鰹前線,北上中
吉田 仁

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鰹前線――マスコミがつくりだした言葉なのか,桜前線のあとを追うように
新聞などでこのごろよく目にする。
鰹は太平洋を黒潮にのって北上し,四月に紀州沖,新緑の五月には関東に近づ
く。いよいよ初鰹の季節の到来である。
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現代では南洋でとれた鰹が冷凍されて年中市場に出まわる。初鰹という旬の
感覚も薄れている。
とはいえ,やはり近海物の活きのいい鰹,その刺身や叩きの味は格別である。
すりおろしたニンニクを添えると,こたえられないうまさだ。
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目には青葉山郭公初松魚
江戸時代前期から中期の俳人,山口素堂(一六四二〜一七一六)のよく知られ
た句だ。この季節になると,おのずと心に浮かんでくる。
しかし,知られているわりには"目に青葉"と誤って口ずさまれたり書かれたり
することが多い。"目には青葉"は字余りだから,いいやすいように省略される。
初句が字余りであるのみならず,この句には"郭公","松魚"と季語が二つある。
"青葉"は当時,季語として扱われなかったらしいが,現在ではりっぱな季語だ
から,これも加えれば三つ。俳句の約束事からははずれている。
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用字についていえば,郭公がホトトギスというのはともかく,鰹を松魚と書
かれては現代人にはちょっと読めない。
しかし,そんなことには関係なしに,ひろく人びとに親しまれている。江戸っ
子の初物好きは念がいっているが,なかでも初鰹を珍重する風潮には,この句
の影響があずかって大きかったものらしい。
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こんな川柳はご存じだろうか。
目も耳もたゞだが口は高くつき
色鮮やかな青葉やホトトギスの鳴き声はただで楽しめるけれど,初鰹を味わお
うとするとびっくりするほど高価だ,俳句に詠むぶんには安いものさ,という
皮肉たっぷりのパロディーである。俳句よりも庶民の文芸として発達した川柳
らしい発想だ。
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聞いたかと問へば喰つたかと答へる
という川柳もある。これも"目には青葉山郭公初松魚"という句をふまえている。
ホトトギスの初音を「聞いたか!」という出会い頭のあいさつに,すかさず初
鰹を「喰ったか?」と応じる。単純だが,威勢のいい江戸っ子らしさに満ちあ
ふれた応答だ。
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鰹は,とれて二日ほどたったころがうまい。一本釣りの漁師もとりたては食
べないものだという。
いっぽう,鰹は傷みやすい魚だ。保存技術が発達しないころは毒魚ともいわれ,
生は敬遠された。鰹で食中毒をおこす,これを酔うといい,頭痛がして顔が真っ
赤になるという。経験がないので真実のほどはわからないが,桜の皮をなめると
治るとの言い伝えもある。
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あす来たら打(ぶ)てと桜の皮をなめ
この川柳は,ひさしぶりに鰹の刺身を楽しんだら中毒してしまった亭主が,
女房に「明日あの魚売りのやつがまわってきたら,ぶんなぐってやれ」と桜の
皮をなめなめ毒づいているのである。
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日本人と鰹とのつきあいにも変遷がある。腐りやすいので昔は生で食べるこ
とは少なく,煮たり焼いたりしてから干し固め,保存食として利用するのが普
通だったらしい。要するに鰹節である。そこから堅い魚,カタウオ,カツオと
なり,鰹という和製の漢字が用いられるようになった。
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生の鰹は下魚としてあまり歓迎されなかったという意外な事実は,鎌倉時代
も末期,一三三〇年(元徳二)ごろに成立した兼好法師の『徒然草』からも読
みとることができる。
その部分を意訳してみると――
鎌倉の海に鰹という魚がいる。このごろはよく食べられているようだが,鎌倉
の年寄りがいうには,「わしらの若いころには,りっぱな人の膳になど載るこ
とのなかった魚じゃ。頭などは貧乏人でも食わずに捨てておったのにのう」。
世も末になると,こんなものまで上流社会に入ってくる。嘆かわしいことよ。
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こんな鰹がもてはやされるようになったのは戦国時代からだという。ひとつ
の逸話がある。
一五三七年(天文六),小田原で漁を見物していた北条氏綱の小舟に一尾の鰹
が飛び込んだ。こじつけでカツオすなわち勝つ魚,戦さに勝つという名のめで
たい魚を掌中にしたと氏綱は大喜びし,すぐさま兵を起こすや怒涛のごとく上
杉朝定を打ち破り,武蔵の国を平定したというのだ。
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以来,武士は出陣の酒肴に鰹をさかんに用いては気勢を挙げ,徳川家も代々
縁起物として賞味した。
この風習が町人のあいだにも普及し,やがて熱狂的なまでの初鰹礼讃となった
らしい。
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値は当然のようにはね上がる。前掲の"目も耳もたゞだが口は高くつき"とい
う川柳にそれは表われているが,もっと単純直截に詠んだのが,つぎの其角の
句である。
まな板に小判一枚初鰹
(日本能率協会マネジメントセンター『マネジメント21』1992年5月号)
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