『電気があめてきた』



「俺の働いていた会社は北新鉱発といい、太平洋炭砿の下請けだ。太平洋炭砿に は他に大きいところでは葵鉱発など4社入っていたと思う。北新鉱発は全国で従 業員15000人、太平洋炭砿には300人働いていた。他にガスの多かった大夕張、三 笠、赤平の炭鉱にも入っていた」

「ガス発生や、炭塵爆発で坑内に取り残された時のため、坑道内に二つの避難用 具があった。ひとつは防毒マスクでこれは90分間もった。もうひとつはナイロン カーテンで、坑道内にナイロンカーテンで仕切られた空間があり、その空間内に は空気が充満する仕組みとなっており、その中に退避すると120分間もっといわれ ていた」

「炭坑は階級がはっきりしていた。キャップライトをみると階級、役付けの位置 が分かった。保安監督室長は赤い3本線。室長は緑の2本線。技師長が赤の2本線。 次長が緑の3本線。課長は赤3本線。係長は赤2本線。上席係員は赤1本線。区長は 赤1本線。係員(発破担当)は赤1本線。一般は緑1本線。その他に国家試験の合格 者(50馬力以上の巻き上げ機、発破補助員)は黒線だった」

「しくり(坑夫)というのは、2名で足場を造り、枠の取り外しをしたりして、坑内 を作り直す、保全の仕事をしていた。あるときしくりが、枠を掴まえた時、大きな 崩落があり指を落とした人がいた」

「枠は鉄製ばかりでなく木製もあった。丸太のことを『ちょろんぼ』といってい た。明るいところ、盤圧の弱いところには、丸太を井桁に組み、井桁の間に矢木 を差し込んだ。矢木を打ち込むときは、ハンマー代わりに手斧を使った。また、 のこぎりも大事な道具で片歯ののこぎりの目立ては毎日欠かさなかった」

「軌条はほとんど中古だった。軌条を敷く仕事は一日800円と給料が安かった、簡 単に雑に敷くことが多かった。この軌条の上を人が押して行く台車を『ニトロ台 車』といい台車と台車をつなぐ連結器のことを『棹とり』といった」

「坑内の照明は60ワットだったが、それは設備のあるところに設置されてあり、 外のところはくらかった。だから作業者は充電式のキャップライトを携帯してい た。ただし完全に明るいのは9時間だった。しかし、充電能力が落ちて、ボーッ と暗くなることを『電気があめてきた』といった。一度『あめる』と次も『あめ 易かった』」

「坑内作業者には作業服の支給はなかった。坑内では長袖のシャツ1枚あれば十分 だったが、半袖は危険なのでみんな長袖だった。安全靴も自分で買っていた。普 通は皮製の編み上げだが、水の多いところはゴム製を履いた。ヘルメットとキャッ プランプは支給になった。軍手と防塵マスクは自分持ちで防塵メガネは使わなかっ た」

「入坑にはのこぎり、手斧、弁当、焼酎が入っていた4号にビンは入った水、それ に『スコ袋』(硬い布で、自分で作る)を持っていった。ほかのスコップ、カッチャ などの道具は、各直ごとに道具箱があり、各直ごとに管理されていた。道具箱には、 炭鉱の人間で専門家が、パイプを加工して作った鉄砲錠というものを掛けていた。 1班6人だった」
 

 
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