夏の風物詩

吉田 仁

  朝顔に釣瓶とられて貰ひ水
 朝,井戸に水を汲みにいくと釣瓶に朝顔の蔓が巻きついている。むしりとるのも忍 びないので隣りの井戸に水をもらいにいったのである。

 江戸時代中期の女流俳人・加賀千代女のあまりにも有名な句を,わざわざ解説する のも蛇足だった。俳句の世界では通俗的な句といわれ,あまり高い評価は与えられて いないようである。

 その俗っぽさゆえにひろく知られるようになったのか,だれにも知られるほどの佳 句だから逆に通俗的とけなされるにいたったのか,門外漢のぼくにはよくわからない ところもある。なかなか味わいのある句である,と感じるぼくなどは,さしずめ俗物 そのものにちがいない。
 以下,俗っぽいイメージを繰り広げることとしよう。
 夏の花といえば朝顔である。カッと照りつける真夏の昼下がり,打ち水をした路地 の縁台に浴衣で涼みながら西瓜にかぶりつく,かたわらの鉢の,しぼみかけた朝顔を ながめつつその儚さに哀れを覚える――絵に描いたような下町情緒だ。

 下町情緒といえば,久保田万太郎が,
  あさがほをみにしのゝめの人通り
 と詠んだ東京・入谷の朝顔市はいまに盛んである。
 七月六日から八日までの三日間,“恐れ入谷の鬼子母神”という洒落句で知られる 真源寺の境内周辺には多くの露店が立ってにぎわう。東京の夏の風物詩のひとつであ る。

 朝顔市の帰りにJR山手線の鴬谷駅から歩いて五分ほどのところにある豆腐料理の老 舗“笹乃雪”に立ち寄る人も多い。ここの“あんかけ豆富”はなかなかうまいのであ る。

 “豆富”というのは誤字ではない。笹乃雪では“豆富”と看板や品書きに書いてい るので,そのひそみにならったまでである。
 ちなみにいえば,清潔強迫症の泉鏡花は豆腐の“腐”の字を嫌って“豆府”と書い た。万太郎はこれを鏡花が愛用した刻み煙草の水府からきているのではないかと推察 しているが,どうだろう。

 笹乃雪にほど近い鶯横丁に住んでいた正岡子規もここの豆腐が好きで,いろいろ俳 句や短歌に詠んでいる。
  蕣(あさがお)に朝商ひす篠(ささ)の雪
 この句を子規直筆で刻んだ碑が笹乃雪の店頭にある。
  根岸名物芋坂団子売りきれ申候の笹乃雪
 と歌われているもうひとつの根岸名物“芋坂団子”つまり羽二重団子の店も,鴬谷 の隣り日暮里駅近くにあり,ホームから見える。

 朝顔市から笹乃雪,さらに羽二重団子というのはいい散歩コースだ。漱石も『吾輩 は猫である』で苦沙弥先生の書生・多々良三平君に,
 “(散歩に)いきましょう。上野にしますか。芋坂へ行って団子を食いましょうか。 先生あすこの団子を食った事がありますか。奥さん一返行って食って御覧。柔らかく て安いです。”
 といわせている。

 平賀源内の鰻の看板の例もあるが,子規の句や歌にしろ漱石の文章にしろ,へたな 宣伝よりよほど効果的だ。
 ぼくも漱石に促されるように先日ひとりでぶらりと歩いてみた。醤油と餡のひらべ ったいのが二本ひと皿になっている串団子は,たしかにうまい。
 ……どうも,すぐに花より団子の話になって意地きたない。朝顔に話をもどそう。  『万葉集』に山上憶良の秋の七草の歌がある。
  萩の花 尾花 葛花 瞿麦(なでしこ)の花
    女郎花また藤袴 朝貌の花

 この歌を見て,「秋の七草をただ並べただけで『万葉集』に収録されたのだな」と いう妙な感慨をまず抱くなんて,ぼくが俗物であるなによりの証拠だろう。つぎにぼ くが感じたのは“秋の”七草に朝貌(朝顔)が入っている不思議さである。

 万葉時代に朝顔といえば,いまの桔梗をさしたという説がある。だから,この歌だ けで朝顔は秋の花だとはいえない。朝顔市だって七月ではないか。
 しかし,歳時記を繰ってみれば,たしかに秋の部に入っている。これは,ちょっと 意外だった。秋――暦のうえで立秋は八月八日前後である。

 意外といえば,西瓜も秋の部に入っている。深緑に黒く沈んだ縞,真っぷたつに切 ればみずみずしく赤い果肉が目の前いっぱいにひろがる西瓜は,ぼくのイメージのな かではまさに真夏そのもの。これが秋では,どうも俗っぽいイメージの展開に支障を きたしてしまうようだ。

 そういえば,西瓜が熟して本来の甘さになるのは旧のお盆過ぎ,新暦では少なくと も八月の末まで畑で寝かせておいたほうがいいという話を,だいぶ以前に聞いたこと がある。本来,西瓜は秋のものなのかもしれない。

 現実はしかし,それどころではない。促成栽培で早め早めにとつくり急ぎ,五月六 日前後にくる立夏を前にして店頭に出まわっている。ほんとうに旬が曖昧になってし まった。季節感が失われて残念がるほどの純真さは持ち合わせていないものの,とき どき戸惑ってしまうのはたしかである。

 この一文に冠したタイトルも,せめて「“夏”の風物詩」と含みをもたせたかたち に変えなければならないようだ。(日本能率協会マネジメントセンター『マネジメン ト21』1992年8月号)