角さんにエネルギー政策?

渡部亮次郎
今や大ジャーナリストとなった田原総一朗氏が二○○二年九月に講談社から出した「日本の政治 田中角栄・角栄以後」を読むと、角栄氏はわが国のエネルギー政策の貧しさを正すために政権を獲得し、然るが故に有りもしないロッキード事件に巻き込まれた、冤罪だと主張しているが、果たしてどうだろうか。

これに対して、かつて著作によって田中政権を倒したとされているかの立花隆氏は二○○二年八月に文芸春秋社から出した「田中真紀子」研究と言う本で真っ向から否定している。「あれは通産省(当時)出身の秘書官が書いた筋書きであり、田原氏はそれに乗せられたにすぎない」と。

田中氏がライバル福田赳夫氏と首相の座を争った角福戦争の時(一九七二年)、私はまだNHK政治部の記者で、福田を担当していた。当時の首相佐藤栄作氏は明らかに福田氏を支持しており福田氏も「禅譲」とか「上善如水」とかを口にしながら勝利を疑っていなかった。そうした中で一人、重宗雄三氏のみは「佐藤もカネで転ぶよ」と疑っていた。もともと佐藤・岸兄弟と同郷の故を以て政界は福田支持とみていたが、自身の参議院議長四選工作に失敗してから、田中氏に肩が寄るようになっていた。明らかにカネであった。しかし世間の予想は五分五分で総裁選挙に突入したのだった。

田中氏は佐藤内閣で内閣官房長官にされて首相に抑えられることを嫌った。証拠はないが佐藤政権を作る時の資金面を殆ど担当させられながら必ずしも優遇されなかった田中氏は切歯扼腕していた。しかも佐藤は後継者選出に当たってオレを差し置いて福田を選ぼうとしている、許せん、とそればかりだった。エネルギーとか石油のことなんか、なかった筈だ。

これを見て取って佐藤首相はニクソン米大統領に約束しながら、頼みとした通産大臣大平正芳、宮沢喜一氏が次々に果たせなかった日米繊維交渉という難題をおっかぶせるべく田中氏に通産大臣を押しつけた。福田氏には宰相学よろしく外務大臣ポストを与えた。政界は勝負あったかに見た。

ところが苦境に陥ったかに見えた角さんは日本国内の繊維業者に二千億円という途方もないカネを与えて黙らせると言う奇策を用いて一挙に解決してしまった。首相は当然驚いたがそれよりも注目している私たちは、大蔵官僚がとてつもないこの予算を認めないだろうと見たのに大蔵省は文句なく認めたのである。ただただ角さんの迫力にやられたのだなあ、と思ってきたが、立花氏によるとそのころ大蔵大臣の水田三喜男氏の夜の財布のすべてを角さんに握られていたため水田さんは角さんには何も言える立場になかったそうなのである。角さんという人は世間渡りではそういう戦略を持っている人だった。しかし石油や天然ガスのことをあのころ考えていたとは信じられない。角さんの頭は日中問題で一杯だった筈だからだ。

しかもその日中国交回復にしても、それをやるために政権を狙ったわけではなかった。「最年少で岸内閣の郵政大臣をやった。この時、カネを使った。カネ作りをやって池田勇人内閣を作り政調会長を経て大蔵大臣になった。カネさえ工面できれば何にでもなれるぞ。引き続き佐藤を首相にし、幹事長になった。これならカネを多少多くすれば自身が総理大臣になってもおかしくない」と考えた。それだけだった。

しかし、総裁選挙に立つとなれば何かそれらしい政策というか構想も必要なので、佐藤に干されていたころに考えた都市政策を中心にした日本列島改造論を急遽、新聞記者出身の早坂茂三秘書らに纏めさせ、親しい日刊工業新聞社の社長に頼み込んで出版したらベストセラーになったので、これを田中内閣の政策としていくことにした。

ところが佐藤内閣の末期になってニクソン大統領が日本に相談無しに急遽、中国を訪問したことから、中国問題が急に政策論争のタネになり出した。ライバルの福田が立場上、佐藤路線をとって台湾支持で来るならこちらは大陸(中国)支持で行く。しかもほかのライバル大平や三木武夫、中曽根康弘も中国との国交回復を急ぐべきだと一致している。  そうやって決選投票で自分が勝ったということはまず日中国交回復をやらなければならないとなって二ヶ月後には特別機を仕立てて北京へ飛んだ。その時私は福田番から総理官邸番に替わっていた関係で記者代表15人との一人として総理特別機に同乗して行った。八十人の同行記者のうち残りは別の特別機で向かったのであった。

