ドイツの中のアジア

武田実夕


二つの国の首都となったベルリン


旧東ベルリンの中心地から地下鉄で二駅ほど乗ると、いまだに旧東独時代の 面影を漂わせている一角に出る。駅を降りて地上に出ると、誰も住まなくな ったが取り壊される予定のまだない、抜け殻のような建物が並んでいる通り に出る。どの建物もプラッテンバウと呼ばれる単純なパネル式の建築のもの だ。

オフィシャルでは誰も住まなくなったとはいえ、実はこれらはうまく活用さ れている。アーティストのアトリエになっていたり、シアター・映画館にも なっている。少々住み心地はよくないが住処としている人たちもいる。市が どのように管理しているのかはよくわからないが、電気・電話・上下水道設 備も整っているそうだ。

先日、この一角のクラブで「アジア・パーティー」なるものが催された。アジ ア風パーティとはいえ、オーガナイズやDJをしているのはベルリンに住む ロシア人達。でも、とにかくアジア・パーティー。日本の音楽もかかるから 来ない?との誘いで、行くことにした。

先週の金曜日は、朝からどんよりとした天気で、雨が降ったりやんだりしてい た。週末の夜に出かけるのは、時々面倒くさい。特に、こんな天気の日は。 でも、ドイツ人は週末は必ず何かをするのが普通である。そして、その影響 を受けて、今ではわたしも週末はいつも何かをするようになっているのだが、 こんな天気の日にはどうも気が進まない。

その日、わたしはドイツ人の友人といっしょに待ち合わせしていたのだが、 30分も待ち合わせに遅れてしまった。ドイツに住むようになって以来、時 間厳守になっていたのに、どうしたわけかその日に限って出かける直前に突 然、部屋を掃除したくなってしまったのだ。今晩家に帰ってきた時に、気持 ちよく眠れるように、という自分勝手な思い付きで時計を見るのをすっかり 忘れてしまった。

待ち合わせの駅のホームには、誰もいなかった。友人は典型的なタイプのド イツ人で、時間厳守・計画的行動を取る人だから彼が30分も遅れるはずは ない。きっと、痺れを切らせて先に行ってしまったのだろうと思い、わたし は無人のホームを後にして廃虚の立ち並ぶ通りへと向かった。

ここを歩いていると、自分がこの街に移り住んで間もない頃、五年前を思い 出す。あの当時は街全体にがらんとした雰囲気が漂っていた。社会体制のま ったく異なる二つの国の首都となって、街自体が路頭に迷っているようだっ た。ドイツ統一に伴う急激な変化を懸念して 街を去った人々がたくさんい た。

そして、誰も住まなくなった建物だけが取り残された。でもここ数年間で、 ベルリンはとても変わった。ベルリンが首都になったのはドイツが統一され た10年前だが、実際に首都として機能するようになったのはごく最近だ。 この数年間は街のあちこちで、絶え間なく工事が進められていた。


アジア・パーティー


建物の入り口には錆の付着した門の上に、壊れかけた看板があやうげな形で かろうじてかかっていた。この絶妙なアンバランスさが廃虚の建物を象徴し ていた。何の看板だったのかはさっぱり思い出せないのだが、この入り口に は来た人々を歓迎する独特の趣があって、中でやっているパーティーに妙に 興味をそそられた。

パーティーはまだ始まったばかりで、人はまばらだった。こじんまりとした 雰囲気の、さほど広くないスペースの奥には小さな舞台がある。ライブミュ ージックが始まるらしく、舞台の上にはせわしなく動いている人が数人いた。 カウンターの横の背の高い椅子に腰をかけて、きょろきょろと見回すと、奥 の方の席に待ち合わせをしていた友人を見つけた。彼は、となりの席の人と 必死で何かを議論している様子だ。しかたない、謝るのは後にしようと思い、 わたしはビールを注文した。

