アロヨの決断、政局動かす フィリピン通信(6)

安田 紀夫
二〇〇四年五月に予定される大統領選を一年半後に控えた〇二年十二月三十日、アロヨ大統領は突然、同大統領選への不出馬宣言をした。当然、改選を狙っているものと与野党のみならずマスコミも見ていただけに意表を突かれた。年が変わってアロヨ政権が誕生するきっかけとなったエドサ2(註1)記念日の一月二十日を前に、日本人特派員団と行ったインタビューで、同大統領はエドサ2が国民を二分する結果を招き、その傷が癒されていないことを悩んでいると告白した。〇一年、当時のエストラダ大統領を追い落としたエドサ2の抗議行動に参加したのはいわゆる中間層。当時、まだ十分普及してなかった携帯電話(セルフォン)所持者たちだった。かたやエストラダ前大統領を支持したのは圧倒的に貧困層とよばれる階層で、後の同年五月一日、メーデーの日に起きたマラカニャン宮殿前のエストラダ支持層と警官隊の衝突は、その亀裂の具体例だった。

同大統領はこのトラウマを国民の中に見るとともに自身の中にも常に感じ続けていたようだ。今後はこれ以上の分裂を回避、大統領として無党派に徹し、経済再建に専念するとしている。こうした発言を文字通り受け取ると、同大統領の育ちの良さとともに一種、ひ弱さを感じさせると言ったら酷だろうか。

なにしろ、この国の大統領は大きな権限を持っていて、日本の首相のように議会へ出席を求められ、野党の質問攻勢に会うことはない。国内の亀裂はそれ以前からある富裕層、中間層と約四〇パーセントを占めるといわれる貧困層の間に生じているもので、エドサ2は単なる一噴火に過ぎないからだ。
一方、現職が降りたとなると各政党は一斉に動き出す。先にアロヨ政権で汚職疑惑から更迭されたロコ前教育長官(民主行動党党首)は直ちに与党連合、地方開発党、民主改革党、民主行動党の三党から統一候補として指名され、立候補の意志を表明。目下、世論調査ではもっとも大統領にしたい政治家として人気ナンバーワンだけに当然の流れとみられている。野党側では人気俳優フェルナンド・ポー・ジュニア氏がトップ候補だが、本人は固辞しており、まだ流動的だ。一方、与党連合の中心、ラカス(力)の共同党首、デベネシア下院議長の動きもすばやかった。すぐ、挙国一致内閣を提唱するとともに改憲の動きを加速させる。同議長は昨年以来、憲法改正運動の中心的推進者で、早期議院内閣制への移行の必要性を打ち出している。本心は、与党連合が下院選挙で勝てば、ラカス党首に首相の座が回って来るのを見越してのものと比政界通はみている。前回大統領選でエストラダ大統領に敗北して以来、同議長は「次の道」として、首相制の導入に動き始めたというのが一般的見方だ。

改憲についてはアロヨ大統領や上院も最近になって反応、次期大統領選が終わってからにすべし、という点で少なくとも一致している。カトリックのシン枢機卿のように、その前に改憲の是非を国民投票でまず決めるべきだとする意見も広がり始めている。上院には改憲に反対の議員も少なくない。しかし、デベネシア議長にはそれでは悠長過ぎる。早急に上下両院を改憲議会に切り替え、改憲草案を作成し、年内にも同草案の賛否を問う国民投票へ持ち込みたいとぶち上げた。

最近の民間調査機間の世論調査は、国民の大多数が改憲には反対の意見表明をしており、少なくとも改憲の機運が高まっているとはいえない。「経済発展には憲法の外資制限条項などの改定が必要」と経済再建をうたい文句に、デベネシア議長に率いられる下院だけが独走の構えである。
アロヨ大統領の不出馬宣言は改憲旋風をあおり、新たな渦を政界に巻き起こした形だ。
(註1)エスタラダ大統領(当時)の違法とばく献金疑惑をめぐり弾劾裁判が行われたが、審理が不明朗として抗議する市民がケソン市のエドサ聖堂前に終結、大統領辞任を求めた。軍が民衆を支援、閣僚も大半が辞任したため二〇〇一年一月二十日、エストラダ政権が崩壊した。同じエドサで民衆が蜂起してマルコス政権が崩壊した(一九八六年)例=エドサ1=にちなみ、エドサ2といわれている。