月下の栗を穿つ

吉田 仁

  夜ル窃(ひそか)ニ虫は月下の栗を穿つ
 芭蕉の句である。“後の月”という題がついている。
 一説に一六四四年(正保一)の陰暦八月十五日,十五夜に生まれたとされる芭蕉は, 月見が好きだった。

 雪月花という言葉がある。四季折々の日本の伝統的な自然美をあげた言葉で,その 伝統に連なる芭蕉に花や雪の句の多いのはいうまでもない。それと並んで,
  名月や池をめぐりて夜もすがら
 ほか名月を詠みこんだ句も多く,しばしば月をめでながら句会を催している。
 しかし,“夜ル窃ニ虫は月下の栗を穿つ”とは,伝統的でありきたりな月見の句で はない。

 註するまでもないが,秋十月の静謐のなか,冴えわたる月の光のもとで小さな虫が だれに知られるともなく栗の実をむしばむ幻想的なさまを詠んでいる。写生ではなく 想像の句だからこそかもしれない,ひじょうに印象の鮮明な姿をしている。
 月下に栗を穿つ虫は,苦吟する芭蕉の孤独な影だ。
 “後の月”とは陰暦八月の十五夜つまり仲秋の名月に対していったもので,陰暦九 月十三日の月,十三夜をいう。ことしは新暦の十月八日にあたる。

 仲秋の名月が中国伝来の行事であるのに対し,十三夜は日本独特の行事である。ほ かに陰暦十月十日の十日夜(とおかんや)の月見というのがあり,これも日本固有の ものらしい。

 また,十五夜を芋名月といって,この晩には団子に,芋は芋でも里芋の初物をそえ る。十三夜には栗名月あるいは豆名月の異称があり,旬の栗や枝豆を供える。十日夜 にはなにを供えるかというと,米である。

 それぞれ季節の幸と結びついている。いまではほとんど忘れられているが,農業の 神に収穫を感謝し,翌年の豊作を祈る気持ちがこめられているのだ。
 神頼みではないけれど,風流にみえる芭蕉の草庵生活もまた,門人や支持者の援助 に頼るところが大きく,四季折々の幸をはじめとする差し入れがなければ,とうてい 成り立つものではなかった。

  米くるゝ友を今宵の月の客
 とは十日夜の句だろうか。この句からは風雅の裏の現実がうかがい知れるようで興 味深い。伝統的な和歌のかたちでは表現しきれない,俳諧独自の興趣といっていい。

 十三夜といえば永井龍男と樋口一葉を思い出す。妙な取りあわせに感じられるが, 永井龍男がこんな句をつくっているのである。
  一葉といふ名は若し十三夜
 一八九六年(明治二十九)に肺結核のため二十四歳の若さでこの世を去った樋口一 葉は,その前年に小説「十三夜」を発表している。
 永井龍男は十三夜の澄みわたった秋の夜空に浮かぶ“後の月”に,一葉のあまりに 短く,あまりに鮮やかな生涯を偲んでいるのである。

 小説「十三夜」とは,こんな話だった。
 ある高級官吏にみそめられて嫁いだ貧しい家の娘が,男の子が生まれてからの夫の 打って変わった仕打ちに堪えかね,実家に戻ってくる。両親に離縁状をとってくれと 涙ながらに訴えるものの,父親に意見され,子どものためにもう一度死んだつもりで 夫に仕えようと,人力車に乗って帰ってゆく。折しも空には十三夜の月がかかってい る。

 そのあとに,たまたま乗った人力車の車夫が初恋の相手の落ちぶれた姿とわかって…… という小説の山場がくるのだが,一葉の美しくとぎすまされた文章,十三夜の名月と いう叙情的な書き割りのうちに,封建的な身分差別や性差別,結婚制度の矛盾を穿つ 静かな異議申し立てが脈打っている。

 ストーリーを離れていえば,娘の母親が月見を“旧弊”とみなしている点に興味を ひかれる。突然に帰ってきた娘に,まだ事情を知らされない母親は,こう話しかけて いる。
 “今宵は旧暦の十三夜,旧弊なれどお月見の真似事に団子をこしらえてお月様にお 供え”し,“お前も好物なれば多少なりとも”弟に“持たせて上げようと思うたれど ……十五夜にあげなんだから片月見になっても悪し,喰べさせたいと思うばかりで上 げる事が出来なんだに,今夜来て呉れるとは夢のような……”

 封建的な遺制が生活のいたるところにあって人びとを苦しめている。にもかかわら ず,旧習を排斥しようとする性急な開化の風潮は,月見のような庶民の素朴な行事に までおよんでいたという事実がうかがい知れる。
 ついでに十五夜と十三夜の一方の月見をしないのを“片月見”として忌みきらった という,現在ではほとんど忘れられた事実も,この引用からわかる。

 ここで芭蕉に話を戻す。「芭蕉庵十三夜」という俳文のなかに,つぎの一句がある。
  木曾の痩もまだなをらぬに後の月
 この年の十五夜の月を“田毎の月”で知られる信州更科でみた芭蕉は,旅の疲れも 癒えぬままに無理を押して十三夜の宴を門人たちと催しているのである。

 無理をしたのは芭蕉もまた片月見を嫌ったからだろう。さらに,そこに俳聖の意地 のようなものさえ感じるのは穿ちすぎた見方だろうか。(日本能率協会マネジメント センター『マネジメント21』1992年10月号)