去年今年(こぞことし)季は新年である。だれの句かは忘れた――と,そらとぼけたいような駄句。作者名 は吉田仁。正月三日のうららかな陽光に誘われて市ヶ谷の外濠公園をぶらぶら散歩し たとき,ふと浮かんできた。類句がありそうな平凡な句ではあるけれど愛着がないこ ともない。
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陽のあたるベンチに男女のお年寄りが腰を下ろしている。夫婦者なのかもしれない。
お濠を眺めながら,男の横顔からわずかな口の動きが暖かな光に浮かび上がっている。
しわの深く刻まれた表情もやわらかい。 ◆ 公園を行きつくして戻ってみると,同じ姿,同じ表情のままじっとしている。陽だ まりのなか,そこにはたしかな存在感があった。去年もおととしも,ふたりは穏やか にベンチで光を浴びていたのかもしれない,などと柄にもない思いをめぐらしてしま った。
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去年今年貫く棒の如きもの ◆ この年末年始は,どこにも出かけずにわが家で過ごした。わが家などといっても一 軒家ではない。長屋に毛の生えたようなオンボロで,それでもマンションと名のつく ところはご愛敬,要するにウサギ小屋である。ドアのまえに門松を立てるスペースも なければ注連縄を打ちつけられる木の柱もない。 ◆ 首都東京とは諸国の掃き溜めである。なにを好き好んでこんなにごみごみした,物 価の高い劣悪な環境に住み着いているのか自分ながら不思議に思うが,その東京に流 れ着いたもの同士がもった家庭の哀しさか,わが家では正月らしい行事をほとんどし ない。
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年賀状は,そういうなかで正月らしさを味わわせてくれる数少ないもののひとつだ。
虚礼という声もある。それでも,もらえばうれしい。この矛盾。 ◆ 歴史をひもといてみると,現在の年賀状のかたちが生まれたのは一八九九年(明治 三十二)のことだという。この年,正式には年賀特別郵便という制度が生まれた。十 二月十五日から二十八日のあいだに投函すれば,元旦にまとめて配達してくれる,日 本独特の制度である。
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もっとも,当初は特定郵便局のみで,全国すべての郵便局にこの制度がおよんだの
は一九〇五年(明治三十八)のこと。普及に六年かかっている。その後,太平洋戦争
で一時廃止され,一九四八年(昭和二十三)に復活した。
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一九四九年(昭和二十四)には,お年玉つき年賀葉書が発行されている。これが爆
発的に売れ,現在ではほとんどの人がこの官製年賀葉書を使うようになった。おかげ
で封書の賀状など,いつのまにやら年賀特別郵便の指定からはずされてしまったので
ある。
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当節は印刷されたものが圧倒的で,とりわけワープロで印字された年賀状が増えて
いる。ひと言でも自筆で書かれてあればうれしいもの。そうでないと,なんとなく物
足りない。
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エッセイストの山本夏彦氏が書いている。
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原文は,ほんとうは旧仮名かもしれない。しかも流れるような達筆で書かれている
だろうから,ぼくにはまず読みとることもむつかしい。
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いつまでも変わらぬものはあるが,世の中はたしかに変化している。この元日,お
屠蘇気分を吹き飛ばしたのはソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)崩壊の報道だった。
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