「“中韓に期待”外交」の愚    古沢襄


■日本の「行くべき道」は神話に学ぼう

初詣。手水舎で手や口をすすぐ。左手から右手、そして口の順で、さらに左手を清め、柄杓の柄を洗い流して元に戻す。

この一連の流れは、黄泉(よみ)の国から帰ったイザナキノミコトが行った禊(みそぎ)を略式化したものだ。この禊からは天照大御神(あまてらすおおみかみ)や須佐之男命(すさのおのみこと)ら三貴子が生まれた。禊は、誕生や再生の力をいただくものなのである。

「水に流す」という日本人の知恵もここから生まれた。災いや恨みごとに区切りをつけ、生まれ変わったような清新な心と体で、新たな月日を迎える。

再生の知恵は、日本人の潔さを生んだ。好例は昨年、御嶽山の行方不明者捜索を秋の深まりとともに打ち切った際の家族の対応だろう。慰霊の花束をささげ、春に迎えに来ると誓い、警察や消防、自衛隊などの捜索隊に深い謝意を示して下山した。寝泊まりしていた公共施設にこれ以上迷惑をかけたくなかった、と言う家族もいた。

これがお隣の国、韓国ならどうだろうかと考える。旅客船セウォル号の沈没事故で、行方不明者の捜索中止が決まったのが約7カ月後の昨年11月。行方不明者9人の家族は抗議し、待機場所の体育館で寝泊まりを続けた。地元から明け渡しを求める声が出ているにもかかわらず、である。「怨」のお国柄そのものの反応だった。

■長子尊重と末子尊重…“源流”違えば気質も異なる

「一衣帯水」

中国・韓国と日本をそういう関係だと言い、東アジア共同体構想なるものを唱えた首相が、かつていた。果たしてそうか。古代日本から伝わる神話や価値観、文化や習慣から見れば、答えは否である。

たとえば国造りしたオオクニヌシノミコトは、八十神(やそがみ)と呼ばれる多くの兄を持つ末っ子だった。オオクニヌシは岳父、須佐之男命から得た太刀と弓で兄たちを退け、国造りした。

国譲りされた天孫ニニギノミコトの子、ヤマサチビコは兄のウミサチビコを降参させて南九州に追った。ヤマサチビコは4人の孫に恵まれたが、天孫降臨の地、日向から大和をめざして初代神武天皇になったのも末っ子のイハレビコノミコトだ。古事記が描く末子の活躍は一体、何を示すのか。

末子尊重はもともと、遊牧民族の思想である。成長した子から独立させ、早く豊かな牧草地を占めることが豊かになる道だから、子は次々と親元を離れる。

最後に残った末子が親の跡を継ぐのだ。対して長子尊重は農耕民族のものである。限られた農地を長期的展望で利用することが豊かになる道だから、早く後継者を決める。土地争いを防ぐためにも長子相続が有効なのだ。

中国・韓国と日本が全く別の源を持つことを、古事記が描く神話は暗示している。源流が違えば気質も違う。それをしっかり認識していれば、甘い見通しを持って「期待外交」を行う愚は防げただろう。

■神武天皇「海道東征」…国造りゆかりの地が示す未来

幸い今、日本では神話ブームが続いている。3年前の古事記編纂1300年、一昨年の伊勢神宮式年遷宮と出雲大社の大遷宮で、神社への参拝方法や由来に関心を持つ若者も増えた。

今年は春日大社(奈良市)の20年に一度の式年造替で仮殿遷座祭が行われる。同大社は、ニニギと共に降臨し、国造りに貢献した武甕槌命(たけみかづちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)、天照大御神の天岩屋戸隠れで活躍した天児屋根命(あめのこやねのみこと)夫妻を祭る社である。

産経新聞は今年1年、神武天皇が即位するまでを描いた交声曲(カンタータ)「海道東征」を紹介する連載を行う。日向から大和まで、西日本はそのゆかりの地の宝庫である。日本と日本人とは何かを考えるうえで、ここほど適地はない。(産経編集委員・安本寿久)

Leave a Reply

This blog is kept spam free by WP-SpamFree.