不忍池の河豚
吉田 仁

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二月九日は“ふくの日”だ。平仮名で書かれるとまぎらわしいが,服ではない,河
豚である。関西以南では,関東のように“ふぐ”と濁らない。そこで二月九日を“ふ
くの日”と決めた。決めたのは本場山口県の下関ふく連盟。一九八〇年(昭和五十五)
のことだという。
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へたな語呂合わせにすぎないといってしまえばそれまで。ただ,二月は河豚のうま
い冬季の,いちばん最後のころであるのもたしかだ。
“河豚の季節は彼岸から彼岸まで”といわれる。秋の彼岸から春の彼岸までである。
“菜種河豚は食うな”という言い伝えもある。菜の花の咲く三月下旬にもなると産卵
期に入って毒性が増してくるからだ。いわゆる菜種梅雨から本番の梅雨のころまでが
産卵期で,夏以降は毒も薄らいでくるという。
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しかし,夏場の河豚というのは,どうもぞっとしない。
秋風を障子に切りて河豚の膳
食いしん坊の内田百間はこんな句を詠んでいる。九月の末に河豚を食べた経験のあ
るぼくだけれど(前稿「毒のない河豚」を参照),秋もまだ遠慮したい。
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河豚にはやはり冬が似合うのだ。雪が降っていれば,もっといい。
雪のふぐ豈一命を惜しまんや
これは江戸の川柳子。いなせな江戸っ子の姿が彷彿とする。一方で川柳子は,
雪の晩ふぐだんべいと薮医起き
とも諷している。深夜,ヤブ医の戸をたたく者がある。
「雪の晩だ,さだめし河豚にでもあたったのだろう,やれやれ」
と寝床から身を起こす。戸をたたくほうも,
「このさいだ,ヤブでもしかたない」
と,あわてて駆けつけたものだろう。
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むかしは河豚の毒にあたって死ぬ人が多かった。いまは少ない。全国的に河豚調理
師の免許制度が普及したからである。シロウトが自分や仲間が釣ったのを料理して中
毒する事件は,けっこう起きている。
うまい河豚をご馳走すると誘われても,こういう膳にはくれぐれも箸を出してはい
けない。かくいうぼくが無免許の人の河豚料理をたらふく食べた顛末については,す
でにご報告したとおりだが……
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さて,上野の不忍池に河豚がいる――といったら驚くだろう。池のなかほどにある
弁天様の本堂に向かって左手に,“ふぐ供養碑”が建っているのだ。弁財天は長寿や
福徳の神だから,その福に掛けた洒落なのかもしれない。
台座の上に,まるまるとしてユーモラスな石の河豚がちょこなんと鎮座し,かたわ
らの福碑に建立主旨が彫ってある。
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“天与の玉饌として天分を果した幾千万の御霊に満腔の感謝を捧げ”云々。
“玉饌”とはすばらしいご馳走。“御霊”はもちろん河豚の霊であって,中毒死し
た人の霊ではない。それにしても,満々とおなかをふくらました河豚に“満腔の感謝
を捧げ”とは,いいえて妙だ。この碑文の作者はユーモアのセンスにあふれた人にち
がいない。
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碑は東京ふぐ料理連盟が一九六五年(昭和四十)に建立した。二月九日を“ふくの
日”と決めた下関ふく連盟は“ふぐ”と濁らないが,東京ふぐ料理連盟には濁点がつ
いて,関西以南とのちがいを端的に表わしている。
東京ふぐ料理連盟は一九三〇年(昭和五)に結成され,戦後,東京都の衛生局に協
力し,河豚調理師の試験制度を整えた。
事務所は雑踏する築地魚河岸のなかにある。供養碑の撰文で判然としない個所があ
ったのではじめて訪ねてみたのだが,すでに昼近く。時間が悪かった。
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魚河岸は朝が早い。正午をまわろうというころには,残っていた事務のおばさんも,
さっさと帰り支度をすませてしまう。急いで事務所にあった記録から碑の文章を書き
移させてもらうことはできたけれど,残念ながらゆっくり話を聞く余裕もない。朝が
早い人は気も早いのだ。
すぐ横には河豚除毒場があったが,その作業をみることもできなかった。
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河豚の毒が怖いという人は多い。ところが河豚そのものを嫌いという人には会った
ためしがない。浅草生まれの江戸っ子・久保田万太郎は,“せつかくの志には候へど”
と前置きして,こんな句を詠んでいる。
すつぽんもふぐも嫌ひで年の暮
すっぽんはぼくも嫌い,というより,まず食べてみようと思った記憶もない。万太
郎が河豚ぎらいというのは困る。ひれ酒にかるく酔いつつ読むにふさわしい味わい深
い俳句をものしている作家だから,ぼくは好きなのだ。それでも嗜好のちがいはどう
しようもない。
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行きつけの店などで万太郎が好んで食べていたのは豆腐やはんぺん,卯の花といっ
た簡単な小鉢の料理で,刺身のような火を通さないものはだめだったらしい。まして,
すっぽんや河豚のごとき仰々しいものは,まるっきり受けつけなかったようだ。
すっぽんも河豚も嫌いという万太郎の句を掲げたのはほかでもない。
不忍池の弁財天にもうでて“ふぐ供養碑”のまえに立ったことのある人が読んだら,
思わずにやりとするだろうと考えたからだ。“ふぐ供養碑”と轡(くつわ)を並べる
ようにしてそこに建っているのは,なんと“スッポン感謝之塔”なる碑なのだ。(日
本能率協会マネジメントセンター『マネジメント21』1993年2月号)
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