ママさん指揮者

岡田 光正


七年間の空白


 今年の連休は神戸の娘が久しぶりにアマチュア・オーケストラの指揮をする というので、夫婦で出かけた。
 娘は東京の音楽大学ピアノ科に学んでいたが、途中で指揮の魅力にとりつか れ、オーストリアのザルツブルグにまで留学して「女だてら」にオーケストラ 指揮者を目指していた。

 30歳直前になってフト我に帰ったのか、某大手企業に勤めるサラリーマン と結婚し、音楽をプツリとやめてしまった。現在は幼稚園児二人を抱える普通 の専業主婦に収まっている。
 生来音楽好きな夫は、仕事の合間に西宮の市民オーケストラでチェロを弾い て楽しんでいた。しかし、毎日を幼稚園の送り迎えや弁当作りに追われている 妻を見て、このまま身につけた才能を埋もれさせるのはもったいないと考えた。

 戦後の混乱が続いていた昭和28年に旗揚げした西宮交響楽団は、関西アマ チュア・オーケストラの老舗である。創立47周年を迎えた今年は、春の定期 演奏会に女性指揮者を客演(楽団外からの出演)させようという新企画が持ち 上がり、夫には妻の出番のまたとない好機として映った。

 妻は初め7年間の空白を取り戻すのは容易でないと尻ごみしたが、夫の熱心 な説得もあって千載一遇の機会に挑戦することにした。その代わり、夫は家事 に出来る限り協力し、必要な楽譜やCDなどの購入も惜しまないという前提条 件付きである。


夫婦とも二役


 5月末の演奏会を目途に、3カ月前から週2回ペースでオーケストラとの猛練 習が始まった。いかに夫婦協力といっても、夫は会社勤めとオーケストラの団 員、妻は主婦と指揮者といった具合で、両方とも二役をこなさなくてはならな い。

 問題は3歳と5歳の女児の扱いである。妻は昼、子供が幼稚園にいる間に、家 事をしながら演奏曲目を徹底的に分析する。そして自分なりに曲の構成を考え、 楽譜を丸暗記するまで頭に叩き込む。夜はその成果をオケ(オーケストラの略) を相手に燃焼させるわけである。

 妻が練習に出かける日は、夫はなるべく早く会社から帰宅し、子供たちを風 呂に入れる。夕食をとらせた後、寝かしつけるまで面倒を見なくてはならない。 自分もチェロのパートに参加、夫婦ともにいなくなる時は、ベビーシッターに 子供たちの世話を依頼する。

 こうして苦闘3カ月、明日は演奏会という日の午後、われわれは娘の家に到 着した。その晩は「ゲネプロ」といって本番前の総練習があり、娘夫婦はベビ ーシッターではなく初めてジジ、ババに子供たちを預け、練習に出かけていっ た。

 その晩、娘は独り甲子園球場近くの高級ホテルに宿泊した。外界の雑音を一 切遮断した中で、本番の曲想作りに精神を集中してもらおうという、夫の配慮 からである。


西響の新たな歴史


 演奏会当日は連休最初の日曜日で、さわやかな天気に恵まれた。用意した千 枚のプログラムはたちまち品切れとなり、主催者の予想を上回る満席の客入り だった。西宮交響楽団長は今回の演奏会の趣旨を、プログラム冒頭に次のよう な挨拶にして述べている。

 「いまや多くの分野に女性が進出し、女性だからといった偏見も徐々に払拭 されつつあるなかで、やはり、オーケストラの指揮は、長い期間女性の進出、 参入を拒んできた数少ないジャンルの一つといえるのではないでしょうか」

 「西響46年の歴史の中でも、いろんな型の演奏会を問わず、女性の指揮者 をお迎えするのは、もちろん初めてのことであり、まさに画期的な、新たな歴 史の始まりといえましょう」

