去年今年(こぞことし)

吉田 仁

  陽だまりの老いのふたりや去年今年
 季は新年である。だれの句かは忘れた――と,そらとぼけたいような駄句。作者名 は吉田仁。正月三日のうららかな陽光に誘われて市ヶ谷の外濠公園をぶらぶら散歩し たとき,ふと浮かんできた。類句がありそうな平凡な句ではあるけれど愛着がないこ ともない。

 陽のあたるベンチに男女のお年寄りが腰を下ろしている。夫婦者なのかもしれない。 お濠を眺めながら,男の横顔からわずかな口の動きが暖かな光に浮かび上がっている。 しわの深く刻まれた表情もやわらかい。
 近づいても話し声は聞こえない。ただ口が動いているだけのようで,ふたりの周囲 には暖かな沈黙がある。

 公園を行きつくして戻ってみると,同じ姿,同じ表情のままじっとしている。陽だ まりのなか,そこにはたしかな存在感があった。去年もおととしも,ふたりは穏やか にベンチで光を浴びていたのかもしれない,などと柄にもない思いをめぐらしてしま った。

  去年今年貫く棒の如きもの
 高浜虚子の有名な句で,この句によって“去年今年”という季語が定着したといわ れる。去年今年貫く棒の如き“もの”とはいったいなんであるか,解釈は人によって さまざまに異なる。
 同じ季語を使った例でいえば,
  命継ぐ深息しては去年今年
 という石田波郷の句ととともに,身のひきしまるような感を受ける。

 この年末年始は,どこにも出かけずにわが家で過ごした。わが家などといっても一 軒家ではない。長屋に毛の生えたようなオンボロで,それでもマンションと名のつく ところはご愛敬,要するにウサギ小屋である。ドアのまえに門松を立てるスペースも なければ注連縄を打ちつけられる木の柱もない。

 首都東京とは諸国の掃き溜めである。なにを好き好んでこんなにごみごみした,物 価の高い劣悪な環境に住み着いているのか自分ながら不思議に思うが,その東京に流 れ着いたもの同士がもった家庭の哀しさか,わが家では正月らしい行事をほとんどし ない。

 年賀状は,そういうなかで正月らしさを味わわせてくれる数少ないもののひとつだ。 虚礼という声もある。それでも,もらえばうれしい。この矛盾。
 ぼく自身,年賀状はほとんど書かない。代わりに,つれあいがせっせと書いている。
 ことし,“去年今年貫く棒の如きもの”の句が添えられている年賀状をもらった。 “陽だまりの老いのふたりや去年今年”という自作は,その影響で頭に浮かんだのだ ろう。

 歴史をひもといてみると,現在の年賀状のかたちが生まれたのは一八九九年(明治 三十二)のことだという。この年,正式には年賀特別郵便という制度が生まれた。十 二月十五日から二十八日のあいだに投函すれば,元旦にまとめて配達してくれる,日 本独特の制度である。

 もっとも,当初は特定郵便局のみで,全国すべての郵便局にこの制度がおよんだの は一九〇五年(明治三十八)のこと。普及に六年かかっている。その後,太平洋戦争 で一時廃止され,一九四八年(昭和二十三)に復活した。
 また,この制度によって年末に賀状を書く習慣が一般化した。それまでは正月二日 の書き初めの日に書き,松の内に出すのがふつうだった。いまでもそういう習慣を守 っている人は少数ながらいる。だいたい,まだ大晦日も迎えていないのに“明けまし て”もなにもない,という感覚がぼくにも残っている。

 一九四九年(昭和二十四)には,お年玉つき年賀葉書が発行されている。これが爆 発的に売れ,現在ではほとんどの人がこの官製年賀葉書を使うようになった。おかげ で封書の賀状など,いつのまにやら年賀特別郵便の指定からはずされてしまったので ある。
 官製の年賀葉書に筆書きのものは,たまに受けとる機会もあるが,達筆すぎて読め なかったりするのは情けない。巻紙に墨痕あざやかな賀状など,書いたことはもちろ ん,もらったこともない。

 当節は印刷されたものが圧倒的で,とりわけワープロで印字された年賀状が増えて いる。ひと言でも自筆で書かれてあればうれしいもの。そうでないと,なんとなく物 足りない。
 お年玉つき年賀葉書がこれほど普及するまえは,純白の奉書紙という楮(こうぞ) の木からつくった上質の和紙に,筆で文面をしたため,これも純白の奉書の封筒に麗 れいと表書きして出すのがていねいな賀状とされた。

 エッセイストの山本夏彦氏が書いている。
 “今はもう書く人も,もらう人もあるまいから,煩をいとわずその文句を引いてみ ると,
 ――改暦の御祝儀,千里同風目出度く申納め候。先ずもって皆々様御健勝にて御越 年遊ばされ,目出度く存じ奉り候。私方も打揃い無事加年仕り候間,憚りながら御安 心下され度く候。(中略)先ずは年頭の御祝詞申上げ度くかくの如くに御座候。恐惶 謹言”(『編集兼発行人』中央公論社)

 原文は,ほんとうは旧仮名かもしれない。しかも流れるような達筆で書かれている だろうから,ぼくにはまず読みとることもむつかしい。
 “改暦の御祝儀,千里同風目出度く”うんぬんというのは決まり文句。というより 全文がほとんど決まり文句だから,実は内容を読みとれなくても一向にかまわないよ うなものだが,もしいまこんな賀状を受けとったとしたら,目を白黒させて,お屠蘇 気分も吹っ飛んでしまうだろう。賀状ひとつにも隔世の感があるものだ。

 いつまでも変わらぬものはあるが,世の中はたしかに変化している。この元日,お 屠蘇気分を吹き飛ばしたのはソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)崩壊の報道だった。
 変化などというものではない,これは革命だが,政治・経済の体制は革命されても, ニュースを通じてみる人びとの表情は厳しい。生活再建への“去年今年貫く棒の如き” 苦難がそこにはあるにちがいない。(『市ヶ谷発』第5号・1992年1月23日発行)