「カーターの戦慄」と北朝鮮の核兵器保有    古澤襄


アメリカの大統領が持つ権限は日本の首相とは違って絶対・無二のものである。外交・安全保障政策にズブ素の無名の地方州知事がホワイトハウス入りし、アメリカの不利益ひいては世界の安全保障に深刻な影響を与えようとしたらどうなるか。

結論から言うと、米国務省、米国防総省の高官たちは表面的には大統領の指示に従って検討作業に入るが、それが無謀な試みであることをリークしてメデイアも反対の論陣を張り、その大統領の再選を阻むことになろう。この実例を1976年の大統領選挙で当選したジミー・カーター大統領にみることが出来る。

ベトナム戦争で手ひどい敗北を喫したアメリカは、国内の反戦ムードが高まり、無名の前ジョージア州知事で民主党の大統領候補・カーターを選挙民は当選させた。それも現職の現職のジェラルド・R・フォード大統領(米共和党)を破っての当選であった。

ただし一般投票の50・1%を獲得しての勝利に過ぎない。投票率は戦後最低であった。

この経過は「THE TWO KOREAS」でアジア太平洋賞大賞を受賞した元ワシントン・ポスト記者ドン・オーバーファーの著作が詳しい。

この著作の第四章「カーターの戦慄」を紹介したい。

カーターは大統領選で在韓米軍基地から撤退を公約した。ホワイトハウス入りすると、政府部内の討議をせず、驚愕する韓国や憂慮する日本の反対も考慮することなく頑固に実行しようとした。理論上は、カーターは最高司令官としてサイン一つで在韓米軍の撤退命令を出すことが出来たのだが、今日でも在韓米軍は韓国に駐留している。

これは絶対・無二のものされるアメリカの大統領であっても、目にみえない制約が働く米政治史上の実例であり、カーターは再選されずにホワイトハウスから裸で放り出された米民主主義の健在さを示す勝利でもあった。

カーターは1980年の大統領選で共和党候補で元カリフォルニア州知事のロナルド・レーガンに選挙人投票で10倍近い差を、一般投票でも10パーセント近い差をつけられ敗北、一期で政権の座を去っている。

もっとも韓国から米地上軍を削減あるいは全面撤退させるという発想は新しいものではない。1971年にニクソン大統領(米共和党)が韓国政府の反対を押し切り、六万の米地上軍のうち二万の第七歩兵師団を撤退させている。

カーターは選挙期間中に「われわれは韓国に七〇〇個の核兵器を所有しているが、一個の必要性も認められない」と公約した。これは悪い公約ではない。北朝鮮と地続きの米軍基地に核兵器を置くことは、北朝鮮ゲリラによって核兵器を奪取される危険を伴う。

「核があるか、ないかを明らかにしない」が核政策の基本ではあるが、現在では核は原子力潜水艦に搭載され、海底深く隠密行動をとっている。むしろ地上核を置くことが時代遅れといえる。ただ韓国の朴正煕大統領は米軍基地から核兵器撤去を北朝鮮の侵攻を招くと憂慮して、韓国が核武装する独自の構想を立て、アメリカには内密でフランスから核技術を導入する計画を進めた。

これは米政府の知るところとなり、フランスに圧力がかかって結局は実現していない。1979年10月26日朴正煕は青瓦台でKCIA部長の金載圭らによって射殺、暗殺された。暗殺者の金載圭の動機は解明されていない。噂好きの韓国ではアメリカが暗殺に加担したと情報が流れたが、その事実はなかった。

金載圭は逮捕され、殺人罪で有罪となって処刑されている。

さて主題のカーターに移そう。カーター在任中に「光州暴動事件」が発生、全斗煥煥保安司令官が韓国軍全軍を掌握して、労働者と学生の民主化要求デモに発砲、市民に多数の死傷者が出た。

全斗煥は韓国軍部の宿敵・金大中を逮捕、普通軍法会議で金大中に、内乱予備罪・陰謀罪・反共法違反・国家一級保安法違反を理由とする死刑判決が言い渡された。(後に無期懲役に減刑)

米大使館は金大中逮捕に強硬に抗議している。カーター政権は金大中を自由にし、さらに彼の命を救うために最大限の努力を払う。カーター政権の最後の数ヶ月間は、他に重要な案件がいろいろあったにもかかわらず人道的見地からなされたこの決定が、米韓関係を支配する。

カーターはブラウン国防長官をソウルに派遣、全斗煥に金大中の恩赦を要請した。しかし1980年11月4日の米大統領選でカーターが敗北した後はカーター・チームの全斗煥にに対する影響力が急速に失われた。

全斗煥はより保守的なレーガン新政権の発足をひたすら待った。レーガンは初めから在韓米軍の撤退を全面的に反対する意志を明らかにしており、カーターと結びついた撤退構想はいまや価値がなくなった。

朴正煕の核武装計画、全斗煥の光州虐殺事件をみれば、在韓米軍の存在は北朝鮮の侵攻を防ぐ抑止力だけでなく、韓国軍部の暴走を防ぐ抑止効果があった。カーターにはそれが分からず、ひたすら選挙公約である在韓米軍の全面撤退に拘った。

