推理小説の読み過ぎだね(再掲)   古沢襄


半世紀も経つと東京の風景も一変している。新橋駅で国電を下りて虎ノ門に向かって歩くと最初の交差点の角に日石ビルが立っていた。右折して間もなく左手にNHKの旧社屋があった。さらに日比谷に向かって歩くと左手に共同通信社と時事通信社が同居した市政会館ビル、その右手正面には東京新聞社がある。私たちは歩いて国会や首相官邸に通ったものだ。

日石ビルに岸元首相の事務所があった。国会取材が終わると岸事務所でとぐろを巻いていたものだが、奥の部屋に山地一寿さんがいた。もう五十四、五歳だったろうか。明治三十六年生まれだから私のオヤジより四歳も年上だと敬意を払っていた。丸亀中学から旧制六高を経て京都帝大経済学部を卒業し、東京日日新聞社に入った戦前のジャーナリスト。敗戦の年に岸さんの秘書になっている。

岸首相が総理官邸で、右翼の荒牧退助に襲撃された後、自民党の誰から荒牧に招待状が渡ったのか、と問題になった。安保騒動で警備が厳重となった総理官邸に右翼が簡単に出入りできる筈がない。岸首相に恨みを持つ誰かが、意図的に招待状を渡したとみるのが常識であろう。

私は直感的に児玉誉士夫の配下の仕業だと考えた。河野一郎の側近三銃士(児玉、永田、萩原)の策謀だと思ったわけである。「推理小説の読み過ぎだね」と山地さんからたしなめられた。

「岸は佐藤と違って、河野を稚気愛すべき人物と評価している。池田よりも遙かに河野を買っているし、河野も岸の気持ちが分かっている」・・・その河野と親しい児玉が刺客を差し向ける筈がない、というのが山地さんの読み。

河野の筋でないと分かれば、残るのは大野伴睦の筋の者となる。吉田自由党の下で大野は院外団にいたことがある。戦後政治の流れの中で岸や河野は鳩山民主党系。これに対して大野や池田、佐藤は吉田自由党の系譜に属している。

企業合併でも、十年や二十年は合併以前の企業の対立やしこりが残るといわれるから、保守合同と銘打っても政党間の対立感情は、そう簡単に消えるものではない。

荒牧退助に招待状を出したのは大野伴睦事務所であった。荒牧は院外団にいたこともあったという。大野事務所が意図的に岸首相を荒牧に襲撃させたのか、という点が警察の取り調べの焦点になった。山地さんは警察情報を逐一入手して岸さんに報告している。

「大野が岸首相襲撃を指示する筈がない。当時は新米の中川一郎が秘書になっていて、招待状を配ったのだが、大野の性格を反映して大雑把なところがあったからね・・・」と山地さんは証言している。結局は尊敬する大野伴睦先生に恥をかかせた岸憎さから出た荒牧の単独犯行で落着している。

あまり知られていないことだが「刑務所をでた犯人(荒牧)が生活できるか、どうか父は心配しておりました。自分を刺し殺そうとした男のことまで気遣っていたのです」と安倍晋三の母・洋子さん(岸首相の長女)は証言している。岸首相も、右翼の襲撃を覚悟のうえで宰相となった戦前からの政治家であった。

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