The United  Nations

渡部 亮次郎


 戦争をテレビ観戦する時代だが、昭和11年生まれのこの老人ですら戦争に征かず軍隊を知らない。戦争賛成も反対も叫ぶ資格すらないと言われて文句が言えない。陸軍でいえば師団とか旅団とか言われても規模が全然わからない。小隊、中隊、大隊といった言葉は戦争映画では耳にするが、果たして何人ぐらいから成るものやら見当もつかない。

 その前に、柔道も剣道も経験がない。高校の途中、つまり占領軍が去って日本の独立が実現するまで、マッカーサー元帥は日本の児童、生徒に柔道、剣道を禁じた。あの気合とか掛け声とかが神風斬込隊の気勢を連想させるからということらしかった。その代り野球を大いに奨励したが、こちとら小説なんぞを書いて停学寸前だった。

 それ以前をいえばアメリカとの戦争の始まった翌年に国民(小)学校入学6歳。艦載機に追いかけられたり秋田油田の精油所への爆撃に震えたりしているうちに敗戦は小学4年生。戦争の悲惨さは多少体験したものの軍隊は行かないで済んだ。私より8歳ぐらい上の人は予科練とか満蒙開拓などに行った。そんなわけで軍隊のことがまるっきりわからない。

 当然、軍艦のことも判らない。今は軍艦と戦艦の区別がわからない奴がキャスターをやっていると誰かが怒っていたけれども右の次第だから若い人たちが巡洋艦も駆逐艦もわからなくて当然だ。潜水艦と航空母艦ぐらいはわかるかも知れない。だから戦争反対とは言っても観念的なものに発しているだろう。

 それはそれでいいのだが、国連決議のないイラク戦争は良くないと言うのは国連と言うものを誤解している日本人の罪だ、と畏友加瀬英明がまた怒っている(月刊誌「カレント」03年4月号)。言うとおり英語ではThe United  Nationsだから、どんなに頑張っても国連とは訳せない。どう見たって連合国だ。

 当時、日本を敵として戦っていた51ケ国が昭和20年6月に結成した。それが日本ではいつの間にか国連と言う公的な組織のように訳され誤解されて今に至った。加瀬の父上はその国連に日本も加盟が許されての初代大使であるが、英明は「戦後、敗戦を終戦、占領軍を進駐軍と呼んだように、外務省の中に連合国と訳すると屈辱的なので、国際連盟をもじって国際連合と呼び替えた者がいたのだろうか」と書いて「そのために今日に至るまで、国連の本質が隠されてしまった」と嘆いている。

 要するに国連には中心がない。それなのに国連中心主義を唱える歴代日本政府は精神科医に診て貰った方がいい、と加瀬は言っている。国連は世界統一の国会でも裁判所でもない。単なる組合なのだ。そんなものを大事がるのは日本だけだ。だから世界で二番目にカネをとられている。

 中東のことを日本外務省は今から20年ぐらい前までは中近東と言っていた。その中近東へ園田外務大臣が行くまで外務大臣が歴訪したことがないというのが日本の中東政策だった。それだから田中内閣の時に石油ショックが起きて大慌てしたわけだ。勿論、民間にはアラビヤ湾で石油を掘り当てた山下太郎という大物もいたが、政府はさっぱりだった。その延長の日本国民だから、イラク戦争の別の側面を知らない。フランスもロシアも中国も石油でフセインと結んでいたからアメリカに反対しただけだ。それを何のためと勘違いしたのだろうか。平和主義国家だとでも思ったのか、彼らが反対するから私も戦争反対と叫んだ日本人は多かったのではないか。

 中東へ初めて行ったのは1月だったが、既に日中の気温30度と言っていた。ボンネットで目玉焼きが出来るということだったから、今度の戦争の4月の暑さといったらなかったろうと思う。砂漠といっても海岸ではない。山あり谷あり。砂より粒の小さい土漠と言うべきだろう。夜になると物凄いという程冷える。春は砂嵐だ。イラクに文明が花開いた頃はまさに山野に樹木あり花が咲いていたろうが、緑が失われて砂漠となった。あれで地下に石油の埋蔵されていることの判らなかった戦前は希望はどこにあっただろうか。
 サウジアラビヤから日本にやって来た石油相は外務省の玄関で雨を顔で受け、甘い、と微笑んだ。