月下の栗を穿つ芭蕉の句である。“後の月”という題がついている。 一説に一六四四年(正保一)の陰暦八月十五日,十五夜に生まれたとされる芭蕉は, 月見が好きだった。
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雪月花という言葉がある。四季折々の日本の伝統的な自然美をあげた言葉で,その
伝統に連なる芭蕉に花や雪の句の多いのはいうまでもない。それと並んで,
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註するまでもないが,秋十月の静謐のなか,冴えわたる月の光のもとで小さな虫が
だれに知られるともなく栗の実をむしばむ幻想的なさまを詠んでいる。写生ではなく
想像の句だからこそかもしれない,ひじょうに印象の鮮明な姿をしている。 ◆ 仲秋の名月が中国伝来の行事であるのに対し,十三夜は日本独特の行事である。ほ かに陰暦十月十日の十日夜(とおかんや)の月見というのがあり,これも日本固有の ものらしい。 ◆ また,十五夜を芋名月といって,この晩には団子に,芋は芋でも里芋の初物をそえ る。十三夜には栗名月あるいは豆名月の異称があり,旬の栗や枝豆を供える。十日夜 にはなにを供えるかというと,米である。
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それぞれ季節の幸と結びついている。いまではほとんど忘れられているが,農業の
神に収穫を感謝し,翌年の豊作を祈る気持ちがこめられているのだ。
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米くるゝ友を今宵の月の客
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十三夜といえば永井龍男と樋口一葉を思い出す。妙な取りあわせに感じられるが,
永井龍男がこんな句をつくっているのである。
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小説「十三夜」とは,こんな話だった。 ◆ そのあとに,たまたま乗った人力車の車夫が初恋の相手の落ちぶれた姿とわかって…… という小説の山場がくるのだが,一葉の美しくとぎすまされた文章,十三夜の名月と いう叙情的な書き割りのうちに,封建的な身分差別や性差別,結婚制度の矛盾を穿つ 静かな異議申し立てが脈打っている。
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ストーリーを離れていえば,娘の母親が月見を“旧弊”とみなしている点に興味を
ひかれる。突然に帰ってきた娘に,まだ事情を知らされない母親は,こう話しかけて
いる。
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封建的な遺制が生活のいたるところにあって人びとを苦しめている。にもかかわら
ず,旧習を排斥しようとする性急な開化の風潮は,月見のような庶民の素朴な行事に
までおよんでいたという事実がうかがい知れる。
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ここで芭蕉に話を戻す。「芭蕉庵十三夜」という俳文のなかに,つぎの一句がある。 ◆ 無理をしたのは芭蕉もまた片月見を嫌ったからだろう。さらに,そこに俳聖の意地 のようなものさえ感じるのは穿ちすぎた見方だろうか。(日本能率協会マネジメント センター『マネジメント21』1992年10月号)
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