真紀子のトラウマ◆ あれだ、あの論文のせいだ、あの心の傷(トラウマ)からまだ立ち直っ ていないんだ。「淋しき越山会の女王」である。19741年(昭和5 9年)11月号の月刊「文芸春秋」。特集は立花隆の「田中角栄研究 ―その金脈と人脈」であり、表面的には首相田中角栄はこれで退陣表 明(同年12月)をせざるを得なかったということになっているが、 のちに本人は「いや、ありゃたいしたことはなかったが、もう一本の ことで娘が大騒ぎしおってなあ、あれに参ったんだよ」と近しい人に 語っている。 ◆ 「淋しき――」は田中には2人の息子を産ませた元神楽坂(東京)の 芸者のほかに女性ガいて自分の号をとってつけた政治・献金団体「越 山会」の金庫番をさせている。娘が一人いるが、どうも離婚まえに角 栄と不倫関係で出来たようだ、彼女の名前は佐藤あき(昭)、同郷の 後輩である、といった趣旨だった。初めて公に語られた事実であった。 とくに真紀子は驚き大声を上げて父親たる首相を非難したらしい。
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「恥ずかしくて街を歩けない、総理大臣なんて辞めて頂戴」
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それで俺は総理になれたから、済んだのだと思っていたのに、あの野
郎ツ! ◆ そこで「おんな」を武器に男社会に挑む女性を「シリーズ人間」とし て企画し、何人目かに佐藤昭を取り上げる事にして動き始めたら、い きなり高名な作詞家が訪ねてきて「やめてくれ」という。押し問答の すえ、作詞家は封筒を置いて帰った。開けたら800万円も入ってい たので、直ちに返した。 ◆ 間もなく社内で初めてストライキが起きた。どちらにも組みしないで いたら「児玉が取材先からカネを強請った」という噂が立った。嫌気 がさして退社しフリーの物書きになった。それにしても癪にさわるの でその道にくわしい政治記者に聞いたら「人を買収するのに800万 というのは半端すぎるな、作詞家がねこばばしたことは間違いないな」 といった。 ◆ そこへ文芸春秋から「もう独立したんだからアレを書いてよ」と頼ま れたから「淋しき越山会の女王」というタイトルで書いた。発売にな ってみたら立花という人の添物みたな扱いだったが、自分としては、 これでなんだか肩の荷を降ろしたような気持だった。 ◆ それから3ヶ月、田中政権は崩壊した。歴史は立花論文が田中を倒し たと太字で記録するが、のちに愛娘真紀子の国会答弁を詰まらせるく らいのトラウマを与えた事を考えれば、児玉のボデーブローの効果は 物すごいと言うべきだろう。田中を倒したのは児玉なんだ。 ◆ 以下はその後、私が双方から確かめた事実を基に下した推測ではある。 3000万円を角栄から渡された時に政治評論家は先ず1000万円 を抜いた。その次に受け取った作詞家は人を買収するのに偶数円とは 「これはおかしい」と気付き、同額を抜き、更に200万円も抜いた。 今晩の銀座の遊び代。残りが800万円だった。 ◆ 馬鹿を見たのは角栄である。得意の技が効かなかった上に3000万 円も還ってこなかった。とはいえ政治評論家はやがて罰当たりのよう に都内のホテルで22才を相手に腹上死した。独り作詞家はまだ自作 の詩の状態には達していない。残念な事に、児玉は1975年(昭和 50年)5月22日、肺癌で死んだ。まだ40歳になっていなかった。 ◆ 田中内閣と差し違えたような死だった。3000万円をどうやって、 誰がいくらねこばばしたかも知らないままだった。真紀子もまた知ら ない筈である。 ◆ とにかく角栄は買収が好きだった。小学生に何万円かを遣ろうとして 側近にとめられて怒った。「ひとにカネを遣って何が悪い。俺にはそ れ以外に何もないんだから」。役人にも記者にもカネを配った。断る と女房宛てに現金書留を送った。そうやって世間を「盗った」のであ る。娘はそうしたカネは一銭も使ったことがない。無いどころか秘書 たちの給料をくすねた疑いで代議士を辞職した。人間は必ずしも進化 しないことの良い例である。
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