Archive for the ‘東日本の歴史と神話’ Category

中国の「犬肉祭り」に思うこと   古沢襄

金曜日, 7月 3rd, 2015

■ロイター・コラムでKim Kyung-Hoon氏が伝えた中国玉林市の犬肉レストラン

[玉林(中国)25日 ロイター]ハンマーで殴られて気絶させられ、絞め殺される犬たち。その後、丸焼きにされ、吊るされた状態で店頭などに並ぶ。この光景は、中国南部の広西チワン族自治区玉林市では、夏の「風物詩」となっている。

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お江戸の”鍋焼きうどん”    古沢襄

日曜日, 3月 1st, 2015

昔から「ソバは東京、ウドンは大阪」といわれてきたから、東京生まれでいっぱしの”江戸っ子”気取りでいた私はソバ通のふりをしていた。

しかし小学校の頃はオヤジが近くのそば屋によく連れていってくれた。そば屋で食べたのは”うどんかけ”。それも「うどんは具のない”かけ”がいい」というオヤジの講釈付きだった。

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新聞記者が何でも知っていると思うのは”思い上がり”    古沢襄

土曜日, 2月 28th, 2015

「会社は社長、学校は校長ですべては決まる。本当の教育者でなく、校長試験に合格した教師を校長にするいまの、日本の文教政策を根本から変えない限り、いじめによる自殺もこんどの痛ましいことも、絶対になくならない。

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「“中韓に期待”外交」の愚    古沢襄

月曜日, 2月 2nd, 2015

■日本の「行くべき道」は神話に学ぼう

初詣。手水舎で手や口をすすぐ。左手から右手、そして口の順で、さらに左手を清め、柄杓の柄を洗い流して元に戻す。

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数奇な運命を辿った多賀谷三家    古澤襄

水曜日, 1月 14th, 2015

その地域に伝わる旧家からみつけた古文書を読み解く同好者で作った「史談会」に参加したことがある。一口に古文書というが、かなり熟達した読み手でないと読み解くのは難しい。史談会に参加してみたが私はお手上げ、結局は先達の解読を教えて貰うしかなかった。

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マンモスを追って北海道に現れたヒト    古澤襄

火曜日, 1月 6th, 2015

シベリアのバイカル湖を二度にわたって訪れて以来、この地のブリヤート人が約二万年前にマンモスとともに極寒の時代を避けて東進して、一万三千年前には、シベリアのアムール川周辺に到達したとの仮説にとりつかれた。

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日本のアニメ「戦艦ヤマト」や「戦士ガンダム」に影響を受けたのはロシアでは?    宮崎正弘

月曜日, 1月 5th, 2015

■ロシア陸海空軍が続々とロボット兵器を開発、近く実戦配備か

ロシアが「ロボット(軍事技術転用)研究所」を設立したのは2013年ごろとされる。

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古代史には推理小説を読み解く楽しさ   古沢襄

金曜日, 1月 2nd, 2015

司馬遼太郎は代表作「坂の上の雲」や「菜の花の沖」書きながら”北アジア史的なもの”を考え続けている。それが「ロシアについて 北方の原形」の作品になった。

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聡明で誇り高きブリヤート娘たち(再掲)   古沢襄

金曜日, 1月 2nd, 2015

日本人の遺伝子には北方系と南方系の「二重構造モデル」がみられるという。日本犬の遺伝子にも「二重構造モデル」があるというのは興味深い。およそ一億二〇〇〇年から一億三〇〇〇年前にシベリアのバイカル湖周辺にあったブリヤート人が地続きのサハリン、北海道を渡って日本にやってきた。その数は七〇〇〇人前後という推定値がある。

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シベリアのアンガラ河畔で出会ったブリヤート    古澤襄

