阿宝正傳あとがき

中村篤九


おもしろく、おかしく、たのしいものを


おもしろく、おかしく、たのしいものを書こうと思いながら、二十年も漫画の仕事 ととっくんで来たが、どうしたものか、ここ五,六年の仕事の半分は漫画にあらざ るいと怪しげなる一連の文章であった。

漫画家が文章を書くとたいがい漫文と言うタイトルがつくが、この手で行くと床屋 さんが書いた文章は床文になる。漫画家でもたまには借金の依頼状などを書くこと もあるのであって、時折大真面目に書いたものでも漫文とかかれて、悲しくなるこ ともある。
おもしろいものである。

自分の考えて居ることを若干の文字のられつによって、他人わからせようとするこ の事はなかなか楽なものではない。漫画の方がはるかに楽なような気がする、これ からも一生懸命この仕事にかかりたいと思って居るが、今はなかなかに身辺多事多 難で出来ない。

屋根の雪下ろしや、煙突の掃除や食物の心配や、ときにはコチンコチンに凍った便 所の糞を、つるはしでかき砕く芸当もしなければならない。こんなことは北海道で なければ出来ない芸当だからうんとやっておこうと思っている。
戦争中はご多分に漏れず、工場の産業戦士訪問や、貯金の宣伝や、防空漫画などな ど色々の太鼓叩きに忙しかった。

徴用、召集、空襲,戦災、疎開と、戦争によって経験すべきことの大半をまず人並 みに経験して、この雪深き北海道で、今静かに過ぎこし方を思い返して居るので ある。

それにしてもよくまあ壮健で来たものと、しみじみ思う。この先どんな生涯が待っ て居るかも知れないが、せめてここ迄辿りついたと言う目印にもと、この阿宝正傳 の一冊を出版する事にした。

すべて昭和十四,十五年日支事変たけなわなる頃に書いたものばかりで、ろくな仕 事はないが、まあそのなかでもここらあたりが一番私の楽しい仕事であったようだ。 ただ一つ「世話情闇夜蝙蝠」だけは去年の十二月たのまれて書き下ろした脚本であ る。

序文を書いて下さった櫻井忠先生は尋常四年五年六年の三年間を、あたかも私が今 日あるように教育して下さった唯一無二の恩師である。今もなお私は私の仕事につ いて、何かとお助けを乞うて居るが、先生とはありがたいものだとつくづく思って 居る。
昭和二十一年三月

編者注記
漫画・漫文の世界で、溢れるような才能をみせた中村篤九は、この「あとがき」を 書いて間もなく、正確には昭和22年6月8日に生まれ故郷の札幌市で急性劇症肝 炎のためこの世を去った。38歳の若き死であった。