グァルネリ・デル・ジェスの響き

杉山 武子


私が初めて五嶋みどりの名を知ったのは、彼女が10歳で渡米しその才能を認められ、特別給費生としてジュリアード音楽院へ留学。ドロシー・ディレイに師事することになったとの新聞記事だった。1982年の頃だ。楽器の中でも特にヴァイオリンが大好きな私は、音楽の分野で”天才”や”神童”の名に値する”選ばれた人”の存在を信じている。ただし、神童も15歳でタダの人になるのが世の常だ。私が次に五嶋みどりの名を新聞で発見したのは、彼女が15歳の高校生だった1986年の時。タングルウッド音楽祭で演奏中、2度も弦を切りながら第一ヴァイオリンの奏者の楽器と素早く取り替え、アクシデントに動じることなく堂々と弾き終えたとのニュースだった。後にこの”事件”がアメリカの小学校の教科書に取り上げられたことも、新聞記事で知った。

その後、1990年にカーネギー・ホールでデビュー・リサイタルをした時のCDが店頭に並んだが、私は買うのをためらった。何につけ宣伝文句が華やかなほど、私の気持は遠ざかるのだ。数年経ってパガニーニのカプリース全曲がリリースされたとき、初めて五嶋みどりのCDを買って聴いた。そしてその演奏に惹きつけられてしまった。何度聴き直しても。以来、私は五嶋みどりが表現する「音楽」と「音」への強い興味を抱き続けているといってよい。

1996年大阪フィスティバル・ホールでのズービン・メータ指揮、ウィーンフィルとの協演で、私は初めて五嶋みどりの生演奏を聴いた。演奏会前日、仕事を終えたあと福岡から夜行高速バスに乗り込み、演奏会終了後梅田発の高速バスで翌朝福岡へ戻り、そのまま出勤するという荒技をこなした。今回は4月の発売当日に2000年5月30日、神戸国際ホールのチケットをゲット。鹿児島・大阪を飛行機で往復し、神戸のシティー・ホテルに1泊して、神戸市内観光まで堪能した。ピアノのロバート・マクドナルドとのデュオ・リサイタルだったが、みどりの弾くグァルネリ・デス・ジェスの「エクス・フーベルマン」は、奏者の意のままに存分にその音色を響かせてくれた。

音楽評論家や音楽ファンの中には、五嶋みどりの演奏へのただならぬ集中力を認めながらも、その鬼気迫る演奏ぶりを、敬遠される向きもある。もっと、肩の力を抜いて演奏してもいいのではないかと。勿論気楽に聴く音楽や演奏も必要だ。しかし五嶋みどりの”鬼気迫る”演奏ぶりこそが、彼女らしいと思う。端正で破綻のない完璧な演奏というものも、それはそれで価値があると思う。しかし彼女はそこを超えて、演奏を通して自分の感情を表現し、私に強いメッセージを送ってくるのである。音楽への感銘を媒体にしてこの時間と空間を共有したい(彼女はそれを「シェアする」つまり「分かちあう」と表現している)、その明確な意志を発してくるといってよい。

感じ方というものは人それぞれなので私の場合に限って言えば、五嶋みどりの演奏は少なくとも私に「音楽で語りかけてくる」のである。それは私にとって、優れた絵画や演奏を「鑑賞する」という段階を突き抜けている。言葉で説明するのは難しいが、私には彼女が互いの魂のふれ合いを直截に求めてくる、としか言いようがないのだ。余談だが私は高校生の頃、ある人の演奏でメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調を聴いたことがある。その演奏家は技術的にも未熟で、音が外れたり割れたりで、始めから終わりまで不安でハラハラし通しだった。演奏を楽しむどころか、音楽を分かち合うどころか、ぐったり疲れて散々な目にあった。あれでは演奏以前で、メンデルスゾーンが気の毒だ。また外国のある著名なピアニストに限って言えば、何度TVやCDで彼の演奏を聴いても、私の心に少しも響いてこない。聴いていても居心地の悪い違和感が生じ、それ以上は私の体が受け付けない。そういう体験も持っている。それ以来、私はお金を出して出かけるクラシックの演奏会は選びに選び、妥協しないことに決めている。

五嶋みどりは15歳の頃、ブラームスのチェロ・ソナタホ短調を自室で聴いているときに、その音楽に没入しながら心が体を離れ、浮遊して自分の内面と向き合う自分の姿を見つめるという特異な体験に遭遇したことをのちに書いている。以前五嶋みどりの生い立ちを描いたTV番組で、英語の教師が作文の課題を与えたとき、彼女はブラームスへ宛てた友情と共感を綴った手紙を提出し、その神秘的な内容に驚いた経験を教師が話していた。この作文とはまさに15歳の特異な体験を指していると、私は理解している。そしてそれは彼女の演奏から私が受ける「メッセージ」とも無縁ではないと信じる。私はこれからも五嶋みどりの演奏を聴きに行くだろう。そして彼女が発し、私が感じ取るメッセージの内実を求め続けたいと思っている。 (2000年6月13日)