金曜日, 1月 2nd, 2015

元旦から孫とワインを飲んで、いささか酩酊した。一眠りしたら夢の中にシベリアのイルクーツクに流れるアンガラ河という大河が出てきた。

河畔を散策していたらイルクーツ大学の女子学生に出会ったので、写真を撮らせてと所望したらポーズまでとってくれた。ロシア人の多くは人が良い。

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西郷隆盛と藤田東湖    古澤襄

木曜日, 1月 1st, 2015

「先輩としては藤田東湖、同輩としては橋本左内、ともにわしの最も尊敬した人である」・・西郷隆盛が遺した言葉である。西郷は安政元年(1854)4月10日に江戸・小石川の水戸藩邸に東湖を訪れている。

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佳子さま 20歳の誕生日     古澤襄

火曜日, 12月 30th, 2014

気品のある成年皇族の誕生で日本社会に与える影響が少なからずある様に思う。しかも自分の思うことをはっきりと言う若き佳子さまには誰もが好感を覚えたのではないか。

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書評 『愛される日本』    宮崎正弘

火曜日, 12月 30th, 2014

■なぜこれらの国々はかくも親日なのか 元大使がかたるインドやタイやトルコ、ミャンマーの日本への篤い思い
   
<日本戦略研究フォーラム編『愛される日本』(ワニブックス)>

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断層型「真昼大地震」の夢をみる    古澤襄

火曜日, 12月 23rd, 2014

あと10日でお正月、新しい年を迎える。夜中に目が覚めた。災害列島・日本で一番怖いのは津波被害である。だが夢の中で出てきたのは大地震。それも断層型の「真昼大地震」。

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陸羽大地震と為田文太郎     古澤襄

土曜日, 12月 20th, 2014

明治29年(1896)8月31日、東北の真昼山地を震源とする大地震が発生した。陸羽大地震である。

真昼山地の地下4キロを震源とするこの地震で岩手県側に川舟断層、秋田県側に千屋断層の二大断層が出現し、秋田県側の死傷者二〇五人、重軽傷者七三六人、家屋の全壊消失四三〇〇件。一方、震源地に近い岩手県の西和賀地域は家屋の全壊が三一〇件と比較的被害が少なかった。

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震度6弱以上の発生確率、関東上昇…横浜78%    古澤襄

金曜日, 12月 19th, 2014

政府の地震調査委員会は19日、今後30年以内に震度6弱以上の揺れが起きる確率の分布を示した2014年版「全国地震動予測地図」を公表した。

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断層が動く地震で日本最大の大断層系・中央構造線  古澤襄

金曜日, 12月 19th, 2014

先月22日の長野県北部を震源とする地震で断層系と地震の因果関係をあらためて知った。専門家は糸魚川静岡構造線(糸静線)の北部で断層が動いたと指摘している。

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首相は人気とりの広島行きにしてはならない     古澤襄

金曜日, 8月 22nd, 2014

▼日本列島は北は北海道から南は九州まで自然の猛威に曝されている。これに九月になれば台風の直撃にも備えねばならない。二〇〇〇年の歴史の中で日本人は自然の猛威に耐え、これを克服する努力を重ねて生きてきた。忍従の歴史である。

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米極秘文書「北方四島は日本保持」   古沢襄

木曜日, 2月 6th, 2014

■ソ連は諜報を駆使、スターリン熟読

「北方四島は第二次大戦の結果、ロシア領になった」と主張するロシア側の根拠は1945年2月のヤルタ密約である。

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歴史の勝利者の足跡は残され、脚色された   古沢襄

月曜日, 1月 20th, 2014

「家康に消された戦国大名・多賀谷氏の痕跡」と「東北亀田藩で名君を育てた幸村の娘」を読んだ読者から次の様な質問が来ている。

<興味深く読ませていただいています。先の「太閤秀吉が多賀谷に「多賀谷の人数は如何」と下問した時には「五軍合わせて地戦千騎」と答える規模になっている。」旨の情報の出典をご教示いただけませんか。

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出雲神話はスサノオを祖とした王家の物語   古沢襄

火曜日, 1月 7th, 2014

古代出雲は謎に包まれている。戦後、歴史学会が唯物史観に染まった頃は、出雲神話を研究する歴史学徒はいなかった。古事記ですら”偽書”と切り捨てられた。

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日本の霊性の根幹には天皇がある    古沢襄

日曜日, 1月 5th, 2014

フランスのアンドレ・マルローは「二十一世紀は霊性の時代となるであろう」と言っている。

マルローは日本贔屓といわれたが、日本文化の根底にある「無常(precaire)」がわかるフランス人だった。戦後日本人よりも、もっと日本人らしいフランス知識人だったともいえる。

