弱いものとの支配との関係というものが非常に露骨に現れる社会ということが、どっか背景にあると思うんですね。つまりそういう弱者の立場から、しいたげられるけれども、ものを言えない、そういう立場の人にとっては、そういう救済の教えっていうものが非常に納得がいく、というところがどっかにある。これはマルクスとかニーチェがそういう観点からキリスト教を批判しましたが−。しかし、人間がそういう苦しまなければならない、苦しむ存在であるがゆえに、お互い助け合うことに価値を見出す。そういう弱い立場の人に共鳴を感じる、そういう文化、そういうものがなければ社会生活が空しい、そういう感覚を伝えていると思うんですね。それが私の理解している救済宗教なんです。

ところがそういうふうに人間の弱さとか苦しみというものを強調しますと、この世に価値がないというところに、この世の悪を強調することになって、この世の生活というものの価値を低く評価することになると思うんですね。それは典型的にいうと、浄土教みたいな宗教、ある意味では早く死ぬ、この世に生きているよりも死んだあとのほうに希望がある、そういう世界になってくる。これはキリスト教でも天国にいってこそ永遠の命が得られるとか、そういうことがある。これは人間の無力をすごく強調していると思いますが、近代人は自分でできることが増えてくるわけです。これは知識が増え、自分自身で生活を改善していく余地が増える。病気なんかも人智によって次々克服できる。そういう経験を通してこの世で幸せになれるという側面を強調する意味があると思います。富が増してくると、人間が自信を強めるということでもあると思いますね。

 それはそうなるとそういう救いという考え方に変化が生じる。もちろん救いの戦いを捨てる人も出てくる。そういう意味で救いの宗教は過去のものになるという傾向が出てくる。その途中の段階で新宗教というのが、この世をかなり肯定しながら、この世で幸せになるという立場を取りながら、しかし、やっぱり、なんでこんな苦しみがあるんだろう、そういうことを拘っているといいますか、そういうタイプの宗教というふうに理解しています。
 悪とこの世の幸福とのバランス、古い救済宗教は悪のほうをずうっと強調していますし、新宗教はこの世の幸福についてかなり肯定的になりながら、しかし、悪を忘れない宗教である、そういうふうに理解しています。
 ところがどうも最近は、またもう一回この世の幸せが信じられなくなってきた、そういう傾向が若者の中に出ている。ですからオウム真理教のように、終末が近いと、終末の後になんか素晴らしいものが来るんじゃないかというんでね、たくさんの人がサリンで死んでも自分たちが幸せになれば、というおかしなことがあったということです。

―新新宗教の報道は表面的であり、裏面にはもっともっと大きなものが隠れていると思うのですが。

 宗教の尊ぶ立場は、宗教的な理想を、完全なもの、あるいは完全に近いものということで、いかに立派かということを考えます。そうしますと、宗教にともなう人間くさい、愚かさ、人間の弱さがもろに出る側面というのは、本来の宗教の理想から遠いというと思われますね。そういう宗教の現実とあるべき宗教の距離は本当は分けられない。近いところにあると思うんですけれども、人間はどうしてもあってほしいものと、あってほしくないリアルなものと、特に宗教に関しての、非常に距離をとって考えちゃうと思うんです。ですから宗教というとどうしても立派なところで見るというところがありますけれども、実はそういう宗教の立派な面を支えているのが、ありのままの人間の、そういう弱さも含んだ、矛盾だらけのそういうものが支えているんだと、私は思いますね。そのことは非常に理解し難い。宗教っていうものを理解するときに非常に難しい。これはですから、宗教教育というものが本当にそういうような教育をしなければいけないと思いますけれども。
例えば、いままで宗教が戦争というものにこれだけ関わってきたか、ということを考えると、そこを理解しないと、立派な宗教を作れば、人間の弱さが克服できるとどうしても思うわけです。しかしそう思う度にまた難しい問題が出てくる。そういうことがあるんですね。

―教育者の立場から今の教育のやり方を見ると、それはアメリカ風のやり方に見えないでしょうか。

 それは第二次世界大戦後の政策ということで、これはなかなか難しいと思います。アメリカはやはり戦争に勝ったときは、アメリカ風のやり方で行けば立派な文化になると考えたと思います。世界中にアメリカ的なものを広げていけると思ったわけですね。それには宗教を自由にしてやればよいと思った。上から教えるんじゃなくて、宗教を自由競争でやる。しかしそれは日本の、部分的に当てはまる、どこかにちゃんと理解していないところがあるんですね。ですからそれは、具体的にはそういう教育の中で、適切な宗教教育をできないような体制になってしまっているということがあると思います。ただ、戦前の教育勅語に基づくような教育というものを、そのまま続けたくないというのが日本国民の意思でもあったと思うんです。それに代わるものをどうしたらいいかということは、アメリカ側はあるアイディアを出してきたけれど、それに変わるものを日本国民が出せなかったということでもあると思うんです。だからそれは我々が今直面していることで、道徳教育というのがなんか足りなかったわけですよね。
 これは戦前の修身教育を民主主義に変えるようなところがあるのですが、それではいかにも足りない。道徳教育というものに対して非常に不安があると思います。それに変わるものが、私は、もっと宗教というもの、世界の精神文化というものを学ぶようなそういう教育が必要だと思いますね。それはでも、世界のいろんな国でね、どこでもうまくできてないことなので、これから世界と協力しながらやっていくべきことだと思ってます。

