鳩を寄せる悲しみ
渡部亮次郎
◆
鳩に餌を与えるなとある、中にはエサを上げるなと、敬語を使った役所の看
板が立っている。鳩に敬語を使ってどうするんだか、無関係な話だが、どう
も見ていると、あれは老人の生きがいないしは老人福祉問題なのですな。
◆
私が住まいしているところは、江戸・隅田川を挟んだ「川向こう」の江東区。
昔はびしょびしょの下町。戦後もしょっちゅう水害に見舞われたし「江東ゼ
ロ・メートル地帯」とも悪口をいわれた。そういう自分も仕事で回るのは山
の手だから、学生時代も含めて老境に入るまではこちらには全く縁がなかっ
た。
◆
それが最近、バブルがはじけてこのかた、江東区のマンション街の発達はす
ばらしい。地下鉄が縦に東西線に加えて横に来年3月下旬から半蔵門線が都
心から延長折りいれするとこんなに便利なところはなくなる。何せ錦糸町か
らJRの地下にもぐれば東京駅までたったの8分と言うから、人口が1年に
1万人ちかくの勢いで増えていくのは当然だ。もう水害はない。30階、4
0階のマンションが素晴らしい数で林立している。
◆
ところが、その先がいけない。木場の貯木場をつぶしてできた恩賜猿江公園。
最近、カラスが退治されて再び鳩の天下であるが、公園事務所がいくら鳩に
エサをやるなと言ってもおじいさん、おばあさんのエサやりは増えるばかり
である。
◆
エサをやると当然、栄養がよくなる。よくなると性欲が人間とどう違うのか、
産卵が年2回のものが、3回に増えて、東京で増えるのは老人とはとばかり。
ところが、老人と話してみると、たいていは一人暮らし。関東大震災をくぐ
り、昭和20年3月の大空襲では、親兄弟を失いながら、悲しみに耐えて生
きてきたが、寄る年波でもういけねえ。ヨチヨチと散歩に来て、エサに寄っ
て来る鳩の羽ばたきが生きてるシルシよというのだ。かと思えば、家では嫁
に掃きたてられるようにして公園に出てきても話し相手はいない。なにしろ
下町と言っても、個人主義の時代が長すぎた。公園で出会っても挨拶する人
は年寄りでも稀になった。仕方が無いから、たばこ銭を詰めて買った麦を撒
いて鳩の群れを寄せ付けるのさ。だから、中には鳩が頭に立とうが、肩にと
まろうが嬉々としてその老人は張り切っている。まさに公園事務所の考えて
いる鳩問題は、鳩問題ではなく、すぐれて老人問題、福祉問題だったのであ
る。
◆
公園にはホームレスも常時10人ぐらいは住み付いている。吾妻屋は完全に
占領されたから,エサをやる老人たちの座るところは無い。まして犬は放す
んじゃないと管理事務所、幾ら叫んでも、放し飼いだから、何時噛まれない
とも限らない。まこと、老人たちの鳩寄せ事業はあるきながらで大変なので
ある。
◆
ある日から、パンくずを持って仲間入りしてみたが、あれほど面白くないも
のは無い。第一、鳩は根っからの馬鹿だ。記憶と言うものが無い。ア、昨日
のおじいさんだということが絶対ない。わかってない。エサに興味があるの
であって,くれる人に興味は無い。記憶もない。愛がわかない。老人の鳩寄
せは実に悲しい限りだ。