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三島由紀夫とアニミズム   古沢襄

日曜日, 1月 5th, 2014

正月早々に三島由紀夫がノーベル文学賞の候補になっていたことが話題になっている。これは一九六三年のことだが、その五年後に川端康成が日本人初のノーベル文学賞を受賞した。

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「日本的なもの」の再認識は当然の帰結  古沢襄

水曜日, 1月 1st, 2014

日本人が2000年の歴史を持つ伝統文化に回帰するのは単なる懐古主義ではないし、偏狭なナショナリズムでもない。

敗戦で失われた「日本的なもの」を再認識しているのは当然のことである。

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アジアにおける”事大主義”の歴史   古澤襄

日曜日, 12月 22nd, 2013

■小国の智恵といわれるが、亡国の自己保身

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に事大主義(じだいしゅぎ)の外交政策が詳しく述べられている。事大主義は、大に事(つか)えるという考えと行動を表す語。外交政策の1つでもあるという。

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福澤諭吉が予言した「朝鮮滅亡」   古澤襄

日曜日, 12月 22nd, 2013

■韓国の屈折した負のスパイラル

軍用艦命名にあたり、縁起の悪い「敗軍の将」の名をかぶせる海軍は極めて珍しい。ドイツが輸出用に開発し、韓国で建造する214型潜水艦の4番艦で、8月に進水した《金佐鎮(キムジャジン)》はそうした珍例の一つ。

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日本一の大曲花火と佐竹の火薬調合職人  古澤襄

土曜日, 12月 21st, 2013

西和賀町の前町長・高橋繁さんから秋田・大曲の有名な花火師・今野義和さんの講演と実演の花火を見てきたと知らせがあった。

東北の歴史に詳しい繁さんは、「秋田に佐竹氏が移封になった時から、その路程の町々に花火があったが、大曲には雄物川の河港があり、西回りの航路があることから、京都の文化や原材料が手に入り易かったことから花火師が集まるようになった」との
今野義和さんの説を一歩進めて、常総の太守だった佐竹の鉄砲隊と火薬調合の職人集団に着眼している。

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秋田のブログ読者が急増している  古澤襄

土曜日, 12月 7th, 2013

北東北三県で秋田の読者が岩手の読者を追い越したと、12月3日の杜父魚ブログでお知らせしたが、さらに三日間で秋田の読者が一日で七六〇人(前回七〇一人)と急増している。青森は七〇三人(前回六八五人)、岩手六七一人(前回六六〇人)と微増だが、秋田の読者増が著しい。

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北一輝から贈られた日本人形   古澤襄

月曜日, 11月 18th, 2013

北一輝から贈られた日本人形が八十三年の歳月を経てわが家の床の間に飾られている。この人形は昭和五年に生まれた姪の誕生を祝って北一輝が贈ってきたものである。その姪・・私にとっては義理の姉に当たるが、先月の二十五日にガンで亡くなった。

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昭和秘史 秩父宮と麻布三連隊(完)    田々宮英太郎

水曜日, 11月 6th, 2013

秩父宮に遺書があったことは知られているが、その内容たるや、一般の想像を絶する凄絶なものである。

 僕は五十年の生涯をかへり見て唯感謝あるのみ。特殊な地位に生まれたと云うだけで限りない恵まれた一生を終へたと云う外はない。平々凡々たる一人の人間だが、殊に最後の十年は我民族として国家として歴史上未曾有の難局と困苦の間にあったが、此の間を静かに療養の生活を送れたことは、幾多の同病の人が筆舌に尽し得ない欠乏の中で此の世を去って行ったのに比し、余りにも恵まれ過ぎていたと云ふの外ない。