 「女性特有の優雅さとしなやかさ、それでいて男性指揮者にも劣らない迫力、 お越し下さいましたみなさまにも、一味違った感動を覚えていただけるものと 確信しております」

 演奏曲目はフィンランドが生んだ偉大な作曲家シベリウスの作品で占められ、 交響詩フィンランディア、バイオリン協奏曲作品47、交響曲第1番、いずれ も北欧的叙情味たっぷりの大曲だった。
 シべリウスの曲は取っ付きやすいようで、専門家の間でも解釈と評価が分か れる難曲といわれる。その一因は北欧の特殊な風土が醸し出す雰囲気にあり、 微妙な表現が必要だからだ。

 娘が資料として集めた世界の著名な指揮者のCDを後で何枚か聴き比べて驚 いたが、これがシベリウスの同じ曲かと思うほど違っていた。カラヤンは華や かでダイナミックだが、アシュケナージは地味でデリケートといったように。


ママ、ありがとう!


 娘は留学生時代に列車や船を乗り継いで当地へ独り旅した印象を基に曲想を 立てたようだ。プログラムの解説にこう書いている。
 「低くたれこめた重い雲、冷たく動かぬ空気、点在する小島、木々の間から 見える人気のない山小屋。辺境の地にたどり着いた不安と、吸い込まれそうな 神秘性、原始性の魅力を感じたのです。」

 自分の目を通した素朴な印象が、シンプルで明快な指揮となって表れ、それ が80人編成のオーケストラと千人を超える聴衆を一体にさせたたようだ。全 員が北欧の幻想的な世界に引き込まれたように盛り上がった。
 何度も繰り返して止まない指揮者へのカーテンコール。それに応えてカレリ ア組曲がアンコールされたが、シベリウスらしからぬ軽快なリズムに、指揮者 もオーケストラも大役を果たした解放感から浮き浮きと演奏、満場の拍手を加 速させた。

 ベビーシッターと二階席で終始舞台を見守っていた5歳の長女は、舞台裏の 母親のところに駆けつけ「ママ、すばらしい音楽をありがとう」とポツリ。 この一言が周囲の感動を新たにさせた。

 娘から演奏会に招待された時、所詮は素人の「発表会」、孫の子守りでもす る気で行こうか位に思っていた。それがプロの演奏会でも味わったことのない 感動を受けたのはどうしてか。世間でいう「親ばか」なのだろうか。

 そもそも娘を指揮者にしようなど思ってもみなかった。それを容認してしま ったのは、まったくケチな根性からである。音楽大学では自分の専門のほかに、 副科といって別の楽器を勉強しなくてはならない。一般大学で英語に加え第二 外国語を学ぶようなものだ。

 ピアノ科に在学していた娘の場合、演奏会用のグランドピアノは学校にある し、自宅用のものはせいぜい数十万円で購入できた。副科にバイオリンを選択 すると、楽器は自分持ちが原則だ。「億」はする逸品「ストラデバリウス」は 論外にしても、プロを目指すなら最低数百万円の投資は覚悟しなければならな い。


五百円の指揮棒


 フルートのような小管楽器ならどうか。それもピンからキリまであるが、百 万円前後はする。もっと安いものはないかと聞いたら、指揮棒なら五百円で買 えると娘がいうので、ビンボー父親としては指揮(実は指揮棒)を強力に推薦 した。

 だが今回の演奏会を契機に、私の長年にわたる指揮と女性指揮者に対する認 識が、完全に誤解と偏見だつたことを気づかされた。
 娘が指揮を終えた翌日、いつもの幼稚園バス待ち合わせ場に集まった主婦の 一人は「女性指揮者なんて音楽に合わせてバッタのように跳ねるだけと、家の 者が言っていたけど、あなたは違ったわね。音楽より前に棒を振っていた」と 率直な感想を述べた。

 その通り! 指揮者の第一の重要な役割は、音楽の始まりと終わりを明確に 仕切ることにある。多種多様な個性を持つ演奏者全員の気を集中させ、音を同 時にスタートさせ、ピタリと終わらせるのは、一糸乱れぬマスゲームと同様な 統率力が要る。