―宗教が確立し難いというのはどういう理由からだと思われますか。

 これは各国で非常に事情が違うんですね。それで、日本はアメリカ式の信教の自由ということで、公立学校では一切宗教的教育はやっていないですけれども、アメリカの場合はそうはいってもキリスト教という基盤があり、子どもたちはかなりの割合で日曜学校へいく。自然にキリスト教教育がなされているということが背景にあるわけです。ところがドイツとかイギリスに行けば決して政教分離じゃありません。国教制度がまだ残っている国です。そういう国ではキリスト教を中心にしながら次第に他の宗教についての知識も教えるような教育に変わってきているんです。そういう変化のプロセスというのは日本とあまりに違うので、すぐに影響を受けるということもなかった。フランスが近いと思います。フランスは非常に宗教教育というのを遠ざけてきて、それが今問題になってきている。他のイスラム国とか仏教国にいけば、イスラム教や仏教中心にした宗教教育をやっていて、それはもっともっと開いていかなければいけない。ですから、世界的に要するに宗教が多元化する状況の中で、精神文化をどう教えたらいいかということに対しても、議論も足りなかったし、準備ができてない。ですから日本だけが具合が悪かったというふうにもいえないのではないかと思います。

―小・中学校では現在、宗教教育はやっていないのですか。

 非常に薄いでしょうね。国語にしろ歴史にしろ地理にしろ、そういう中でもっと精神文化の要素を含めるべきだと思います。歴史でいうと、例えば平安時代は、仏教についてたくさん学ばねばいけません。ところがこういう仏像があるとか、お寺ができてるとか、年代を覚えるとか、そういうことしか教えない。どういうことをやったのか、どういうことを目指していたのか、ということについては教えないと思うんです。だから教育全体の中で精神文化をどう扱ったらいいかということが空っぽになってきている。これが、近代教育というものが、近代科学のほうに行き過ぎたということになっている。近代科学によって人が幸福になるということを教えすぎているので、人間というものが精神的価値をとおして巣立つということを、近代教育の中では薄かったと思うんです。
 北陸の学校は小学校のときには、ご飯の時にはちゃんと手を合わしますね。逆に批判的な知識、精神的な価値を知るということは同時にその精神文化に対する批判的な見方も見につける必要が出てくる。見分ける力をつけなきゃいけない。そういうものが信心深い宗教をやっているところは逆に弱くなる可能性がありますね。

―先生は直接、新新宗教などの現場へ足を踏み入れていますが、やはり机の上の研究とは違いますか。

 宗教というのを理念だけではなく、宗教を人が生きてる場所で見たいというのが私の考え方です。現場へ入っていくというのは今でも少数派、マイノリティだと思いますし、やっぱり文字を中心に理解する、理念を中心に宗教を理解するというのが中心だと思います。そっちが絶対必要ですからね。だけど、それだけではない。逆に社会学者とか人類学者は、現場で生きてる人間は見てるけれども、それを支えている理念のほうを知らなすぎると思います。精神的理念がいかに我々の文化の中に深くしみとおっているかという、その掘り下げが足りない。両方必要だと思いますね。

―先生は現場を歩いていて、各宗教の流れみたいなものが違うなということをお感じになりますか。

 そこが私のプロ意識をもてるところでありまして−。宗教集団を一時間一緒に体験さしてもらえれば、そこの特徴がいろいろ見えてくる、そういうことがあります。そしてその宗教集団の現場を見ると、人の集まり方、社会学的な側面、それからどういう言葉を使ったり、どういう動作をするのかという、そういう意味の側面、あるいは心身の状態、それを支えている伝統理念などが全部変わってきますので、そういうものを総合的に考える。そこのところで私が学んできたものを通して、従来例えば、聖書についてこう解釈されているとか法華経についてこう解釈されているという、その背後にはどういう人々の宗教生活があったんだろうかということを想像しながらテキストを読む。そうすると従来の読み方とは少し違う読み方ができるんではないかと思うのですね。

―今後もわが国に、新しい宗教の出てくる可能性はありますか。

 今、私の心配していることは、宗教集団は、強い宗教集団は一般社会からちょっと切れるというか、閉鎖的になるというか、そういう傾向がかなり見えることです。日本でいうと、エホバの証人が広まっているのが一つの例です。そういう状況は、どこか健康じゃない感じがする。そういう精神的な価値を重んじる人たちが一般社会から孤立してしまう。逆に一般社会のほうでは、益々精神的な価値がからっぽになっていく、そういう両極化が生じてしまう。そこをなんとかして、そうじゃない道を探していかなきゃならないと思います。そういうタイプの宗教集団は、なかなかこれは見出し難い。社会的に成功し難い状態があるんじゃないかと思います。
 ただ、現代の知的な世界は、今もっている限界を越えようと思っています。近代科学に依存し続けてきたものを反省し、ようやく精神的価値をもうちょっと見直そうとしていますね。

知的な世界、例えば大学みたいなところが宗教文化に無関心です。あるいは知的に関心のある人は現実離れしたところで宗教を考えていた。そういうことの限界、それではいけないんだということを気づき始めた。だから、臨床心理がものすごいブームですけども、臨床心理っていうのをやっていけばどっかで宗教的なものに近づいていくわけですね。人を癒そうと思えば単に心理学ではいけませんね。そういうことが実際に起こってると思います。そういうふうに主流文化の中に、今、宗教の見直しが起こっている。それがその両極分解を和らげる可能性があると思いますね。(2002年10月2日 東京大学学士会館別館にて)