地に紫陽花,天に虹

吉田 仁

 梅雨前線は,正式には停滞前線という。寒気団と暖気団の力が均衡し,その境いが 長いあいだ日本の上空で停滞するからである。
 五月六日ごろの立夏を過ぎてしまえば,暦のうえではもう夏なのだが,梅雨が明け て,ほんとうに夏らしい夏がやってくる。

 入梅は暦のうえでは六月十一日ごろ。ただ実際の梅雨入りは関東地方の平均で六月 九日。それから一ヶ月ほどが梅雨の季節だ。
 気象庁が梅雨入りを宣言したとマスコミではよくいう。しかし,気象庁は“お知ら せ”といって,“宣言”とはいわない。予測がむつかしいため宣言などという断定的 な口吻はできないものらしく,秋になってから修正するのである。

 ツユは青かった梅の実が熟して黄色くなるころの長雨だから梅雨と書く。ものみな 湿り気をおびて黴が生えやすくなるから黴雨とも書く。五月雨も旧暦の五月を通して 降る雨だ。新暦五月のさわやかな雨を指すのではなく,旧暦五月で梅雨のことである。

  五月雨をあつめて早し最上川
  五月雨や大河を前に家二軒
 芭蕉と蕪村のこの両句は,梅雨のうっとうしさなど微塵も感じさせない。スケール の大きなさわやかさを読むものにいだかせるのは,さすがというしかない。

 梅雨といえば,ぼくはすぐ紫陽花を連想してしまう。七色に変化するといわれる花 は,ほんとうは萼。これを妖花といって嫌う人がいるけれど,雨のなかでひっそり咲 く姿は美しい。

 ぼくの連想のなかでは葉っぱに必ずカタツムリが載っている。そして,ひさびさの 晴れ間には天空に必ず七色の虹が架かるのである。
 まるで,ぼくの好きな滝平二郎の切り絵か谷内六郎の世界のようだが,そう考えれ ば梅雨もまた楽しいものに感じられる。

 春のことになる。ことしは菜種梅雨が長かった。桜の時節に入っても雨が多く,花 曇りや花冷えという言葉もよく聞かれた。
 そのあいま,三月三十日の夕刻に東京では雨上がりの陽に照らされて二重の虹が浮 かび上がった。残念ながらぼくは見そこなったのだが……

 一本の虹の光が反射し,そばに副虹と呼ばれるもうひとつの虹ができる。この目で ひとつひとつ確かめたことはないけれど,ふつうの虹は内側から紫,藍,青,緑,黄, 橙,赤の七色。ところが副虹の色の配列はその逆になるという。

 たまたま読んだ井伏鱒二の「虹のいろいろ」という文章に,こうあった。  “今年の夏,諏訪湖の手前の高森で二重の虹を見た。あいにくと消えかけていて, げんなりしたような色であった。

 同じ高森で,去年の夏は目のさめるほど生彩のある素晴らしい虹を見た。「虹だ虹 だ」「早く早く,二重の虹だ」と噪ぐ近所の子供たちの声が聞え,ところが虹を見て いる私の胸は動悸をうたなかった。
 私はそれがもどかしかった。今,ここで胸をどきどきさせて置かないと,あとで損 をしたような気持になるだろうと思った。”

 一九七一年(昭和四十六)に出た随筆集に収められているらしいが,別のアンソロ ジーで読んだので,“今年”というのがいつなのかはっきりしない。
 ともかく,二重の虹というのは珍しい現象には違いないにせよ,井伏鱒二は二年つ づけて見ているので,一生に一度か二度というような稀有の自然現象でもないのかも しれない。

 ことし三月三十日に架かったという二重の虹。
 その日,部屋の南向きの窓から外をながめ,曇天にもかかわらず近くの高いビルの 壁が西陽を受けて白く光り輝いているのを変な天気だなと思いながら,ぼくはその肝 心の虹を見そこなったのだ。井伏鱒二がいっているのとちょっと意味はずれるが,ま さに“損をしたような気持”でしかたがない。

 ところで,この井伏鱒二を師とあおいだ太宰治の忌日が,六月十九日。いわゆる桜 桃忌である。この時期に出まわる桜桃は太宰の好物だった。作品のタイトルにもなっ ている。
 一九四八年(昭和二十三)の六月十九日も雨だった。十三日に失踪してから六日後, 三鷹市内の雨に濁った玉川上水で,愛人の山崎富栄としっかり抱きあった姿でみつか ったという。紐で体をくくりつけてあったらしい。

 奇しくもこの日は太宰三十九歳の誕生日だった。
 奇しくもといえば,朝日新聞に連載予定だった太宰の最後の作品「グッド・バイ」 の原稿は第十三回で終わっている。「グッド・バイ」という作品を十三回という不吉 な数字で打ち切り,十三日に失踪――

 伊藤左千夫の短歌を太宰が書きつけた短冊が山崎富栄の部屋に遺書とともに残され ていた。この歌も,なにやら暗示的である。
  池水は濁りににごり藤波の
    影もうつらず雨降りしきる
 梅雨のうっとうしさが立ちこめたような短歌だ。

 太宰はその前にも計四回の自殺を企てている。五回目でやっと“成就”した。  遺書のなかで“悪人です”と書かれた井伏鱒二は太宰の情死について,“ものの弾 みと云ったらどうだろう”と書いた。太宰は梅雨に負けたのかもしれない,そうぼく は考えている。(日本能率協会マネジメントセンター『マネジメント21』1992年6月 号)