 指揮者は音の出だし、楽器が鳴るちょっと前(一拍前)に棒を動かし、音を 切るちょっと前に合図を送らなくてはならない。音楽に合わせて棒を振るとい う素人(私を含めた)考えが、いかに指揮者の役割についての認識を歪めてき ただろうか。


アームチェア・コンダクター


 よく演奏会で体を左右前後に動かしている人を見かけるが、これはアームチ ェア・コンダクター(ひじかけいすの指揮者、経験がないのに指揮者ぶる人の 意)といって、はた迷惑この上ない。これも指揮者は音楽に合わせて体を動か しているとの錯覚が、このような行動をとらせているのである。

 指揮者は常に音楽の流れを予測しながら、要所々々でいろいろな楽器の出を 促しながら、一歩前へと棒を振る。アームチェア・コンダクターは音楽に追随 し、一歩遅れて体を動かすのである。

 第二の重要な役割は、緩急のテンポをコントロールし、それに合わせた拍子 をとることだ。作曲者は楽章ごとにアダージオ(ゆっくり)とかアレグロ(は やく)という指示をつけているが、それはあくまで目安にしか過ぎない。

 それぞれの団員が違ったテンポ感を持っているので、指揮者は自分なりの明 確なテンポを示し、絶えず拍子をとってリードしなければならない。その道具 として昔は六尺棒のような長い杖で、床をドンドンとたたく音で合図したとい われる。

 17世紀のフランス宮廷で開かれた国王ルイ14世の病気回復を祈る演奏会 での出来事。杖で指揮をしていた作曲者が誤って自分の足を突き、その傷がも とで死んでしまったという、信じられないような話が残っている。

 もともと指揮が必用になったのは、音の出と終わりを合わせることと、緩急 のテンポをリードすることだった。昔は作曲者自身が杖を突いたり、あるいは 自らバイオリンを弾く場合は弓で合図を送っていた。今でもバイオリンの主席 奏者をコンサート・マスターと呼び、指揮者を補助する役割を与えているのは、 そうした当時の名残である。


曲想づくりこそ本命


 貴族社会の占有物だった音楽は19世紀後半から、新興の一般市民社会にも開 放され、急速に浸透してきた。オーケストラの近代化、大編成化が進んだ現代 では、もはや以前のように作曲者や第一バイオリン奏者が片手間に指揮する余 地はない。

 専業指揮者が登場してからまだ百年も経っていないが、それに伴って第三の 重要な役割が生まれてきた。これまでの音合わせやテンポをとるためにだけ棒 を振るのではなく、それらの手段を駆使して原曲に新しいイメージを吹き込み、 個性的な曲想づくりをすることが最重要な役割となったのである。

 同じ作曲者の作品に指揮者の数だけのCDが出回るのは、それぞれが創作性 を持っているためだ。同じ楽譜の「知床旅情」を歌っても、森繁久弥と加藤登 紀子では全く違ったイメージを与えるのと、似ているといえようか。

 つまり指揮者はオーケストラを一つの楽器のように自在に使いこなしてこそ、 初めて個性的な名演奏ができる。その意味では単に楽団員に受けのいい妥協的 な人物では駄目で、自分の曲想に信念を持って引っ張っていく独裁者の方がい い。

 しかし現実の指揮者とオーケストラの関係は、逆である場合が多い。カラヤ ンが君臨していたベルリン・フィルも、彼が亡き後の指揮者はこのところ二代 続いて団員の投票で選ばれている。

 指揮者がオーケストラを選ぶのではなくて、オーケストラが指揮者を選ぶ民 主的な時代となったのだ。こうした状況の中で自分の曲想を貫くには、人生経 験に裏打ちされた説得力と、曲解釈に権威を備えた者が指揮者の要件となろう。


