さとうきび畑

杉山 武子


 私がその歌を初めて聴いたのは、ずいぶん前のことだ。つけっぱなしのテレビから 流れてきたのかもしれない。「ざわわ ざわわ」と不思議な語感で繰り返されるメロ ディーにのせて、とつとつと繰り出される歌詞からは、実際は見たこともないさとう きび畑の広々とした風景や、青い海、真夏の太陽がイメージされた。いや、もしかし たら映像も一緒に見ていたのかもしれない。

 素敵だな、何という歌だろう、と聞き入った。歌は2番へと続き、歌詞は物語のよ うにゆっくり展開していく。すると歌詞は「海の向こうから戦(いくさ)がやってき た」と続いた。え?戦争の歌なの、と思った。

 そして、「あの日 鉄の雨にうたれ 父は死んでいった」と歌われたとき、私は耳 を疑った。鉄の雨って何?そしてその意味が理解できたとたん、私の目からポロポロ と涙が流れてきた。そしてその長い歌を聴き終わるまで、私はじっと固まったように 動けなかった。

 その後何度かその歌を耳にするたび、私の胸はキュンと締め付けられ、その歌のこ とが気になっていた。私が最初に聴いたのは多分「NHK みんなのうた」で放映されて いた、歌手のちあきなおみさんが歌っていたものだとわかった。さとうきび畑は沖縄 の風景であることも。

 つい先日、テレビ番組でこの歌の作詞作曲をされた寺島尚彦さんが登場され、歌の 誕生したいきさつを話された。寺島さんは戦後、まだ返還前の沖縄に、ある歌手の伴 奏者として初めて訪問。当時の沖縄はまだ米軍の統治下にあり、沖縄の出入りには日 本人でもパスポートが必要だった頃だ。

 仕事が終わって一人沖縄に留まった寺島さんは、沖縄の各地を見て回られた。さと うきび畑を歩いていたとき、今あなたの歩いている足下にはたくさんの人々の亡骸 (なきがら)が埋まっています、と案内の人に言われ、第二次世界大戦で日本では唯 一地上戦が行われ、戦場となった沖縄の現実を知らされたという。その時、さとうき び畑は強い風で緑の波をうねらせていたという。

 ある村の集まりに招かれ、ピアノを弾いて交流会を行っているときのこと。最初は ノリのいいポピューラーなどを弾いて、みなで歌って賑わっていた。終わりの方で 「赤とんぼ」や「ふるさと」など日本の曲を弾き始めると、最初元気に歌っていた声 が次第に小さくなり、騒がしかった会場も静まり、村人に背を向けてピアノを弾いて いる寺島さんは、様子が変なのに戸惑ったという。

 何か村人の気分を害したのかなあと、気が気ではない。それでピアノを弾きなが ら、首を後ろへひねって聴衆の方を見ると、立ち上がっていた村人たちが一人また一 人と、床に座り込み、「ふるさと」を泣きながら歌い、涙をこらえ、ハンカチで顔を 覆ったままうずくまったり・・・。

 その情景を見た寺島さんは、ああ、この人たちは紛れもない日本人だ。私とおなじ 日本人の血が流れているんだ、と強く胸を打たれたという。沖縄での、それらの強烈 な体験がモチーフとなって寺島さんを捉え続け、「さとうきび畑」が誕生したとい う。

 楽譜には「淡々と、感情をおさえて」と書かれているという。私が最初に聴いたち あきなおみさんの歌は、淡々とした、しかし緊張感のある歌い方の中に迫ってくるも のがある。一方先日のNHK テレビ番組では、森山良子さんの歌だった。森山さんの歌 は、自らつま弾くアコースティックギター1本を伴奏に、感情の起伏をストレートに 出し切っての、彼女らしい熱唱だった。

 悲惨な戦場と化したさとうきび畑、真夏に、そこで鉄の雨を浴びて死んだ父。戦争 の終わった日に生まれた私、母の子守歌。父を知らず母の手で育った私、父の手に抱 かれた夢を見た私、お父さんと呼んでみたかった私。その悲しい思いは、海に流して も、消えることはない・・・。そんな歌詞だ。

 この歌は反戦の歌だとよく言われる。けれど、歌詞の中には戦争も反戦も、沖縄や 平和という言葉も一つも出てこない。ただ、広大なさとうきび畑が海からの風にあお られ、ざわわ・ざわわとうねっている。その夏の風景の中で銃弾を浴びて死んでいっ た父を慕う子の、切ない思いだけが言葉少なに歌われる。

 美しく、切なく、哀しい歌。CDも出ているらしいが、なかなか聴く機会がないこの 歌を、森山良子さんの歌声で久々に11番までのフルバージョンで聴けたのは嬉し かった。心に染み入る声と詞(ことば)に耳を傾けながら、私はまた新しい涙をこぼ してしまった。(2001年8月29日)