芥川龍之介と鰻

吉田 仁

 関東で梅雨が明ける平均日は七月十八日だという。ことしの大暑は,その四日後の 二十二日。いよいよ夏本番である。
 芥川龍之介に“破調”と前書きした句がある。
  兎も片耳垂るる大暑かな
 『追想 芥川龍之介』にあった文夫人の,“この字足らずがねえ”という懐かしさ と苦笑のないまぜになった口吻を思い浮かべないわけにはいかないが,一九二七年 (昭和二)の七月も梅雨明けからひどい暑さだったようだ。

 芥川は二十四日の未明に三十六歳で自殺している。記録によれば前日の最高気温三 十六度。前稿「地に紫陽花,天に虹」で太宰の心中にまつわる数字の暗合にふれたが, ここにもひとつの暗合がある。

  水洟や鼻の先だけ暮れ残る
 これは“自嘲”と前書きした辞世の句である。“破調”の句とともに,なにかに打 ちひしがれたような重苦しさが漂っている。
 芥川の自裁の原因については当時からさまざまに取り沙汰された。いわく芸術的な 行き詰まり,いわく労働者階級とその文学の台頭への敗北感,いわく生活力の欠乏……

 海軍機関学校の同僚として,また漱石の門下同士として芥川と親しかった内田百間 は,「河童忌」という随筆のなかで,おもしろい説を立てている。
 “あんまり暑いので,腹を立てて死んだのだろうと私は考えた”と。  太宰治の情死を梅雨のうっとうしさに負けたのかもしれないと考えるぼくなど,そ ういわれるほうが,なんとなく腑に落ちる気がするといえば不謹慎だろうか。
 友人総代として弔辞を読んだ菊池寛は,
  年毎に二十四日のあつさ哉  という句を詠んでいる。一九三二年(昭和七)の河童忌での席上吟だ。東京・田端 の天然自笑軒でおこなわれていた河童忌と暑さとは,どうしても切り離せないものら しい。

 河童忌の名は,芥川の代表作のひとつに数えられる小説「河童」に由来する。また, 絵心のあった芥川は,河童の絵を何枚も描いている。
 ちょうど生誕百年にあたって横浜の“海の見える丘公園”にある神奈川近代文学館 で芥川の展示会が開かれたのを機会に,でかけてみた。展示物のなかでいちばん印象 深かったのは蒲の穂を肩にして振り返った構図の河童の絵である。河童の顔は愛嬌あ るようにも見え,また全体に凄みを帯び,強く迫ってくるものがあった。

 河童は暑さに弱い。
 ことしの河童忌は,たまたま土用の丑の日にあたる。土用の丑といえば鰻である。 鰻と芥川がなんの関係があるのか――しばらく鰻についての話につきあっていただき たい。
 江戸時代半ばに,とくに土用の丑の日に鰻を食べるという習慣が生まれたようだ。
  土用丑のろのろされぬ蒲焼屋
 という川柳がある。ふだんは客の注文を受けてからおもむろに裂きにかかる鰻屋も, この日ばかりは殺到する客にウシのようにはのろのろなどしていられない。  平賀源内が夏涸れの鰻屋に頼まれて“本日土用丑の日”と記した看板を店先に掲げ たところ,客があふれるようにやってきて,それ以来この日に夏バテ解消をもくして 鰻を食べる習慣がひろまったという話は,よく知られている。

 ただ,なぜ丑の日にかぎって鰻なのか。これが考えてみるとよくわからない。  丑の“う”と鰻の“う”とをかけた駄洒落コピーの先駆けだったという説もあり, また科学者・文人として奇才をうたわれた源内が書いた看板だから評判に評判を呼ん だという説もある。

 鰻の栄養価の高さは物知りの源内のみならず江戸の庶民だって生活の知恵として承 知していただろう。しかし,とくに暑い盛りの土用の丑の日を選んで鰻を食べるとい う習慣はなかった。
 広告を頼まれた源内は近づく大暑を前にして考えた。大暑に前後するように土用の 丑の日がある。
「丑の“う”と鰻の“う”か!」
 ひらめいた源内は,“本日土用丑の日”というコピーとともに,大きく“う”と染 め抜いた暖簾を店頭に掲げた。

 それを見た庶民も,江戸っ子の単純さといえば言葉は悪いが,
 「そうか,ウナギか!」
 とばかりに押しかけた――
 暑さの盛りに熱い番茶を飲むと,すっきりする。ぼくは夏バテ解消に中華料理屋で, すりおろしたニンニクをたっぷり入れた熱いラーメンを食べて汗をかく。その話をし たら,女の子に「バッカじゃないの?」といわれた経験があるのだが,店を出ると風 が実に気持ちよく,体がシャンとするのだ。

 同じように,真っ赤に熾った炭火を見ながら,その熱のこもった鰻屋で蒲焼きを食 べるという酔狂さが,鉄火な江戸っ子に受けたのかもしれないと,ぼくは考える。
 鰻が夏痩せに効くことは古来よく知られていた。『万葉集』巻十六にある大伴家持 の和歌がしばしば引き合いにだされる。
  石麻呂に吾物申す夏痩せに
    良しといふものぞ武奈伎漁り食(め)せ

 万葉仮名の“武奈伎”は“むなぎ”で鰻を表わす古語。胸のところが黄色いので “胸黄”,それがなまってウナギになったという説があるが,例によって語源には諸 説ある。
 大伴家持の歌には“痩せたる人を嗤咲(あざわら)ふ歌二首”と前書きがあって, 実はもう一首のほうがおもしろい。
  痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた
    武奈伎を漁ると川に流るな

 前歌で“石麻呂さんよ,夏痩せに効くという鰻でもとって食べたほうがいいんじゃ ないかい?”と歌いかけながら,すぐに“たとえ痩せ細っても生きているにしくはな し。鰻をとろうとして川に流され,あたら貴重な生命を落としなさんな”とからかっ ているのだ。

 鰻を一日だけ食べたって夏負けに目に見えるほどの効果があるとも思えない。ただ, 良質のタンパク質とビタミンAに富んで滋養強壮にいいというのは医学的事実だ。  さて,芥川である。

 ドイツ文学者の高橋義孝さんが書いていた。暑さに負けて自殺したという“芥川夏 バテ説”を立てた内田百間は,なにを思ったか,晩年に二十七日間ぶっとおしで鰻の 蒲焼きを食べた経験があるそうだ。

 この話は百間の弟子にあたる平山三郎の証言もあるから事実だろう。食いしんぼう で『御馳走帖』という著書もある百間は八十三歳まで生きた。
 あまりに極端だと現在では逆に栄養のとりすぎで成人病が心配になるけれど,百間 ほどではなくとも二,三日置きに食べたら夏バテに効きそうだ。なにしろ生命力が強 く,切っても動きまわっている鰻である。

 河童の好む胡瓜(きゅうり)のような淡白なものばかりを食べていたというわけで もないのだろうが,芥川にも適度に鰻を食べて酷暑にそなえるほどの俗気がほしかっ た。そうすれば,あるいは死なずにすんだかもしれない――
 冗談ではなく,半分本気で,そんな思いが頭をよぎる。(日本能率協会マネジメン トセンター『マネジメント21』1992年7月号)