女性に不向きか


 ゴルフ、マラソンなどのスポーツ界をはじめ、政界、経済界のあらゆる分野 に女性の進出は目覚しいが、オーケストラの指揮者で世界的に活躍している女 性は見当たらない。同じ音楽の世界でもピアノ、バイオリン、声楽などと比べ てこの不均衡は不思議である。

 これまで一般に言い触らされてきた俗説は、女性の胸が男よりも厚いという 肉体的条件だった。なにせ交響曲1曲を指揮するのに2万回以上も腕を振るのは 想像以上の重労働で、女性には耐えられないだろうというのだ。

 しかし腕を振りながら40キロ強走り抜くマラソンは、指揮以上に重労働と思 えるのに、有森裕子選手はオリンピックで連続メダル制覇という偉業を成し遂 げた。それに比べ指揮はガムシャラに強く棒を振るだけが能ではない。

 日本の著名な指揮者・岩城宏之氏は「指揮のおけいこ」(文芸春秋社刊)と 題する著書で、指揮者志望の女性に諦めるように説得した時に、次のような理 由を挙げたという。
 第一に、女性は若いときにチヤホヤされるが、男性巨匠のように90歳まで 「枯れた美」を追求する覚悟があるか。第二に、女はウソがつけない。「ダメ ったらダメ!」というタイプが多い。それで百人近い音楽集団をコントロール できるか。

 第三に、アメリカの指揮者コンクールで優勝した女性が、3人のうち2人まで 病気で倒れた。男のようなズウズウしさが必要だ。第四は、曲をクライマック スまでもっていく時、不動明王の迫力と凄まじい形相ができなければ、オーケ ストラはついてこない。
 もちろん岩城氏は本気でそう説得したのではなく、女性の熱意を試すためだ った。氏のレッスンを受けた女性は現在、香港で活躍しているが、日本ではま だ受け入れられてないという


主婦として両立を


 これまでプロの指揮者を目指した女性は日本でも、ごく少数ながら存在する。 デビューした当時はテレビや週刊誌などに珍しがって大きく取り上げられても、 プロのオーケストラでは長続きせず、いつのまにか忘れ去られていく。

 そうした女性の中で現在も指揮活動を続けている人は、アマチュア・オーケ ストラに客演を依頼される時しか出番がない。常任指揮者になるためにはレデ ィーズ・オーケストラを結成するなどして、女性の囲い込みを図ることになる。

 しかし、プロ、アマを問わずオーケストラの団員のかなり多くが女性で占め られてきた現状では、女性だけのオーケストラの存在理由は見いだしがたい。
 オーケストラが指揮者を選ぶ時代には、なおさらオーケストラの方から女性 指揮者を求める機運が生まれてこなくてはならない。それがないのは、相変わ らず「女性は指揮に向かない」との偏見があるか、女性にまだそれだけの力が ないかのどちらかである。

 現代の指揮者が個性的な曲想を求められているとすれば、女性にも男性と一 味違った能力を発揮できる資質は十分にあると思う。ただそれが出来ないのは 女性の肉体的条件ではなく、主婦という24時間しばられた社会的条件にある からではないか。

 娘の日常生活を見るにつけ、二人の幼児の子育てをしながら精神的集中を要 する指揮の曲想づくりは、相当困難だと思う。今回のように夫の全面的な協力 と、ベビーシッター代などの費用を惜しまなければ別だが、サラリーマン生活 ではそれも限度がある。

 演奏会終了後、神戸新聞記者からインタビューを受けた娘は「私にとっては 子育ても指揮と同じ大きな仕事。なまはんかに両立できない」(6月6日付朝 刊)と答えていた。

 現に来年小学校に上がる長女のために、娘は音楽生活を再び中断して「お受 験戦争」に参入した。子育て中の主婦でも指揮者として両立出来る社会システ ムの確立なくして、女性とくにママさん指揮者の本格的登場は当分無理なよう である。