胡錦濤、現実路線の裏

渡部亮次郎


読売の北京特派員浜本良一記者が2003年6月6日付で報じたところに依ると、中国科学院の蒋立峰・日本研究所所長(57)は5日、読売新聞のインタビューに答え、胡錦濤政権の対日政策について、「歴史認識問題を一番重要とするのではなく、適切に位置づけるよう調整した」と明言、歴史問題を日中関係の「政治的基礎」とした江沢民・前政権の強硬姿勢を現実的な方向に転換したことを明らかにした。また、今夏にも小泉首相訪中が可能との見方を示した、という。

小泉訪中は、小泉首相の自民党総裁再選問題とも微妙に絡む問題である。中国との太いパイプを誇ることが小泉再選の行方を握るのが橋本派であり、その最大のカードが小泉訪中の実現だった。それなのに蒋所長は「(小泉首相が)今年一月に靖国神社に参拝した時は江沢民時代だった。胡新指導部は三月に誕生している。八月に再び参拝しなければ、小泉首相は中日平和友好条約の締結二十五周年を記念して訪中できるかも知れない」と、軽く語っている。早い話が、対日関係では歴史問題を前面に出すことは(いつまでかは判らないが)しないと決定した、というのだ。先のサンクトペテルブルグでの小泉首相との初会談で胡錦濤氏が歴史問題に触れなかったのは国家戦略の変更を意味していたのである。

この点について京都大學教授の中西輝政は月刊雑誌「文芸春秋」2003年7月号に論文「中華文明の死に至る病」で重大な警告を発している。<この半年の間の中国の対日外交の中に一見「歩み寄り路線」とも言うべき流れが登場している・・・裏には、日米分断という狙いがセットになっている。大国外交の風格で迎えつつ、すり寄ってきているのは向こうなのだから、この際うんと言うべきことを言っていけばいい>。これは教授が中国のいろいろな論文を分析した結果から導きだした結論である。問題は今後である。<ここでもし中国側につり込まれて、首相の靖国神社参拝の中止や靖国神社の代替施設着工などを約束してしまったら、いまやすっかり空文化してしまった平壌宣言の二の舞となるばかりだ>。小泉四元外交を展開して人気取りを図っている側近たちよ、これを肝に銘じて欲しい。

少なくとも胡錦濤は江沢民好みの人物ではなく単に搶ャ平の「遺言人事」である。江沢民とは違って、性格的に表面は温和な人だがシンは強い、江沢民に虐められているようで、心の底では別のことを考えている人だ、と面会した日本人は言う。
その表れが今度の変化と考えるのが我々だが、どうもこれには深い裏があるに違いない。日本の新聞の一面に載るような大騒ぎをせずに舵を静かに切る、をやったのだとすれ巧妙すぎるのだ。

浜本記者は、<蒋所長は、歴史問題を巡る方針転換に関して、「基本的立場に根本的変化はない」としつつも「問題の処理の仕方や方法が江沢民政権とは違う」と述べた。さらに、「中日関係は新しい段階に入るべきだ。歴史問題が政治的基礎とする対日政策には賛成できない。中日共同声明(1972年)、中日平和友好条約(1978年)、中日共同宣言(1998年)の三文書を政治的基礎にすべきだ、と語った>とある。来日して「歴史」を連呼し威張り散らした江沢民路線を明確に否定している。やはり中西教授が指摘するように中国としては世界戦略の上から対日関係を再検討すれば、この際は日本を懐柔しておく方が得策と判断したのであろう。中国の本当の敵がアメリカであることを考えれば、その軍事同盟国である日本を次第にアメリカから引き剥がす必要があり、そのためにはこの際は摺り寄り路線に転換する必要ありと決定したものだろう。それなのに中国は話はそんなに深刻な検討をへたものでは無いように装っていて実に巧妙である。

もともと中国社会科学院は1949年の新中国成立後に設立された研究所で、日本研究所を統括する社会科学部門は1977年に独立した。独自研究活動のほか党・政府からの委託研究も行うとされる。従って蒋立峰所長の今回の発言は党中央の重大な変化を密やかに確実に説明したものと考えるべきであろう。
問題はこれで小泉首相再選野の減点の一つ「訪中不可」は無くなったとか抵抗派は攻撃カードを一枚失くしたといった低次元の話では無いのである。(文中敬称略)