乱と治の門松

吉田 仁

 歳末商戦たけなわのデパートや商店街などでは,クリスマスが終わるやいなや門松 を飾りつける。
 ふつうの家庭では,マンションやアパート住まいのところなど省略することも多い が,恒例になっている家では遅くとも三十日までに飾り終えるようだ。新年の歳神を むかえる神聖な依りしろだから,大晦日に飾るのでは慌ただしすぎて歳神も寄りつか なくなってしまう。

 わが家でも一対の――といいたいが,小さなおもちゃのような門松をひとつだけ, 神楽坂の露店で買ってきて玄関ドアのかたわらに据えた。ご愛敬である。
 この門松,材料や形式,飾る場所などは地方によっていろいろと違う。

 東京あたりの家庭では細い竹と松でつくった一対の松飾りを門や玄関にくくりつけ, ビルやちょっとした屋敷などでは三本の太い竹に松をそえて俵を巻き,荒縄で締めた 堂々たる門松を据えたりする。
 この大きな門松には,三本の竹の先を斜めに切り落としたものが多い。いつも不思 議に思っていたら,浮世絵師四世広重を名のった菊池貴一郎の『江戸府内絵本風俗往 来』という本のなかに,こんなことが書かれてあった。

 むかし,徳川家康が武田信玄との戦いに敗れて浜松城へ逃げこんだ。武田勢に城を 包囲され,そのまま新年をむかえた。おおらかな話だが,このとき武田側から使者が 新年の挨拶にひとつの句を持ってきたという。
  松枯れて竹たぐひなきあした哉

 松は徳川家の本姓である松平を,竹は武田をさしている。松平家は滅んで武田家の みが栄えゆく,よき年の始めであることよ,という意味だ。
 徳川方の智将酒井忠次は,この句に少しだけ手を加えて信玄に送り返した。
  松枯れで武田首なきあした哉

 松は枯れずに武田信玄の首がとぶ,なんともめでたい元朝であることよ,と。
  まつかれて たけたぐひなき あしたかな
  まつかれで たけだくびなき あしたかな
 仮名で並べて書くとよくわかる。酒井忠次の返した句は,単に濁点を加え,あるい は濁点の位地を変えただけのこと。

 この機知に富んだ対応に,こんな智将がいるのでは迂闊に城攻めはできないと考え たのか,信玄はやがて兵を引き,以後,徳川家の武運が開けて天下をとるにいたる。
 戦乱おさまり,江戸城の新年には代々,縁起のよい,先(首)を切り落とした竹で つくった門松が飾られるようになる。そして,この風習が江戸の町民にひろまったと いう。

 事実かどうかはともかく,歴史をいろどるひとつのエピソードとしてはおもしろい。
 歴史には戦乱に明け暮れる年もあれば,駘蕩たる日々もある。江戸前期の俳人徳元 はこう詠んでいる。
  春立つやにほんめでたき門の松
 第二句は“ほんに(ほんとうに)めでたき”の誤植ではなく,“にほんめでたき” である。“二本”の門松と“日本”とが掛けてある。信玄の首を斬り落とした竹とい う乱世の象徴も,門松となるや一転して泰平日本の表徴と化すのである。

 しかし,さしもの江戸幕府も,わが世の春をとこしなえに謳歌しつづけることはで きない。
 幕府の腐敗と失政のすえに戊辰の役が起こったのは,一八六八年(慶応四)の旧暦 一月三日。新たな乱世である。大坂にいた将軍慶喜も江戸の庶民も,正月どころでは なかっただろう。

 先日,久しぶりに永井荷風の『摘録 断腸亭日乗』をひっくり返って読み直してい ると,一九四一年(昭和十六)十二月三十日のところに,こんな句をみつけた。ちな みにつけくわえておくなら,この月の八日に太平洋戦争が始まっている。
  門松も世をはばかりし小枝かな

 日中戦争から太平洋戦争へと日本は奈落の底へ向かって,ひたすら墜ちていく。庶 民にまだささやかな門松を飾るだけの余地があったにせよ,生活必需品は統制されて いる。大晦日には電車の終夜運転が突然中止された。除夜の鐘さえ鳴らなかった,と 荷風の筆は伝える。

 明けて一九四二年(昭和十七)の元旦,特別郵便扱いの廃止もあって郵便受けに年 賀状が一枚しかない。“これまた戦乱のためなるか。恐るべし恐るべし”。その戦乱 のなか,庶民はひたすら悪政に流され,迎合し,戦場や銃後で死んでいった。“人民 の従順驚くべし悲しむべし”――

 冥土の旅の一里塚である門松は,軍国日本の滅亡への一里塚でもあった。  一九四五年(昭和二十)元日,“この夜空襲なし”。
 同年三月九日,“天気快晴。夜空襲あり。翌暁四時わが偏奇館焼亡す”
 “偏奇館”は荷風の住まい。この東京大空襲の記事は『断腸亭日乗』の圧巻である。

 門松から離れてしまうが,あえて長い引用をつづけたい。表記を変えて読みやすく したところがある点を,お断りしておく。
 “余は風の方向と火の手とを見計り,逃ぐべき路の方角をもやや知ることを得たれ ば,麻布の地を去るに臨み,二十六年住み馴れし偏奇館の焼け倒るるさまを心の行く かぎり眺め飽かさむものと,再び(中略)歩み戻りぬ。(中略)余は五,六歩横町に 進み入りしが,洋人の家の樫の木と余が庭の椎の大木炎々として燃え上がり黒煙風に 巻き吹きつけ来るに辟易し,近づきて家屋の焼け倒るるを見定めること能わず。唯, 火炎の更に一段烈しく空に上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上,少なからぬ蔵書の一 時に燃えるがためと知られたり。”
 悪政は文化を滅ぼし,人を殺す。(日本能率協会マネジメントセンター『マネジメ ント21』1993年1月号)