新政権のレーガンは1981年1月21日、全斗煥が近々ワシントンを訪問すると発表した。2月2日、レーガンはにこにこ顔で全斗煥をホワイトハウスの外交用ゲートに出迎えた。ソウルからグライステイーン在韓公使は公電で「全斗煥は金大中問題で決断したために訪米が可能になったと確信しているが、露骨な取引があったとは判断されたくない」と報告したが、語るに落ちたといえよう。

かくして朴正煕以来12年間にわたってぎくしゃくした米韓関係は、一応は軌道に乗ることになる。アレグザンダー・ヘイグは「金大中問題をめぐる外国の憂慮を受け入れる能力を彼(全斗煥)が示したことは、いかに彼が成熟しているかを計る目安である」とレーガンに報告した。レーガンは最新鋭のF15戦闘機16機を韓国に売る用意があると全斗煥に正式に伝えている。

ホワイトハウスを失意のうちに去ったカーターを見つめていたのは、北朝鮮の金日成だった。

主題と異なるが「THE TWO KOREAS」の第十三章「核兵器をめぐる対決」に触れないわけにはいかない。カーターはアトランタのカーター・センターで世界中の紛争を平和裏に解決すべく活動していた。

金日成は1991年から93年までカーターが平壌に訪れるよう招請している。米国務省は、その都度、訪朝は朝鮮問題を複雑化すると断るよう求めた。

ボブ・クリントン大統領(米民主党)は北朝鮮の核開発に対して制裁をを適用する方針を定め、国連安保理に30日の猶予期間を設定した制裁決議案を提出した。

カーターは募る不安に駆られ、クリントンに書簡を送って「自分は差し迫った危機に鑑み、平壌に向かうことを決意した」と言った。

クリントン政権は検討の末に「カーターが正式な米政府特使ではなく一民間人として訪朝すると表明するのであれば、取り立てて異議を差し挟まない」とカーターに伝えた。

この時期、日本は羽田政権下で崩壊寸前の状況にあった。中国は北朝鮮の行動に水面下でいらだちを示していた。制裁決議案が国連安保理に提出されれば、拒否権を使わざるを得ない。アメリカは制裁決議の主目的は北朝鮮の動きを抑えるよう中国に圧力をかけることにあった。30日の猶予期間の設定したのは、そのためでギリギリの水面下の駆け引きが行われていた。

そこにカーターがのこのこと平壌に行くのは、パフォマンス以外の何ものでもないとクリントンは不快感を隠さない。

金日成は国際的な圧力の前に「北朝鮮は核兵器を保有しておらず、生産する意志も全くない」と繰り返して表明せざるを得なくなった。

しかしアメリカは金日成の発言を信用していない。さらに圧力をかけるために米国防総省は寧辺の再処理工場を爆撃する緊急作戦計画の検討をしている。これがカーターが北朝鮮入りした翌日、ワシントン・ポストにすっぱ抜かれた。金日成に圧力をかけるために、米当局者がリークしたのであろう。

同時に朝鮮半島で全面戦争が再発すれば、死者は百万人にのぼり、うち米国人が八万から一〇万が死亡、戦費は一〇〇〇億ドルを超えるという推定値も明らかとなっている。

「作戦計画5027」が策定され、韓国は戦争が避けられないとみてソウル株式市場は二日で25%も下落、市民は米や乾麺類、ろうそくの買いだめに走った。

金泳三大統領はカーターの訪朝は「タイミングが悪い」と表明、アメリカの評論家やコラムニストの間では北朝鮮に強硬姿勢で臨むべきだという意見が支配的であった。

一方、朝鮮半島で戦争が起これば、避難民が向かう先は日本だが崩壊寸前の羽田首相にはその意識も余裕もない。

このような状況下で平壌入りしたカーターは金日成との会談に臨んだ。金日成には側近の姜錫柱第一外務次官がついていた。また金日成はCNNのジャーナリストとカメラ・クルーの入国を許可している。カーターは会談後、CNNのインタビューを受けることにした。

その前にホワイトハウスに報告する必要があった。折からホワイトハウスではクリントン大統領、ゴア副大統領、クリストファー国務長官、ペリー国防長官ら閣議室で北朝鮮問題の最終決定をする協議に入っていた。

その時にホワイトハウスのスタッフが入ってきて、カーターが平壌から電話をかけてきたと報告した。ガルーチが隣の部屋で電話をとり、カーターが間もなくCNNの生中継インタビューで金日成が核計画を凍結することに同意したと興奮した声を聞いた。

閣議室ではカーターに対する怒号の声が巻き起こった。出過ぎた真似はクリントン政権をコケにするもので、裏切りに近い。不快感に駆られたクリントンは閣議室から退席、帰国したカーターの報告を受けようともしなかった。

当面の危機を乗り切った金日成は上機嫌でカーター一行を主席専用のヨットで大同江下りに招待している。疲れはてていたカーターは国連安保理での制裁決議に向けた動きは中止したと金日成に誤って伝えてしまった。この発言は米国内でもっとも議論を呼び、集中的に論評が加えられている。

北朝鮮が核計画を放棄したわけでないことは、金日成の後継者・金正日をみれば分かる。カーターは金日成によって当面を乗り切る道具として使われたに過ぎない。すでに北朝鮮は核兵器を開発、保有している。

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