乱と治の門松ふつうの家庭では,マンションやアパート住まいのところなど省略することも多い が,恒例になっている家では遅くとも三十日までに飾り終えるようだ。新年の歳神を むかえる神聖な依りしろだから,大晦日に飾るのでは慌ただしすぎて歳神も寄りつか なくなってしまう。
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わが家でも一対の――といいたいが,小さなおもちゃのような門松をひとつだけ,
神楽坂の露店で買ってきて玄関ドアのかたわらに据えた。ご愛敬である。
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東京あたりの家庭では細い竹と松でつくった一対の松飾りを門や玄関にくくりつけ,
ビルやちょっとした屋敷などでは三本の太い竹に松をそえて俵を巻き,荒縄で締めた
堂々たる門松を据えたりする。
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むかし,徳川家康が武田信玄との戦いに敗れて浜松城へ逃げこんだ。武田勢に城を
包囲され,そのまま新年をむかえた。おおらかな話だが,このとき武田側から使者が
新年の挨拶にひとつの句を持ってきたという。
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松は徳川家の本姓である松平を,竹は武田をさしている。松平家は滅んで武田家の
みが栄えゆく,よき年の始めであることよ,という意味だ。
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松は枯れずに武田信玄の首がとぶ,なんともめでたい元朝であることよ,と。
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この機知に富んだ対応に,こんな智将がいるのでは迂闊に城攻めはできないと考え
たのか,信玄はやがて兵を引き,以後,徳川家の武運が開けて天下をとるにいたる。
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事実かどうかはともかく,歴史をいろどるひとつのエピソードとしてはおもしろい。
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しかし,さしもの江戸幕府も,わが世の春をとこしなえに謳歌しつづけることはで
きない。
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先日,久しぶりに永井荷風の『摘録 断腸亭日乗』をひっくり返って読み直してい
ると,一九四一年(昭和十六)十二月三十日のところに,こんな句をみつけた。ちな
みにつけくわえておくなら,この月の八日に太平洋戦争が始まっている。 ◆ 日中戦争から太平洋戦争へと日本は奈落の底へ向かって,ひたすら墜ちていく。庶 民にまだささやかな門松を飾るだけの余地があったにせよ,生活必需品は統制されて いる。大晦日には電車の終夜運転が突然中止された。除夜の鐘さえ鳴らなかった,と 荷風の筆は伝える。 ◆ 明けて一九四二年(昭和十七)の元旦,特別郵便扱いの廃止もあって郵便受けに年 賀状が一枚しかない。“これまた戦乱のためなるか。恐るべし恐るべし”。その戦乱 のなか,庶民はひたすら悪政に流され,迎合し,戦場や銃後で死んでいった。“人民 の従順驚くべし悲しむべし”――
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冥土の旅の一里塚である門松は,軍国日本の滅亡への一里塚でもあった。
一九四五年(昭和二十)元日,“この夜空襲なし”。
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門松から離れてしまうが,あえて長い引用をつづけたい。表記を変えて読みやすく
したところがある点を,お断りしておく。
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