「ごめん!待ったでしょう?わたし、今来ちゃった!」
「ああ、ううん。わたしも今来たところだから。」
聴きなれた日本語が耳に入ってきたと思ったら、横に友人が立っていた。言 われて思い出した。彼女とは前日に電話で話した時に、八時半くらいに会お うと言っていたのだ。でも、実際に来たのは10時半過ぎ。二時間の待ち合 わせのずれで、お互いがほぼ同時に来たのだ。思わず笑ってしまった。彼女 に会うのは三ヶ月ぶりだったので、お互い話すことはいっぱいあった。わた したちが日本語で話していると、周囲の人がちらちらとこちらを見た。

いつのまにかコンサートは始まっていて、スペース全体に音が鳴り響いてい た。特に好みではない、ヘビーメタル調の音楽だ。あまり冷えていないベック スのビールを飲みながら舞台の方へ目を向ける。このボリュームの中では彼 女と話を続けるわけにもいかず、しかたなく音楽を聴いた。数曲終わった後、 一人がマイクに向かって話し出した。発音の様子からロシア語だとわかった。 何を言っているのかはわからないけど、コンサートはかなり盛り上がってい る。


中央アジア:キリル文字と漢字


音楽を聴いている間に、二ヶ月ほど前に行ったある展覧会の映像が脳裏に浮 かんできた。「中央アジア」というタイトルの写真・スライド展で、ドイツ のアーティスト二人がキルギスタン・タジキスタン・新彊ウイグル自治区の 三カ国を撮影したものだった。約六週間の旅行の様子の生活の記録・風景が 一定の間隔で次々とスクリーンに浮かび上がる。それと共に、彼らが地元の 人々と交わした会話や通りでかかっていた音楽を録音したものが流れていた。

一方的で無機質に訴えかけるスライドと音楽の世界にいつのまにか引き込ま れてしまっていた。写真の一つ一つがあまりにも何気なくて、撮影者の意図 を感じさせなかったからだろう。旅行の瞬間を一つ一つ大切に切り取ってそ れらが本当にそこに存在しているかのように錯覚したほどだ。

これら三カ国は際立って違った特徴は見られなかった。どの国でも砂利道の 続く傾斜のはるかかなたに山が見え、湖があるという風景が見られる。街中 ではマーケットに群がる人々の様子と、山のように積み上げられた野菜と果 物のカラフルな写真。魚と羊肉を焼き売りしている店の様子。でも、一つだ けとても面白い違いが見られた。それは写真の背景の看板にちらっと移って いる文字だった。

キルギスタンとタジキスタンではキリル文字で書かれている。それが、新彊 ウイグル自治区になると写真の様子は同じなのに、文字は突然漢字になるの だ。その時、となりに座っていたロシア人の友人はキリル文字の写真が出る たびに、何と書いてあるのか私に説明してくれた。でも、新彊ウイグル自治 区の写真では、今度はわたしが彼に教えてあげることになった。文字の消え かかった古看板の漢字は、何だかとても懐かしく感じられた。

手元のベックスはもうすっかりぬるくなっていた。場内は相変わらずライブ コンサートで賑やいでいる。たぶん、最後の演奏が終わったのだろう。再び マイクに向かって叫び続けるロシア語の声。それに答える、観客の歓声が聞 こえてくる。ふと横を向くと、ドイツ人の友人がとなりに立っていた。彼は 口元をゆるませて、ヘビーメタルの音楽を楽しんでいる様子だ。また謝るタ イミングを逃してしまったな、と思いながらもほっとした。わたしは、ぬる くなったビールを飲み干した。


日本を思い起こさせるロシア民謡


いつのまにかコンサートは終わっていた。コンサートを目あてに来ていた人 々が帰り、辺りは少し静かになった。しばらくして、DJ による音楽が始ま った。さっきとは一転して、ゆったりしたアンビエンテミュージック。パー ティーの第二部が始まるのまでの間を持たせるには、ちょうどよい音楽だっ た。

一曲が終わり、また一曲。コンサートとは違ってDJによる音楽は、とても入 りやすい。音楽にじっと耳を傾けながら、まったく違うことを考えていたりす る。クラブにいくと、いつも感じること。孤独な人々の群れが、そこにある。 物理的には集団をなしているのに、誰も言葉を交わさず、それぞれが物思いに 耽っている。じっとしたり、踊ったりしながら自分と見つめあっている。

