「青の洞門」に学んだこと
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最近コケラ落としをした町民文化会館の舞台の緞張の意匠は、岡本太郎晩年の傑作といってよい。 ◆ その手始めが昭和53年(1978年),国営農地開発事業基本計画樹立地区に採択されて同55年(1980)年まで国の直轄調査が進められ、翌年にはダム二基を含む全体設計が完了、同57年(1982)年には待望の国営事業の着工となったのだ。
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昭和57年から数えて17年、同53年からなら21年、当初から国会議員としてこの事業にかかわった者にとってはまさに感無量、記念式典では目頭が熱くなった。
「回心の動機」◆ 町の産物や、それを町民が心を込めて調理した数々の物で色どりを添える祝賀会の席上、指名された私は口を開いた。「私は先刻来、大分県の、青の洞門のことを思い浮かべております。皆さんは青の洞門の事について御存知でしょうか」と私は祝辞を切出した。主殺しの大罪を犯し、その後も窃盗殺人を繰り返した男が、翻然と悟るところがあって仏門に帰依、了海と名乗って托鉢の間、豊前の国(現在の大分県)に至って山国川沿いの難所で、毎年何人も落命することを知る。諸人済度の悲願への仏の導きと喜び、事故をなくすため、山国川沿いの岩山に隧道貫通を志す。 ◆ 岩は硬く、ノミも槌も歯が立たない。人々は嘲笑する。それでも屈せず、撓まず続行するが、嘲笑はやまない。岩山は、しかし徐々ながら穿たれて行く。嘲笑は下火になり、やがて遂に協力申し入れがある。そんなある日、旧主の忘れがたみである息子が現れ、仇討ちに及ぼうとするが、取りなしにより、工事完成を待ってということになって息子は工事に加わる。着工以来20年たったある夜、了海の槌の一振りのもと、全面に穴があき、洞の中に山国川の渓流の音が飛び込んで来る。このとき潔く首を差し出す老僧に、息子はもはや殺意を抱くことは出来ない。二人は相擁して泣く。
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こんないい話が、私の子供時代には少年少女向けの本に出ていたのだ。いまでも読もううと思えば、菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」と題して出ている。 ◆ このあと改めて「恩讐の彼方に」を読んで私は泣いてしまった。それでも了海の改心の動機がいつ何によるのか掴めなかった。自律的な改心でない限り、青の洞門を完成させられる筈がない。他から強制されたり求められたりしての改心によって、あれだけの大事業がなし遂げられる筈がない。
日本への「謝罪要求」とは◆ このことから考えさせられることは、大東亜戦争終結に至る間の日本の所業に対する謝罪要求だ。私自身、25年も前に踏んだ中国大陸の大地で、日本がなぜこの国に攻め込んで、あんなに多くの惨禍をもたらしたのだろうか、としばし茫然としてしまった思い出がある。 ◆ 列強に伍して国際社会に生きて行くためには、自らも列強と同じ帝国主義的な歩みを進めなければならなかったことや、惨禍を中国にもたらしたのは日本一国だけではなかったこと等々、頭ではわかっても、実感としてはとんでもないことを仕出かしてしまったという悔悟の念にとらわれたのだった。 ◆ ところが日本の旧敵国や植民地だった国からの謝罪要求が度重なるにつれ、一体これは何事かという気持ちになって来る。それは改心するな、反省しないでよい、としか聞こえない響きを帯びて来る。
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中国の江沢民主席の訪日は、その意味でさまざまな波紋を投げた。共同宣言の署名を見送ったのは、日本側からの明文化した謝罪がなかったからだという。 ◆ 改めていうまでもない話だが、謝罪とは要求するものでもなければ、要求に応じてするものでもない。回心が何によって起こるかをこの際、深く省察すべきだ。
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