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昭和秘史 秩父宮と麻布三連隊(3)    田々宮英太郎

水曜日, 11月 6th, 2013

そこで推測に浮かぶのが西田税(つとむ)という人物である。二・二六事件では北一輝とともに処刑されたが、秩父宮とは士官学校同期の三十四期生で知遇を得ている。あたかも大正十一年七月二十一日、卒業を目前に控え校庭兜松の付近で、数名の交友同志とともに秘密の会見をもったのである。

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昭和秘史 秩父宮と麻布三連隊(2)    田々宮英太郎

火曜日, 11月 5th, 2013

秩父宮については、石井秋穂元軍法会議判士の言辞が次のように引用されている。

 坂井は予審調書でも法廷でも、秩父宮様のことはひとことも話していません。ほかの誰ひとり発言していません。坂井が、中橋手記に書いてあるようなことを秩父宮様がいわれたというのは、笑止千万なことで、もしそういう会話が交わされた(それもとうてい信じられないが)とすれば、秩父宮様は「何か事があったら中央は一個師団を出して対抗措置をとるであろう」といったのだと思います。

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昭和秘史 秩父宮と麻布三連隊(1)    田々宮英太郎

火曜日, 11月 5th, 2013

二・二六事件の勃発から半世紀を遙かに超える。この間、日中戦争、太平洋戦争とつづいて敗戦。新憲法のもとで天皇は現人神(あらひとがみ)から象徴へと下降した。こうした変転の中で事件はどのように捉えられたか。

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もう一つの「辻政信論」   古澤襄

月曜日, 11月 4th, 2013

六年前の春、「戦後秘史・服部卓四郎と辻政信」を書いた。”作戦の神様”服部卓四郎氏とは面識がなかったが、辻政信・参院議員とは国会の参院議員食堂でよく飯を食った。サンデー毎日に連載した「「潜行三千里」で一躍時代の寵児となった辻政信だったが、私が知る頃は時代の寵児のメッキが剥げてメデイアも相手にしない老人の姿を曝していた。

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書評『蒋介石の密使 辻政信』   宮崎正弘

月曜日, 11月 4th, 2013

蒋介石の「以徳報恩」なる世紀の欺瞞と親日家ぶる演出はなぜ生まれたのか。気絶するほどの欺瞞、偽善、悪魔の詐欺師は某参謀に共通した・・・。

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三春・秋田氏と秋田・佐竹氏   古澤襄

火曜日, 10月 15th, 2013

秋田北部に支配権を確立した安東・秋田家だったが、慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦後、家康の命によって秋田実季が出羽窪田五万石から常陸国宍戸(茨城県西茨城郡友部)五万石に国替えとなった。

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戦国大名・秋田氏への道程  古澤襄

日曜日, 10月 13th, 2013

名家といわれる家系をみていると、必ずといっていいほど内紛が起こっている。本来なら正流の総本家を支える分家の構造によって名家の結束が保たれるのだが、ある代になって総本家の嗣子がなくなる。娘がいれば養子をとって正流の地位を保つが、男子も女子もいなければ両養子をとらざるを得ない。

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津軽にあった安倍高星丸系と叔父の安倍則任系   古澤襄

日曜日, 10月 13th, 2013

「秋田家系図」では、安東堯恒から五十年余りは空白となっているが、安東太郎堯秀の頃、藤崎から移り、さらに孫の安東太郎愛秀の時に十三湊に移住して城を構えた記述がある。このあたりは諸説があって定まっていない・・・と述べた。

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”秋田”は奈良時代から使われていた   古澤襄

月曜日, 10月 7th, 2013

秋田のことは資料を持っているので、追々書くつもりだと言ったが「急増した秋田県の読者」を掲載したら何と四位で読まれている。”追々”どころではない・・・何か書かねばならぬ。

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北の王者・安倍一族の強運な女性たち  古澤襄

金曜日, 6月 28th, 2013

北の王者・安倍一族だったが、大将の安倍貞任は厨川の戦いで朝廷軍に敗れた。知将といわれた弟・宗任は許されて四国に流された。貞任の妹婿だった藤原経清は斬首の刑に処せられた。

