銀座の柳都ぞ春の錦なりける いまは,この素性法師の歌にあるような,桜と妍を競った柳に春の風情を 感じるという繊細な時代ではない。 ◆ 銀座に柳通りという道がある。中央区役所で聞いた話では,銀座通りとま じわる狭い裏道の両側六百メートルほどに約百二十本の枝垂れ柳が街路樹と して植えられているという。
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剪定してからまだ充分に生長していないのか,枝葉も少ないが,ともかく
この柳通りに"銀座の柳"は生き延びていた。 ◆ 歩道の下に電線やガス管などを埋めこむための溝がつくられ,柳が充分に 根を張る土がなくなってしまうのがひっこぬかれた直接の原因だといい,ま た,雨や風の日には柳の葉が通行人の衣服を汚したり顔や髪にさわるのも並 木として嫌われた一因だともいう。 ◆ 銀座通りの柳が盛んに枝を伸ばしていたころを,ぼくは知らない。東京に 住むようになったときには,すでに姿を消していた。たまに銀ブラ,という より銀座の街を彷徨する機会はあっても,わずかに残る柳に目をとめること は少なかった。
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そんなぼくでさえ銀座といえばすぐに柳を連想してしまうのは,あるいは
西条八十の作詞で一世を風靡した流行歌の影響なのかもしれない。
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中山晋平の作曲で,唄は佐藤千夜子。SP盤のかすれたメロディーが聞こえ
てくるようだ。一九二九年(昭和四)六月,ビクターレコードから発売され,
たちまち二十数万枚が売れたといわれる。
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まぎらわしいが,同じ西条八十・中山晋平コンビで「銀座の柳」という曲が
別にある。こちらは一九三二年(昭和七)の発表で,こんな歌詞だ。 ◆ この「銀座の柳」の歌詞を西条八十の自筆で刻んだ石碑が,銀座通りの尽き ようとする場所にある。ところ番地は港区の新橋で,正確には銀座ではないの が皮肉だ。銀座通りから柳並木がとり払われたように,石碑も華やかさからは 遠い隅っこに押し込められてしまった恰好である。 ◆ むかし汐留川に架かっていた新橋のたもとなのだろう,高速道路の下に二本 の柳が植えられている。一本はかなり古い木だが,もう一本は新しく,ひょろ ひょろしている。かたわらには"銀座の柳二世"と記した立て札がある。
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そばの御門通りが中央区と港区との境になっており,そこにもわずかに柳並
木が植えられている。 ◆ 数寄屋橋から外堀通りをいくか,銀座通りを通ってこの「銀座の柳」の歌碑 を横目にしながらいっても,せいぜい二十分ほどの距離だ。急ぎの用でもなけ れば,大きく迂回して築地の場外市場まで足を延ばし,うまい立ち食いのラー メンを食べたり,横丁に入り込んだりしてみることもある。
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そんなある日,並木通りを歩いていて小さな歌碑に気づいた。近寄ってみる
と,石川啄木の歌が刻まれている。
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かつての京橋区滝山町とは現在の銀座六丁目あたりで,そこに東京朝日新聞
社があった。啄木は一九〇九年(明治四十二)三月から校正係として勤めはじ
めている。
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岩手県の旧渋民村,北上川のほとりにこの歌の碑があって,啄木の歌碑とし
てはいちばん古い。北上川や城下町盛岡と柳の木はよく似合う。
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さわやかに歌いだした前半にひきかえ,なにか思い屈したような終わり方を
している。"じっと手を見る"啄木の姿がここにも感じられる。ふるさとから遠
く隔たった東京で生活苦に泣いた啄木の若さが痛々しい。
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