風狂の雪見

吉田 仁

  太郎を眠らせ,太郎の屋根に雪ふりつむ。
  次郎を眠らせ,次郎の屋根に雪ふりつむ。
 雪便りを聞く季節になると,きまって三好達治の「雪」というこの短詩を思い出す。 いま手元にある岩波文庫の『三好達治詩集』を開いてみると,一九三〇年(昭和五) 十二月に第一書房から出版された処女詩集『測量船』に収められている。

 深沈とした冬の夜,子どもたちが深い眠りにおちいる地上に,小止みなく舞いおり ては降りつんでゆく雪――
 雪を,あるいは雪国をうたって,これほど鮮やかなイメージを喚起する詩も少ない。
 ぼくの生まれ育ったのは東北岩手だ。雪国のイメージもあるが,太平洋に面した地 域なので雪は多くない。雪より北風が厳しく,おとなも子どもも寒風にほっぺたを真 っかにしていた。それでもたまに三十センチ前後の積雪にみまわれることがある。

 小学二,三年のころだったか。クリスマスに近いある夜,不思議な静けさに外をう かがうと,いつのまにやら牡丹雪が降りつもっている。ただでさえ田舎町の冬の夜は 更けるのが早い。雪の降りつむなか,人通りは絶え,車も走っていない。親の目を盗 んで家を抜けだし,路上でひとり雪とたわむれた。

 その間にも,みるみる雪は積もってゆく。深雪に身を投げだし,ふと見上げると, 街灯に照らしだされた空間に真っ白な雪が際限もなく現われては落ちてくる。深夜に は降り止んだのだろうが,無限という感覚を身をもって感じたのは,このときだった。
 先日,ひさびさに向島の長命寺を訪ねた。春に桜餅を求めていった老舗“やまもと” のすぐ裏手にある。この境内には芭蕉の雪見の句を刻んだ石碑があり,なかば近くま で土に埋もれている。
  いざさらば雪見にころぶ所まで

 花見や月見の名所として知られている向島一帯は,雪見の名所でもあった。豪雪地 に住む人たちからは「なにを呑気な」といわれそうな話だけれど,雪の少ない江戸で はわざわざ雪見としゃれこむ風流な人間も少なくはなかったのである。
 この句は芭蕉翁四十四歳のおりの作。人生五十年といわれた時代なら,すでに老境 に入ったといってもさしつかえない。花見,月見ならばともかくも,真冬の隅田川の 凍てつく川風に吹きさらされながら雪野原を転げまわる歳でもあるまいに,と人はい うだろう。

  ころぶ人を笑うてころぶ雪見かな
 江戸中期の俳人・加賀千代女のこの句からは,まるで芭蕉をひやかしたような趣き が感じられる。
 だが,痛烈な皮肉なら,やはり川柳にかなわない。
  この雪に馬鹿ものどもの夢の跡

 いうまでもなく,芭蕉の“夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡”のパロディーだ。 痛烈だが,まったく皮相な一面も露呈している。その皮相さこそが川柳のおもしろさ もあり,また限界でもある。
 芭蕉には,つぎのような句もある。
  初雪やさいわひ庵にまかりある

 隅田川と小名木川とが交わるほとり,深川の芭蕉庵で詠んだもので,ときに四十三 歳。こんな意味の前書きがついている。
 “わが草庵で初雪をみたいものと思い,用事で外出していても空が曇ってくると急 いで帰ってくることが幾度もあった。そのたびに裏切られていたけれど,師走の十八 日,草庵にいたときに初雪が降ったので,うれしくなってしまった。”

 現代のように,ぬくぬくと暖かい部屋から窓ガラス越しに雪を愛でようというので はない。火の気もとぼしい粗末なつくりの庵で,戸障子をあけはなって隅田川に降り しきる初雪をたのしもうというのだ。
 しかも俗事をなげうって,というのだから風流もきわまっている。
 “風狂”という言葉がある。風流のきわみ,風雅に徹することと辞書には説明され ているものの,俗物のぼくにはよくわからない。

 が,なにもかもなげうって,たとえば雪見に興じる,そういう童心にかえった無邪 気さの謂いと受けとれば,あまり的はずれではないかもしれない。
 もちろん単純な童心,無邪気ではありえない。風流や酔狂という,軽く,自己陶酔 のにおいの強い姿勢とも次元を異にする。生活上の雑用,社会の習慣,まわりの人た ちの目などといった事柄を通過し,さまざまな人生の曲折を経たうえでの境地である。  風狂の人とは,芭蕉のような人をいうのかもしれない。(日本能率協会マネジメン トセンター『マネジメント21』1992年12月号)