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ミッチー一族と西和賀町沢内・湯川

金曜日, 6月 28th, 2013

杉浦正章氏が「問責可決の背後に”小沢・輿石”ライン」とすっぱ抜いた。私もつられてもう一つの秘話を語ろう。

今度の問責決議の裏には、直接、火をつけた「みんなの党」の渡辺代表の存在がある。”ミッチー”のあだ名で親しまれた渡辺美智雄元副総理の息子。

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”山師”の血が騒ぐ鷲之巣金山跡  古澤襄

火曜日, 6月 25th, 2013

私の曾祖父・為田文太郎と祖父・古澤行道が明治時代に手がけた鷲之巣金山(わしのすきんざん)は、西和賀町のホームページで知ってはいたが、現場を見たことはない。

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アナーキスト大杉栄の肖像画と林倭衛の生涯   古澤襄

水曜日, 6月 19th, 2013

現代史懇話会の雑誌に「美人ママと鬼才画家」の表題で大正・昭和画壇の鬼才・林倭衛氏のことを書いたことがある。1999年7月のことだから、14年も昔のことになった。

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中国とツナミで気力を取り戻した日本  古澤襄

火曜日, 5月 14th, 2013

この20年間、日本はバブル崩壊後の沈滞と閉塞感に閉ざされていた。国内的には財政赤字を減らす健全財政が合い言葉になり、外交的には中国や韓国を刺激しない自虐史観に沈殿してきた。言うなら臆病なくらい安全運転のソロソロ歩きに徹してきた。

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出雲大社と「葬られた王朝 古代出雲の謎」  古澤襄

土曜日, 5月 11th, 2013

<60年ぶりに社殿などを大規模に改修する「平成の大遷宮」が行われている島根県の出雲大社で、改修が行われた本殿に祭神の大国主命を戻す「本殿遷座祭」が10日夜、行われました。

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鹿児島・離島にケラトプス類の歯化石が発見  古澤襄

水曜日, 2月 20th, 2013

シベリアのバイカル湖周辺は約二万年前に人もマンモスも住めない極寒の時代を迎えている。マンモスを狩りしていたブリヤート・モンゴル人は東進を始め、一万三千年前には、シベリアと支那の国境にあるアムール川周辺に到達し、さらに地続きのサハリン、北海道を経て、まず本州の津軽地方に姿を現した。

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精神至上主義はドン・キホーテにまさる悲劇を招く  古澤襄

土曜日, 11月 24th, 2012

昨年の4月のことになるが、作家の高橋克彦さんと二人で岩手県西和賀町の「銀河ホール」で東北を語る講演会をしたことがある。

克彦さんは「岩手県が生んだ古澤元という戦前作家を初めて知った」「岩手県人は古澤元を誇りに思っていい」・・・多分に息子の私に対する”社交辞令”と思いながら、それでも素直に嬉しく聞いたものである。

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東北亀田藩で名君を育てた幸村の娘  古澤襄

水曜日, 10月 24th, 2012

大阪冬の陣・夏の陣で徳川家康の心胆を寒からしめた真田幸村の活躍が目覚ましかったから、源義経と並んで現代でも人気がある。

だが、幸村の実像を伝える確実な史料は少ない。むしろ講談の主人公として広く有名になった面がある。たしかに幸村は戦国大名でもなければ、高野山下九度山村で長い浪人生活の末、大阪城に招かれた一人の傭兵隊長に過ぎなかった。

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家康に消された戦国大名・多賀谷氏の痕跡  古澤襄

月曜日, 10月 22nd, 2012

常陸国下妻の歴史は多賀谷氏のことを除いては語ることは出来ない・・・「多賀谷氏の史的考察」(昭和52年 崙書房)の著者・古澤一朗氏が言っていた。

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黄金の道・秀衡街道  古沢襄

木曜日, 7月 26th, 2012

東北旅行をする度に、幻の秀衡街道のことが、よく話題となった。平安時代末期に東北で産出した”金”を京都に運んで、京都の物品を奥州に持ち込む商いで豪商となった「金売・吉次」のことは、よく知られている。

