コピーの美術

岡田 光正

今年の4月、吊り橋としては世界一といわれる明石海峡大橋が開通した。これにより 阪神・淡路島・徳島地域が一本の道でつながり、すでに開通している瀬戸大橋ルート と並んで本州と四国の人的、物的な交流は一層活発化することになろう。

私は6月初め、高知の親戚に法事があり、その出席を機会にこの淡路島ルートを通 り、鳴門のうず潮を観光してきた。うず潮については周知のことなのでここでは触れ ないが、世界でも珍しい、全く新しい発想の美術館を見てきたのでご紹介したい。

東京に帰ってきて美術好きの友人に話したら「月刊の美術誌に毎号“新設美術館便 り”というコラムがあるが、そんなの見たことも聞いたこともないぞ」といぶかしげ にいう。それもそのはず、この美術館に展示されている絵画はオールコピーなのだ。

これまで美術館といえば、古今東西の巨匠が描いた名画を多く所蔵していることが看 板であり、その中に一点でも偽物(本物そっくりのコピー)が紛れ込んでいたら、美 術館の評価は大いに下がる結果にもなった。

ところが私の見た美術館は千点余にのぼる全所蔵品がすべてコピーというのが売り物 で、その代わり世界各国の美術館がそれぞれ分散して抱え込んでいる至宝のような名 画を一堂に会しているのである。

この奇抜な美術館は地元徳島県鳴門市の出身企業である大塚製薬が、創業75周年の 記念事業として鳴門半島先端の丘陵地帯に建設、今春4月にオープンした。総面積6 万6千平方メートルに及ぶ巨大工事だが、国立公園内にあるため美術館の本体にに当 たる5階建て部分は丘陵の中にすっぽり埋め込まれ、上部の3階建て部分が鳴門大橋 を見渡す丘陵上にささやかに姿を表している。

建物がいかに地下宮殿のように立派でも、展示品がコピーなら出版物の美術全集と変 わらないではないかといわれそうだが、全部実物大にして陶板上に立体的に焼き付け られている。しかも一部は「環境展示」と称して、実際に名画が置かれている場所、 建物まで忠実に再現してある。

例えばミケランジェロで有名なバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂は1、2階をぶち 抜く壮大な規模で再現され、「天地創造」「最後の審判」などの天井画や壁画が訪れ る人を本物の臨場感をもって圧倒する。

またモネの大睡蓮の絵などは、丘陵の中腹部分から外部に露出している人工の大きな 池の円周上の壁画として描かれている。池の中には陶器のコイが泳いでいるように見 え、小雨煙る日は絵と水と光が混然一体となって、モネの印象派的世界に自然と引き 込まれてしまう巧みな演出である。

もう一つの特色は「系統展示」といって、ギリシャ・ポンペイの古代から中世、ルネ サンス、バロックを経て近代・現代に至る西洋美術の歴史的変遷が、具体的に理解で きるように展示されていることだ。

以前パリのルーブル美術館を訪れたことがあるが、その壮大な規模に驚かされながら も、古代から現代までの美術史的な系統展示の仕方に、門外漢の私でも「なるほど西 洋絵画の原点はここにあったのか」と腑(ふ)に落ちた気がした。

ギリシャ時代の神話の題材、ローマ時代の宗教画に対する当時の作者の意図は極めて 具体的である。人間味豊かな神々から学ぶ人生観、キリストを信仰することによる教 義の浸透など、絵画は大衆に対する強力なコミュニケーションの手段となっていた。

だが、15世紀のグーテンベルクの印刷革命以来、文字を中心とする出版物がコミュ ニケーションの主役となり、絵画は初期のメッセージの伝達という原点から離れ、次 第に芸術至上主義の殻に閉じこもるようになったと思えてならない。

明治以降に開設された日本の西洋美術館は、当然こうした系統展示する能力も環境も ないから、特定の巨匠か、一時期の作品群の断片的な展示に終わりがちである。そこ に日本人の西洋美術に対する原点からの理解を妨げている原因がありそうだ。

しかし、だれもが本格的な系統展示を行っている外国の美術館にいけるわけはない。 またそうした美術館はパリのルーブル、ロンドンの大英博物館、ペテルブルグのエル ミタージュ美術館などごく限られている。

これら美術館は本物の展示を誇りにしているから、互いに名画を分散所蔵しており、 歴史的に価値ある作品をすべて系統的に網羅しようとしてもできないわけだ。そうし た盲点をカバーしようとして生まれたのが、鳴門の大塚国際美術館である。

同美術館には世界25か国、190を超える美術館が所蔵している古代から現代まで の名画千点余を選び、セラミック陶版に実物大に写真印刷した。印刷技術の進展ぶり は想像以上のもので、「空気以外はなんでも印刷できる」と業界が豪語する通り、最 先端技術を駆使して肌の色、服のシワまで原画の色調を忠実に再現している。

さらに陶版コピーの利点は、約2千年以上にわたって原画そのままの色と形を残せる ので、万一原画が災害や経年変化で損傷することがあっても、文化財の記録保存の見 地から大いに貢献できる、と同美術館側では説明している。

問題は、コピーと芸術作品の関係をどう考えるかだ。冒頭の友人の話によると、美術 専門誌は陶版美術館を正式の美術館と認めず、無視の態度を続けるらしい。だが現代 は新聞、雑誌、専門誌をはじめ、テレビ、ビデオ、CDなどメディアの世界はすべて コピー技術で支えられている。

われわれが行動し、知覚できる範囲は限られているが、政治、経済、社会、文化に対 する知識を広め、国際的な判断を下すにはこれらコピー技術を積極的に活用する必要 があるのではないか。

コピーか本物かで価値をあげつらうよりも、両方を上手に使い分けする方が現代人と して賢い生き方のようだ。このインターネットも現実世界のコピーにほかならず、一 種の仮想現実(バーチュアル・リアリティ)である。