大統領補佐官キッシンジャー氏は頭越しした筈の日本に却って頭越しされたので怒った、といわれている。
田中氏の通産大臣当時、通産省側から出た秘書官は岡山大学出の小長啓一氏であった。その人を角さんは気に入って居たらしく総理大臣になったら官邸に招んで首相秘書官に発令した。小長氏は後にアラビヤ石油会社の社長になった人でもあるし日本のエネルギー政策に並々ならぬ関心と見識を持っている人だった。なお歴代首相は通産省から秘書官を採用したことはなかったが、通産省は爾来、これを前例として送った。ところが福田氏は一旦は拒否して問題化したことがある。

ところで私は、田中内閣では実は早坂氏が首席秘書官になるのかなと思っていたが、実際は後に「蜂の一刺し」で有名になる女性の旦那の榎本さんという人がなり、早坂さんは可哀想に官邸と公邸を繋ぐ廊下に机を一つ与えられ、朝から新聞の切り抜きをさせられていた。角さんと言う人は役人を信頼する人だから、自分が役職に就いている間は早坂氏に用はない。そのことを如実に物語る図であった。

確かに早坂氏は角さんが失脚したあとにこそ真価を発揮する。だから令嬢真紀子さんの神経に触れて追放されたが、最近、ライバルだった文芸春秋社の雑誌「諸君!」に連載しているエッセイを読むと高い見識を抱いた紳士であることが良くわかる。真紀子さんが政界に復帰して高い地位を目指すならば早坂氏に詫びを入れて助言を貰うべきである。出来ないだろうが。

話を本筋に戻してエネルギー政策のことである。
私は日中の翌年、テレビ解説での発言が田中側近の逆鱗に触れたとかで報道局長に口説かれ大阪に飛ばされた。三年して東京へ戻ったら、角さんの方は金脈事件で退陣した後、さらにロッキード事件で起訴されていた。内閣は三木内閣になっていた。逆鱗とは、「田中首相には政治的な哲学とか長期にわたる政策的な戦略が全くなく、いつも行き当たりばったりで、日本列島改造論も物価上昇を招いている」と批判したことであった。

そんな田中氏がエネルギー政策の解決のために政権奪取を目指し、日本独自のエネルギー・ルートを確立しようとしてアメリカの石油資本を怒らせたなんて本当だろうか。
田原氏が初めて、「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」を「中央公論」に発表したのは一九七六年七月号であるが、私は同じころ、かつて日本航空のテヘラン支店長だった人の筋からも似たような話を聞かされていた。またその後大臣秘書官在任中も様々な筋から中東の石油にからんで、露見したら必ず事件になる話を持ち込まれたので、資源外交に魅力を感じ、あのころ権力を獲得した角さんに哲学や長期的なエネルギー政策があったら日本も変わっていただろうと思っていた。

しかし立花氏は先の著書の中でそれを完全に否定している。「角栄が資源外交に力を入れたのは事実です。しかし、それほど大した成果をあげたわけではありません」(三○六ページ)。
「ガセネタのもとは小長氏です。角栄の資源外交は実際のところ彼が中心になってやったもので、それが角栄が潰れると共にしぼんでしまったので、口惜しかったのでしょう。どこかでああいう妄想をしゃべりまくったら、それが田原総一朗の耳に入って、田原がそれを針小棒大に(雑誌「諸君!」で)書きまくった・・そのことは「新潟日報」の連載の中で本人(小長氏)が書いています」。

これじゃ勝負にならない。小長氏の話を基にした田原氏の先の原稿のゲラが中央公論社から小長氏に届き「ちょっと書きすぎだと思って田中氏に見せに行ったところ田中氏はこのままでいいだろう、と言った」と書いてあると言うのだ。小長氏の吹き込みで書かれた 物語だったわけだ。

事実、当時、総理官邸番をしていた記者の一人に聞くと「当時から珍説だった。小長氏の振りまいたものだった。それを田原氏は現場を踏んでないから簡単に乗せられたわけだ」と歯牙にもかけない。
考えてみてもおかしい。田原氏の本は文芸春秋社の雑誌に連載されたものだが、これが本として文芸春秋社からは刊行されず、講談社から出ている。文芸春秋社もマユつばと疑ったのかも知れない。

或いはこうした事は今となってみればもはやどうでもいいことかも知れない。しかし今の政治は自民党たると民主党たるとを問わず田中角栄の政治システムの呪縛から解かれていないと立花氏は指摘している。相変わらず自民党は公共事業によって景気を左右しようとするし、それを少しでもさせまいとする小泉政権の打倒を図ろうとしている。また、野党にしても政府への追及の仕方はいわゆる五五年体制の枠から出ていない。それ故にかどうか民主党議員そのものに力強さが漂っていない。人間的な魅力に欠ける人が多い。
立花氏が言う如く、いまの政治が角栄の呪縛を脱しない限り立ち直らないと言うなら今こそ角栄研究をすべきではないか。