遅れた万太郎忌鈴木真砂女の句で,“傘雨の忌”とは久保田万太郎の命日である。万太郎は句作の さいに雅号をほとんど使わず本名で通しているが,その初期には傘雨や暮雨と号して いる。 ◆ 一九六三年(昭和三十八)五月六日に七十三歳で万太郎は死んだ。市ヶ谷の梅原龍 三郎邸でおこなわれた美食会で,どうしたことか,ふだんは絶対に口にすることのな かった生の赤貝を喉に詰まらせ,窒息して息絶えた。魔が差したとしか思えない。 その命日には遅れてしまったが,五月のうちに墓参りをすませようと,ぼくは初夏 の街に出た。万太郎は好きな俳人のひとりなのである。 ◆ まず足を向けたのは湯島天神。一九四五年(昭和二十)の五月二十四日に空襲で焼 け出された万太郎は,敗戦後すぐに鎌倉の材木座に住まいを移していたが,一九五五 年(昭和三十)六月,文京区湯島天神町二丁目十番地に引っ越している。 ◆ 上野で山手線を降り,不忍池から歩いて十分もあれば湯島天神下に着く。強い日差 しのなか,男坂の階段をのぼりきると,右手にすぐ女坂が寄り添っている。その男坂 と女坂とに挟まれた三角形の一郭に,一年半ほどの短いあいだではあったけれど万太 郎の住んだ家が,いまも残っている。
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みじか夜や焼けぬせうがの惣二階
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境内のベンチに腰をかけて汗を拭いていると,トントンと金槌を打つ音やらなにや
ら,騒々しくなってくる。まもなく始まる例大祭の準備が始まったらしい。
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さみだれや門を構へず直ぐ格子
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湯島天神の切通坂へ出る門を潜ってすぐ左手には,石川啄木の歌碑がある。 ◆ 湯島から本郷三丁目の交叉点へ向かうこの坂道は,春日通りである。途中には,通 りの名の由来となった春日局の墓所である麟祥院がある。森鴎外の「雁」や漱石の 「野分」にも登場するので,なにか懐かしい。枳殻寺(からたちでら)という愛称で 親しまれる落ちついた寺だ。
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本郷三丁目の交叉点の角には,化粧品や小間物の老舗“兼康”がある。この店も漱
石の「三四郎」に出てくるし,また,
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本郷三丁目の交叉点を春日通りから本郷通りに右折し,万太郎の墓がある喜福寺の
手前,つまり大学の赤門を過ぎた斜向かいに,樋口一葉ゆかりの法真寺がある。
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現在,寺には一葉資料館が設置されているが,この日は運悪く休みだった。あまり
の寄り道に,ひょっとしたら万太郎の霊がヘソを曲げたのかもしれない。
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台座の上に四角や丸,屋根型の黒御影を積み重ねた,悪くいえば田楽のようなかた
ちの墓石には,細くてたよりない自筆で“久保田万太郎之墓”と刻まれている。戒名
は上を略して傘雨大居士。
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