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海が”時代の情報”を伝えてくる  古沢襄

火曜日, 6月 26th, 2012

渡部誠一郎さんが亡くなった。畏友・渡部亮次郎氏の兄貴。誠一郎さんは私と同年、秋田の県紙・秋田魁新報の常務だった人だが、郷土史の造詣が深いのでかねがね敬意を払っていた。1990年に「中川重春・伝: 男鹿が生んだ英傑」の著書がある。

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太陽黒点が少ない活動極小期に巨大地震が発生  古沢襄

日曜日, 4月 22nd, 2012

少し怖ーい話をすると、太陽黒点の減少で巨大地震が増加するという分析結果がある。2011年の東北地方太平洋沖地震は太陽黒点が少ない時期に発生している。つまり太陽活動が地球の内部にまで影響を及ぼしていることになる。

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パン祖・江川太郎左衛門のこと 岩見隆夫

木曜日, 11月 10th, 2011

いま、祝日となる旗日は、元日(一月一日)から天皇誕生日(十二月二十三日)まで年間十五日だ。日曜日と重なると翌日は振り替え休日になるが、来年それが三日もある。今年はなかった。

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小男だが全身智恵の塊の”真田三代”  古沢襄

土曜日, 11月 5th, 2011

この一ヶ月間ほど真田幸隆、昌幸、幸村の”真田三代”の資料を読み漁っている。真田一族が活躍した信州の上田で少年時代を過ごしたので、大人になってからも機会があれば、真田文書をかき集めてきた。しかし調べれば調べるほど、真田の出自は謎に包まれている。資料を再読すると、以前は気がつかなかったことが分かる楽しさもあるのだが・・・。

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日本人の心に内存するもの 加瀬英明

水曜日, 7月 6th, 2011

東日本大震災は、日本国民の精神性がきわめて高いことを、世界へ向って示した。

日本が世界の手本になったと、いってよかった。私はこのような精神をつくってくれた先祖に、あらためて感謝した。

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「沢内年代記」を読み解く(三十六 完)  高橋繁

火曜日, 5月 17th, 2011

明治十六年 壬未(ミズノエヒツジ・・・1883年の記録)
【巣郷本の記録】
作柄は中作なり。閏あり。(「下幅本」「白木野本」「草井沢本」ともに記録なし)

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ツングースの扶余族が大和国家を創った?  古沢襄

月曜日, 5月 2nd, 2011

古代の四世紀は空白だと歴史に関心を持つ人たちはよく言う。北アジア史にしか関心がなかった頃だから聞き流してきた。そんな私をみて「これを読んでみろ」と渡されたのが松本清張氏の「空白の世紀」。だが小説家が書く歴史物なのだから、パラパラとめくって放っておいた。

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正史よりも野史の方が面白い  古沢襄

土曜日, 4月 30th, 2011

西和賀町の「銀河ホール」の前にある蕎麦屋で、作家の高橋克彦さんが『炎立つ』の長編小説を書いた裏話をしてくれた。『炎立つ』は北の王者だった安倍一族の興亡史を描いたものだが、安倍氏に関する史料は少ない。朝廷に叛いた蝦夷という位置付けだから、ほとんどの史料は抹殺されている。あるのは朝廷側からみた征討軍の戦記物だけといっても言い過ぎではない。

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対馬国の防人と大族の阿比留姓  古沢襄

木曜日, 4月 28th, 2011

大型連休に入る。もっとも海外はゴーデンウイークではない筈だから、海外ニュースはいつも通り飛び込んでくる。国内の政局の動きは小休止となるのではないか。私にとっては、もっけの幸。日頃、書きかけだった歴史と神話の記事をボチボチ完成させようと思っている。

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日露の「川奈会談」と「イルクーツク会談」 古沢襄

日曜日, 4月 17th, 2011

北方領土問題をめぐる日露首脳会談で双方の見解が一番近くなったのは、「川奈会談」と「イルクーツク会談」だったといわれる。しかし、この首脳会談はいずれも秘密交渉だったから、記者会見が行われたものの真相は定かでない。

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