数曲終わった後、今までとはまったく違う趣の音楽がかかった。どこかで聴い たことがある。そうだ、日本の民謡にとても似ている。ゆっくりしていて、 漠然とした悲哀が音楽全体に漂っている。びっくりしたのと同時に、胸のど こかにちくっと突き刺さるような痛みを感じた。思わずDJのところに行き、 何の音楽かたずねた。

「ロシアでかなり人気の高い、ロシア民謡をベースにした音楽。でも、ロシア といってもモンゴルとの国境に近い都市。この地域は仏教都市なんだよ。」 確かに、モンゴルの大草原を連想させるような雄大さを感じさせる音楽だ。 でも、この音楽を作り出している根本的な悲哀の感、切なさは日本の民謡に 驚くほど似ている。何かが脳裏をよぎった。同時にとてつもなく激しい思い がこみあげてくる。そういえば、今日はアジア・パーティーだった。日本の 音楽もかかるから、と友人が言っていたのを思い出した。

日本にいると、日本がアジアであるということを意識する機会が少ないけれ ど、日本はやっぱりアジアなのだ。ドイツにいると、日本を外側から見るよ うになる。そして、自分のアイデンティティを考えずにはいられなくなる。 日本に住んでいたドイツ人の友人が昔、こんなことを言っていた。

「日本の友達にね、夏休みはどこに旅行するんですか、て聞くと、アジアへ、 ていうんだよ。でも、日本もアジアですよね、ていうと、ああそうですね、 と彼らは答えるけど」

日本が島国であることと、経済大国であること。そして、恐らくは歴史的な バッググラウンドも重なって、日本がアジアの一諸国だということを実感す るのは容易ではない。実際に、ヨーロッパの人々が、アジアの中にあってア ジアでない国、という印象を日本に対して抱いていることは確かだ。

でも、カルチャーに触れてみると、日本がアジアであることを容易に実感でき る。日本は島国だけど、海を越えれば、大陸があり、中国・韓国、そしてロシ アにつながっているのだ。音楽や美術、人々のコミュニケーションの仕方など は国境を越えて存在している。ああ、日本のルーツはこんなところにもあった のか、と思わされる瞬間がたびたびある。とても穏やかに緊張感がほぐされる ようなこの瞬間が、とても好きだ。

その晩は、その音楽が強烈で、そのあとかかった音楽もあまり頭に入らなかっ た。胸の奥にかすかに感じられる痛みだけがずっと残っていた。たぶん、日本 のポップミュージックもかかったのかもしれないが、気がつかなかった。そし て午前三時ごろ、帰路についた。

ドイツではナイトバスが30分おきに走っているので、交通の便には困らない。 ほどなくしてバスが来た。定期券を見せると、「グーテン・モルゲン(おはよう)」 と言われた。夜の12時を過ぎるとドイツでは辺りが暗くてもおはよう、とい う習慣があるらしい。「おはようございます。」とそそくさといい、席を見つけ座 った。

最寄りのバス停で降り、家に向かって歩く。わたしの頭の中ではクラブでかかっ たあのメロディーがずっとエコーしていた。それに混ざって街路樹から小鳥の鳴 き声が聞こえてくる。姿が見えないほど、辺りはまだ暗い。

自分の家の前まで来た時、ドアの前に何かが置いてあるのを見つけた。隣人のド イツ人からのプレゼントだった。鍵を開けて部屋に入ってからも、包みを開ける 気になれず、テーブルの上に置いた。気分が落ち着かなかった。部屋が掃除した ばかりだったのできれいだったのが、せめてもの救いだった。こういう気分が訪 れるのを予想して、 部屋の掃除を突然したくなったのだろうか。

八階の部屋からはビルの間をぬって大きな朝日が差し込んでいた。そのまぶしい 光がわずらわしく、厚めの生地の紺色のカーテンをさっと引いた。冷蔵庫から冷 えた水を取り出して飲む。ベッドに入ってからもメロディーは鳴り止まなかった。 どのくらいその状態が続いたことだろう。いつのまにか意識はどんよりとしてき て、それに導かれるかのように、わたしのからだは眠りに落ちた。